コンスタンティヌスの寄進状(コンスタンティヌスのきしんじょう、ラテン語: Constitutum Donatio Constantini)は、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が教皇領を寄進した証拠の文書とされ、教権の重要な根拠の一つであった。 ルネサンス期に偽書であることが指摘され、現在では8世紀...
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コンスタンティウス・クロルスとガレリウスが即位した。コンスタンティヌスはコンスタンティウス・クロルスの息子という出自、またその実績から副帝への即位が予想されており、当初はディオクレティアヌスも実際に血統原理に基づいて将来後継者となるべき副帝にコンスタンティウスの息子コンスタンティヌス...
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Promissio Carisiaca )といい、ラヴェンナはのちの教皇領(羅: Civitas Ecclesiae )のもととなった。 なお、教皇領については、4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が教皇シルウェステル1世に寄進したという「コンスタンティヌスの寄進状」(羅: Constitutum Donatio...
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この時期までにローマのディオクレティアヌス浴場が完成する。 305年頃 - リュコポリスのメリティオス(英語版)がアレクサンドリア教会から分派する(メリティオス派)。 306年 テトラルキア内戦(英語版) コンスタンティヌス1世がガリアでローマ皇帝を称す。 309年 - ローマ皇帝コンスタンティヌス...
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シルウェステル1世 (ローマ教皇) (category すべてのスタブ記事)
Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press. シルウェステル2世 (ローマ教皇) コンスタンティヌスの寄進状(偽書) 聖シルベストロ教皇騎士団勲章(シルウェステル1世を記念して創設された勲章) 大晦日 ジルベスターコンサート 表示 編集 表示 編集...
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教皇領 (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
ヌス1世は『偽イシドールス法令集』中の『コンスタンティヌス帝の寄進状』を持ち出して、イタリア全土が教皇の支配に服するようになることをカール大帝に要望した。 教皇レオ3世は800年、カール1世をローマに招いて、ローマ皇帝の冠をカールに授け、彼に「西ローマ皇帝」の地位を与えた。この場合の...
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イタリア人 (category すべてのスタブ記事)
コンスタンティヌス帝の代に贖罪として教会に寄進された。故に戴冠権も教会にある」とした。しかしその証拠として提示されていたコンスタンティヌスの寄進状は現在では教会による偽書と判明している。)、これによってフランク・ローマ帝国の領土として統治される。フランクによる支配は各地方の有力者に爵位を与えての...
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ミラノ勅令 (category コンスタンティヌス1世)
— 「99 所謂ミラノ勅令」 勅令発布以前、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、その後311年、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を発した。これを受ける形で、当時西方正帝だったコンスタンティヌス1世(のちに単独皇帝となる)は、キリスト教を帝国統治に利用しようとい...
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の妻帯についての考え方の差異 聖像破壊論争 東ローマ帝国の事前承認を経ないローマ教皇によるカール大帝の戴冠(偽書『コンスタンティヌスの寄進状』も参照) フォティオスの分離(英語版) スラヴ語奉神礼(典礼)の是非 モラヴィアおよびルーシを、ローマとコンスタンディヌーポリの...
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「コンスタンティヌスの寄進状」では、コンスタンティヌス帝がローマ教皇に領地を寄進する旨を記したとする同名の偽書の内容を描いている。 コンスタンティヌスの間の最後の絵は「コンスタンティヌス帝の洗礼」であり、死の床に伏すコンスタンティヌス帝を描いており、ペンニによって塗装されている。...
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教皇 (category 書きかけの節のある項目)
さらに754年にはフランク王国のピピン3世(小ピピン)が領土の一部を教皇ステファヌス2世に寄進したこと(ピピンの寄進)は、教皇の政治的な影響力が無視できないものになっていたことを示している。この土地が後の教皇領の基礎となった。800年には教皇レオ3世がフランク王国のカール大帝にローマ皇帝としての...
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オットー3世 (神聖ローマ皇帝) (category ドイツの幼君)
コンスタンティヌスの寄進状を「いい加減で虚構のもの」として取り消すとともに、改めて所領の寄進をしている。 998年から1000年の期間、オットー3世は幾度か巡礼を行っている。南イタリアのガルガノ半島やガエータへ赴き、ガエータではロッサノの...
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ニコラウス2世 (ローマ教皇) (category フランス出身の人物)
ンテ・カッシーノのデジデリウス大修道院長らがロベルト・イル・グイスカルドにアプーリア、カラブリア、シチリアの公爵位を、リッカルド・ドレンゴット(英語版)にカプア公国を、教会の擁護の誓約と引き換えに厳かに与えた。 8世紀ごろに作成されたとされる偽書のコンスタンティヌスの寄進状は、東西ローマ帝国からの...
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ヌス2世は、教義問題で対立する東ローマ皇帝コンスタンティノス5世ではなく、フランク族のピピン3世に救援を求め、結果、東ローマ帝国から独立を果たす。 この後は『シャルルマーニュの寄進状』によれば800年にカールによりローマ教皇に寄進...
61 KB (6,204 words) - 14:40, 30 August 2024
の減少による空地の拡大に伴って、都市に開設される修道院も認められるようになる。このような修道院は一部の裕福層からの寄進によって建設されたものも少なくなく、寄進者らに施設そのものを不動産して譲渡、売却することも行われた。 コンスタンティノポリスでは、貴族出身のコンスタンティノス...
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15世紀 (section フランス・フランドル)
人文主義者ロレンツォ・ヴァッラが『「コンスタンティヌスの寄進状」を論ず』を執筆。 ニコラウス・クザーヌスが『学識ある無知(英語版)』を執筆。 フランスでプラグリーの乱。 イングランドのイートン・カレッジが創設される。 1441年 赤松満祐により将軍足利義教が殺害され、嘉吉の乱が勃発。 嘉吉の徳政一揆。...
108 KB (12,512 words) - 17:44, 21 August 2024
ロレンツォ・ヴァッラ (category イタリア・ルネサンスの著作家)
1457年8月1日)は、15世紀イタリアの人文主義者。『コンスタンティヌスの寄進状』を偽書と指摘した。ヴァラとも表記される。 彼はローマでピアツェンツァの家に生まれた 。古典を研究し、各地を遍歴したのちナポリ王アルフォンソ1世の元に身を寄せる。教皇領がローマ皇帝から寄進されたことの根拠とされてきた『コンスタンティヌスの寄進状』が偽書であることを文献学的に証明する。...
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Church)」 ラウダビリテルへの言及が頻繁になるのはテューダー朝後期に入って、ルネサンスのヒューマニズム学者によってコンスタンティヌスの寄進状がその史的確実性について疑問を投げかけられてからである。 1171年、ヘンリーはウォーターフォードに大艦隊をもって上陸し、初めてアイルランドの...
17 KB (1,851 words) - 08:58, 4 September 2024
ローマ建築 (category 古代ローマの建築)
の伝統的な建築物のほか、ディオクレティアヌス帝によって建設されたディオクレティアヌス浴場やコンスタンティヌスの凱旋門においてなお健在であったが、後期のローマ建築は、概してローマン・コンクリートによる自由な造形を特徴とする。トレウェロムやスプリトだけでなく、ローマにおいてさえ、マクセンティウスの...
143 KB (21,332 words) - 22:47, 20 December 2023
ジョン・ウィクリフ (category イングランドのカトリックの人物)
1384年12月31日)は、イングランドの神学者。カトリック教会の腐敗を批判し、神の前での平等を説いたことから宗教改革の先駆者とされる人物である。 ウィクリフは、清貧であるべき教会が富を蓄え特権的な地位にあるようになった原因は偽のコンスタンティヌスの寄進状にあり、王権によって教会の所有資産を没収し、教会への...
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レオン王国 (category レコンキスタ)
の共存を考えており、クリュニーや改革派教皇が称揚する十字軍的な聖戦概念とは、ずれがあった。 一方で改革派教皇はその首位権をイベリア半島に及ぼそうとし、「コンスタンティヌスの寄進状」を持ち出して西ローマ帝国の故地は教皇に捧げられていると主張した。これはカスティーリャ王国の...
18 KB (2,134 words) - 14:39, 6 March 2024
アヤソフィア (category コンスタンディヌーポリ総主教)
アヤソフィアは元来、キリスト教の大聖堂である。最初の聖堂は、東ローマ帝国首都コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)にコンスタンティヌス大帝の子コンスタンティウス2世の手によって350年頃に建設が始まり360年2月15日に、アリウス派僧侶の司教アンティオキアのエウドクシオス(英語版)によって献堂された。...
62 KB (8,789 words) - 02:19, 12 July 2024
東ローマ帝国のメトディオス、キュリロス(コンスタンティノス)兄弟がスラヴ人に対してキリスト教伝道を開始する。 ローマ教皇ニコラウス1世がコンスタンティノポリス総主教フォティオスを破門にする。「フォティオスの教会分裂」の始まり( - 867年)。 神泉苑にて最初の御霊会が行われる(→869年)。 864年...
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のエチオピア)が国教化された[要出典]。 ローマ帝国ではディオクレティアヌス帝による大迫害(英語版)を継続したガレリウス帝が死を前にして311年に寛容令を出し、313年コンスタンティヌス1世とリキニウス帝によるいわゆるミラノ勅令によって、他の全ての宗教と共に公認された。その後もユリアヌス帝などの...
98 KB (15,262 words) - 15:05, 17 August 2024
中世ヨーロッパにおける教会と国家 (category 曖昧さ回避の必要なリンクのあるページ)
ハドリアヌス1世はこのとき、さらに『偽イシドールス法令集』中の『コンスタンティヌス帝の寄進状』を持ち出して、イタリア全土が教皇の支配に服するようになることをカール大帝に要望した。 ^ 領域的な問題と参考文献の記述を勘案して、ここでは主に便宜上の理由からカール大帝の帝国を「西ローマ帝国」とする。この場合の...
302 KB (44,928 words) - 01:22, 7 January 2024
ちなみにパウロがローマの大火の際に十字架にかけられたというのは俗説である。 例えば、コンスタンティヌス帝によってローマ司教に西方の全権限を委譲する旨の書かれたコンスタンティヌスの寄進状はカールの戴冠、オットーの戴冠、神聖ローマ帝国の建国などの根拠とされているが十五世紀にロレンツォ・ヴァッラによって文書が捏造であ...
11 KB (1,886 words) - 14:40, 8 March 2023
神聖ローマ帝国 (redirect from ドイツ民族の神聖ローマ帝国)
コンスタンティヌス大帝にちなんだシャルル・コンスタンティンの名を与えた。しかしまもなくベレンガーリオ1世の反撃にあい、905年には目を潰されてブルグントに追い返された。皇帝位は廃され、キスユラブルグント王国も又従兄弟で同年代の...
274 KB (37,225 words) - 22:40, 2 September 2024
ヴェローナ (category イタリアの県都)
の要衝にあり、たびたびローマの覇権を争う戦いの舞台となった。例としてウェスパシアヌスとウィテリウス (69年)、フィリップス・アラブスとデキウス (249年)、コンスタンティヌス1世とルリキウス (312年) がある。ヴェローナはガッリエヌス...
32 KB (3,164 words) - 00:27, 5 July 2024
イシドールス (redirect from セビリャのイシドールス)
一方、もう一つのイシドールスに仮託された教令集の方は、『偽イシドールス教令集』 ("Canonum collectio pseudo-Isidoriana") と呼ばれる。こちらは9世紀ごろに成立したもので、採録されている教令のほとんどは偽作されたものであった。中でも有名なのは『コンスタンティヌスの寄進状...
24 KB (3,147 words) - 18:14, 7 September 2024
12世紀 (category 出典を必要とする関連フィクションの記述)
『元永本古今和歌集』の写本が書写される。 保安元年の政変。 ホワイトシップの遭難。 1120年頃 ホイサラ朝のヴィシュヌヴァルダナがホイサレシューヴァラ寺院を建立する。 バースのアデラードがアラビア語版エウクレイデス『原論』をラテン語に翻訳する。 1121年 - ソワソン教会会議(フランス語版)でアベラールが異端宣告される。...
99 KB (11,743 words) - 16:12, 9 February 2024
リュシアン・フェーヴル『ラブレーの宗教―16世紀における不信仰の問題』(叢書・ウニベルシタス) 法政大学出版局 2003年 セバスティアン・カステリヨン『異端者を処罰すべからざるを論ず』(中央大学人文科学研究所翻訳叢書) 相田淑子、宮川慎也共訳、中央大学出版部 2014年 ロレンツォ・ヴァッラ『「コンスタンティヌスの寄進状」を論ず』水声社...
7 KB (354 words) - 10:32, 29 September 2023