エフェソス(ギリシア語: Έφεσος、ラテン文字表記:Ephesos/Ephesus)は、トルコ西部の小アジアの古代都市で、現在のイズミル県のセルチュク近郊に位置している。古典ギリシア語読みではエペソス、エフェソ、エペソとも表記され、現在はトルコ語でエフェ...
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アルテミス神殿 (redirect from エフェソスのアルテミス神殿)
エフェソス(現在のトルコ西部)に存在した、アルテミスを奉った総大理石の神殿である。 世界の七不思議のひとつに挙げられるが、現在は原形をとどめていない。 最初の神殿は紀元前700年頃に建てられ、紀元前650年頃にキンメリア人によって破壊された後、紀元前550年頃にリディアのクロイソス...
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エフェソス公会議(エフェソスこうかいぎ、ラテン語: Concilium Ephesinum)は、431年にエフェソス(現・トルコ共和国セルチュク郊外)で行われたキリスト教の公会議。正教会の一員である日本ハリストス正教会では第三全地公会と称される。 4世紀から5世紀に入るとキリスト論の議論はアレクサン...
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『エフェソの信徒への手紙』(エフェソのしんとへのてがみ)は、新約聖書中の一書。伝承では紀元62年ごろ、ローマで獄中にあった使徒パウロが小アジアのエフェソ(エフェソス)のキリスト者共同体にあてて書いたものであるという。 この伝承が本当なら『コロサイの信徒への手紙』(コロサイ書)や『フィレモンへの手紙...
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エフェソス強盗会議(エフェソスごうとうかいぎ、ラテン語: Latrocinium Ephesinum、英語: Robber Council of Ephesus)は、449年に小アジアのエフェソスで行われたキリスト教の会議である。盗賊教会会議、エフェソ陰謀公会、第2エフェソス公会議とも呼ばれる。...
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のうち、正教会(ギリシャ正教)にもカトリック教会にも帰属しない教会の総称である。東方教会に分類される。 「東方諸教会」には、エフェソス公会議で既に分かれた(つまり「非エフェソス」であって「非カルケドン」ではない)ネストリウス派の流れを汲むアッシリア東方教会が含まれる用例(この場合、非カルケドン派+ア...
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西方教会と対比する意味での東方教会は、いわゆる東方正教会(ギリシャ正教)とその他の東方諸教会とに大別される。 395年-ローマ帝国が東西に分割。 431年-エフェソス公会議でネストリウス派は異端とされて、東ローマ帝国の教会(のちのギリシャ正教)から分離し、サーサーン朝ペルシアに亡命した。...
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召使いが巻き起こす騒動を描く。シェイクスピアの劇の中でもっとも短いものであるが、最初の喜劇かについては異論も多い。 シラクサの商人イージオンは、エフェソスへの不法侵入の罪で逮捕され、1000マルクの罰金か、それができなければ死刑の宣告を言い渡される。イージオンには、アンティフォラスという双子の息子...
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Kirchen)等と呼ばれる。 日本では便宜的な名称として東方諸教会、東方正統教会等と呼んでいる事例がある。なお、「東方諸教会」には、エフェソス公会議で既に分れていた(つまり「非エフェソス派教会」であって「非カルケドン派教会」ではない)ネストリウス派(アッシリア東方教会など)が含まれることがある(この場合、非...
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アンタイオカス アンタイオケの王 クリーオン ターサスの太守 ダイオナイザ クリーオンの妻 サイモニディーズ ペンタポリスの王、タイーサの父 セリモン エフェソスの医者 ライシマカス ミティリーニの太守 古の詩人ガワーが語る、タイアの領主ペリクリーズの波乱万丈の物語。...
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代キリスト教の教派の1つ。コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれたキリスト教の一派で、東方教会(東方諸教会)に含まれる。431年のエフェソス公会議において異端認定され、排斥された。これにより、ネストリウス派はサーサーン朝ペルシア帝国へ亡命し、7世紀ごろには中央アジア・モンゴル・中国へ...
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公会議や教皇の勅令によって、公会議の無効、または議決の部分的修正がされる場合がある(たとえば449年のエフェソスにおける会議は「公会議」を名乗りつつも、完全に政治的計算から行われたため、エフェソス強盗会議(陰謀公会)と呼ばれ、公会議の中には数えられていない)。...
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のちの伝承によれば、65年パウロはテモテを按手し、エフェソスの主教(司教)とした。テモテは15年間主教としてエフェソスの教会を指導した(ただし別の伝承ではテモテは90年または93年に死んだとされている)。エフェソスの多神教徒が、テモテに自分たちの神を礼拝させようと強制したが、テモテ...
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『コリントの信徒への手紙一』を記した後、パウロは小アジアの都市エフェソスを離れてマケドニア州へ向かうことにした。エフェソスでの宣教活動は成功を収め、それがためにパウロは反対者の活動によってエフェソスにいることが難しくもなっていたのである。エフェソスから陸路トロアスへ到着したパウロはそこから海路、マケドニ...
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ヨハネは初代教会においてペトロとともに指導的立場にあった。 古い伝承では使徒たちの中で唯一殉教しなかったとされる。イエスの母マリアを連れエフェソスに移り住んだヨハネは、のちにパトモス島に幽閉され、そこで黙示録を記した。釈放されてエフェソスに戻り、そこで没した。福音書を書いたのはパトモス島から釈放された後、老年に達してからで、弟子プロク...
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ベツレヘムで発見された最古のグルジア語碑文である「ビール・エル・クット碑文」はこの時期のもの。 431年 - エフェソス公会議でネストリウス派(のちの景教)が異端宣告される。 聖母マリアの「テオトコス(神の母・生神女)」の称号が公式に認められる。 432年...
50 KB (6,172 words) - 10:37, 8 October 2023
造物のことである。現在、一般的には、古代世界の七不思議として伝承されてきた、ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、エフェソスのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台の7つを指す。 ビザンチウムのフィロンの書にいう「θαύματα」(Theamata)...
10 KB (1,181 words) - 15:59, 3 March 2024
114年 - ローマ皇帝トラヤヌスのパルティア遠征( - 117年)。属州アルメニアを獲得。 114年頃 - ローマ帝国の属州アシア首府エフェソスにケルススの図書館(英語版)が建てられる( - 117年頃)。 115年 - ローマ皇帝トラヤヌスが属州メソポタミアを獲得。 116年 -...
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ソステネからコリントの教会の共同体へと宛てられた手紙である。『コリント人への第一の手紙』ともいわれる。続けて書かれた第二の書簡『コリントの信徒への手紙二』もある。『一コリ』という略称が用いられることもある。 この手紙はエフェソスで書かれ、おそらくパウロのエフェソス...
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倭国王の済、宋に朝貢して、安東将軍倭国王とされる。 スイス・フランス東南部に第二ブルグント王国が成立。 446年 - 北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。 449年 - エフェソス強盗会議が開かれる。 この会議に対抗してローマ教皇レオ1世が「フラウィアヌスへの書簡(レオのトムス)」を送付する。 注釈 出典 [脚注の使い方]...
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ος:救世主(Χριστός)を産む者(τόκος))という新たな称号を提唱し、聖人ではあるが神の母ではないと主張した。この争いを調停するため、エフェソス公会議が召集され、ネストリオスの教義は異端と宣告され、マリアが神の母であることが宣言された。 正教会の一員たる日本ハリストス正教会(日本正教会)...
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468年2月29日)。ヒラリウス(Hilarius)とも呼ばれる。サルデーニャ出身。 レオ1世の部下の助祭長(長輔祭)として、ヒラルスはローマ司教座の権限拡大や、エフェソス強盗会議で認められたエウティケスの教義の否定のために活発に活動した。 教皇として、ヒラルスはレオ1世が行なっていたアルル大司教ヒラリウスとの議論...
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シュシャン カラハ ニネヴェ アテネ キュレネ クレタ コリントス コロサイ テサロニケ ベレヤ ロドス島 イコニウム エフェソス ガラテア キプロス サルディス スミルナ タルソス ティアティラ ピリピ フィラデルフィア パトモス島 ペルガモン ミレトス ラオディキア ルステラ イタリア ローマ マルタ島...
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エフェソスの居宅に幽閉された。 紀元前44年3月のカエサル暗殺を機にマルクス・アントニウスが実権を握ると、クレオパトラの意向を受けたアントニウス派の手によってアルシノエは殺害されたと、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』15巻に記述されている。 トルコのエフェソス...
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紀元前7世紀、遊牧騎馬民族のキンメリア人がリュディアをはじめ小アジアの大部分を侵略した。キンメリア人はメアンデルのマグネシアは略奪できたものの、エフェソスの攻略には失敗した。 紀元前700年頃、今度はリュディアのメルムナス朝の始祖ギュゲス王がスミルナとミレトス一帯を侵略した。その息子アルデュスがプ...
10 KB (1,195 words) - 00:41, 27 September 2022
アテナイとエレトリアは、イオニアからの請願に応えてペルシアに対抗するためにエフェソスに軍を送った。ここでイオニア軍と合流し、リディアのサトラップであるアルタフェルネスの治めるサルディスに侵攻した。アルタフェルネスは軍の大半をミレトスの包囲に送っており不意を突かれたが、要塞に逃げ込むことがで...
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ヘラクレイトス (category エフェソス)
(ヘラクリタスとも)は、古代ギリシアの哲学者、自然哲学者。 エフェソスで生まれたとされている。王族の家系に生まれたという説があるが詳細は不明である。父はブロソン(ブリュソン)またはヘラコン(ヘラキス)という。ヘラクレイトスがエペソスの貴族階級に属したことはおそらく間違いがない。政治に関しては民主...
10 KB (1,079 words) - 00:45, 13 June 2024
ィーノのサンタ・サビーナ聖堂は彼の在任期間中に捧げられた。また、イエスの母マリアに捧げられたサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂も、彼が431年のエフェソス公会議に承認を出すことによって建立された。この会議では主題が、イエス・キリストは人間かという議論から、マリアを「神の母」と呼ぶべきか単に「キリス...
2 KB (229 words) - 08:55, 18 January 2024
ペルガモンは紀元前3世紀半ばから2世紀にアッタロス朝の都として繁栄したヘレニズム時代の都市である。その外港はエライア(英語版)とエフェソスであった。ローマが紀元前129年に小アジアの西南部にアシア属州を設けたあと、ペルガモンは、エフェソスとともに、この属州の中心都市となり、繁栄を続けた。 ペルガモンのアクロポリス遺跡は標高335メ...
6 KB (700 words) - 07:07, 11 May 2023
に)は、新約聖書中の一書で、牧会書簡と呼ばれるものの一つ。伝統的に使徒パウロの手によるものとされてきた。 聖書学者尾山令仁は、これがAD67年頃パウロによってエフェソス(エフェソ、エペソ)で書かれたと考えている。 手紙の冒頭で差出人はパウロ、宛名はテモテとなっている。 本文中でパウロはテモテに対し、冬になる前にマルコ...
2 KB (243 words) - 02:28, 20 September 2021
ヨアンネス・クリュソストモス(金口イオアン) 347年? - 407年 ポントスのエウァグリオス 345年 - 399年 (著作は『修行論』その他) モプスエスティアのテオドロス 350年 - 428年 (著作は『教理教育講話』その他) アレクサンドリアのキュリロス 376年 - 444年 (エフェソス公会議に出席)...
21 KB (2,500 words) - 13:19, 19 August 2024