諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国など東アジアの漢字圏における呼称である。「忌み名」とも表記される。 諱という漢字は、日本語において「いむ」と訓ぜられるように、本来は口に出すことがはばかられることを意味する動詞である。 この漢字は、古代に貴人や死者を本名で呼ぶことを避ける習慣があったことから...
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「本姓」は文字通り「本来の姓」あるいは「本来の氏」を意味する。 例えば、平安時代までであれば藤原道長、菅原道真など、「氏」と「諱」を中心とした人名が多く見受けられ、「氏」と「諱」の間には「ふじわら-の-みちなが」「すがわら-の-みちざね」など「の」を入れた人名が主流であった。代表的な源氏・平氏・藤原...
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ダイヤモンド・オンライン (2022年11月18日). 2022年11月18日閲覧。 ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。 愛称 字(あざな)・諱(いみな)・諡(おくりな) 命名・本名 仮名 (通称)、雅号、筆名、ペンネーム ・ラジオネーム・ハンドルネーム、サインネーム Pseudonym, Allonym...
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日本においては「通称」や「仮名(けみょう)」が発達した。一方で、律令期に遣唐使の菅原清公の進言によるとする「諱」への漢風の使用が進められ、これに貴人から臣下への恩恵の付与、血統を同じくする同族の証として「通字」も進んだ。後述の「諱」を参照。 男性の場合、こうした「通称」には、太郎、二郎、三郎などの誕生順(輩行)や、武...
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皇から第9代開化天皇まで)は、実在した天皇としては扱われない。なお、それぞれの最下に示される名は次項目の最上にあたるものとする。 各囲みの一段目は、諱(いみな)/生年-没年/性別 の形式で表記。 各囲みの二段目と三段目の下部の数字は即位年と退位年である。 年は西暦で記し、「前」は紀元前、「?」は不詳を表す。...
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律令制下においては、正四位上参議および従三位以上の有位者は氏の下に「朝臣」の姓を名乗り、さらに名(諱)の下に「卿」の敬称が付され、さらに大臣の任にある者への敬称は「公」とされた。代わりに、四位以上で公卿でない者については、氏と諱の下に「朝臣」を名乗った。また、三位以上の公卿が亡くなった場合、皇族同様、死去のこと...
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豊臣秀吉の妻で、側室または複数の正室の一人(後述)。位階は従五位下とされるが、諸説あり[要検証 – ノート]。本名は浅井 茶々(あざい ちゃちゃ)および浅井 菊子(あざい きくこ)[要検証 – ノート]。浅井三姉妹の長女。 近江国の戦国大名・浅井長政と織田信長の妹・市の間に生まれ、同母妹に初(常高院...
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漢姓 (category 出典テンプレートの呼び出しエラーがある記事/accessdate)
れ、名も伝統的な動植物名に基づくものから、漢風の二文字名を用いる「名乗り(諱)」と、より和語的な「通称」に分化している。 例:土師氏→菅原氏・大江氏等 兎、入鹿、魚名 等→和麿、安麿、基経 中国、朝鮮と異なり、「名乗り(諱)」に世代の同一性を示す輩行字が使われることは少なく、むしろ氏ごとに世代を...
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ノートで提案し、合意を形成してください。 凡例 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。...
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ノートで提案し、合意を形成してください。 凡例 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。...
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– ノート]。官位は従五位下・信濃守。徳川家康の外曾孫に当たる。 小笠原秀政の長男として下総国栗橋城にて誕生。元服の際、大叔父でもある2代将軍・徳川秀忠から偏諱を受けて忠脩と名乗った。慶長12年(1607年)、出家した父から家督を譲られる[疑問点 – ノート]。...
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1940年以前生まれ 1940年 - 1960年代生まれ 1970年代生まれ 1980年代以降生まれ [脚注の使い方] ^ 諱「おおど(ヲホド)」から来ている皇子名で、「男大迹皇子」の読みは「おおどのみこ」「おおあとべのみこ」など異説多数あり。また、「男大迹邉皇子」「大迹部皇子」などの異表記もある。...
82 KB (2,662 words) - 08:49, 30 November 2024
天正13年(1585年)、石川数正が貞政を引き連れて豊臣秀吉のもとへ出奔すると、貞慶も秀吉に仕えざるを得なくなった。貞政は秀吉より偏諱を与えられ、秀政と名乗った。天正17年(1589年)1月、父から家督を譲られて小笠原家の当主となった。8月には秀吉の仲介で家康と和睦し、家康の孫娘の...
8 KB (931 words) - 12:11, 19 December 2024
穢れを払う+嫌う。穢れを払う様に嫌う。忌避。 忌み名 - 清楚+名。清楚な名・神仏となった本当の名。(臣下、目下のものが口外するのを忌むべき)本名(諱)。 忌中 - ケガレの最中。 奈良時代の忌部氏(いんべし。後の斎部氏)は宮中の神事を行っていた。忌(いん)は清楚という意味でもあるが、平安時代以降...
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- 1890年(明治23年)1月23日)は、幕末から明治時代のクリスチャン、教育者である。出生名は七五三太(しめた)、諱は敬幹(けいかん[要検証 – ノート])。 江戸時代の1864年(元治元年)に密出国してアメリカ合衆国に渡り、そこでキリスト教の洗礼を受けてフィリップス・アカデミー(...
35 KB (5,005 words) - 07:36, 25 December 2024
000石を領していた。 「宇喜多秀家」はあくまでも歴史用語である。天正10年(1582年)の元服時には仮名として「八郎」、諱(実名)として「秀家」を名乗り、宇喜多家の家督を継承したが、宇喜多の名字が使われた記録は無い。天正13年の書状では「羽柴八郎」となっているが、その前...
42 KB (6,373 words) - 09:16, 5 January 2025
御を受け「みどりの日」と改められていた。 ^ ただし、平成生まれの国政選挙立候補者は2名存在した。 ^ 室町幕府第15代将軍足利義昭が一例で、その偏諱を貰って名前に「昭」の字を用いた大名も各地に存在した。他には徳川斉昭、盛田昭夫も。 ^ 時差の都合で日付の差異が絡むため。 ^...
149 KB (22,570 words) - 14:06, 5 January 2025
」が「名字」、「次郎三郎」が「通称」、「源」が「氏(うじ)」ないし「姓(本姓)」、「朝臣」が「姓(カバネ)」(古代に存在した家の家格)、「家康」が「諱(いみな)」(本名、実名)となる。 日本での名字の数は、たとえば「斎藤」と「斉藤」を別としてカウントし、「河野」を「こうの」と「かわの」で区別して別...
37 KB (6,266 words) - 13:33, 15 December 2024
1872年に壬申戸籍が編纂された際、戸主の届出によって、戸籍へ登録する氏が定められることとなる。それまで、朝廷で編纂される職員録には本姓と諱が用いられてきたが(明治4年4月の職員録では例えば「右大臣従一位藤原朝臣實美三条」のように「氏姓諱」の下に小文字で苗字が記されていたが、同年12月の諸官省官員録では「太政大臣従一位三條實美」のように...
23 KB (3,722 words) - 07:43, 23 August 2024
寛政12年(1800年)3月11日、徳川治紀の三男として生まれる。生母は権中納言外山光実の養女(町資補の娘)・補子。初めは父・治紀より偏諱を受けて松平紀教(まつだいら としのり/のりたか)、藩主就任後は将軍・徳川家斉より偏諱を受けて徳川斉昭と名乗った。 藩政改革に成功した幕末期の名君の一人である。しかし将軍継嗣争いで大老・井伊直...
36 KB (4,975 words) - 22:13, 9 December 2024
東城王(とうじょうおう、生年不詳 - 501年)は百済の第24代王(在位:479年 - 501年)である。『三国史記』によれば、諱を牟大、あるいは摩帝とし、第22代の文周王の弟・昆支の子とする。名と系譜については以下の異説がある。 『南斉書』では牟大とし、牟都(文周王...
11 KB (1,651 words) - 14:35, 16 July 2024
伊達郡(のちの福島県内)の熊坂台州:114、あるいはその友人で本話の主人公でもある魚籃道人(鹿柴瞀人)と推定されている。 ^ 著者 木村黙老(通称:木村亘、諱:通明)とその祖父である木村亘(諱:季明):342はどちらも名前が「木村亘」で、どちらも家老になった:221, 342ため混同されるが、黙老のほうは源内とは世代が違う。...
76 KB (9,767 words) - 07:17, 6 January 2025
諸侯、卿、大夫の氏姓や系譜、居所、諡、及びそれら王侯卿大夫の発明に帰せられる器物の由来等を誌した書。唐代には太宗の諱を避けて『系本(けいほん)』と呼ばれる場合もあった[要検証 – ノート]。 完本は逸するが諸書に引用された逸文が遺されている。 原書の成立時期は、戦国時代中期以降と見たりその末期と見た...
11 KB (1,986 words) - 17:14, 2 November 2023
いた。即位した新帝はすぐ正殿太和殿(中国語版)に昇り、金製の「御製命名册」原本を開き、自らの諱を選んで改名することになっており、それまでの諱は字とした。なお「福」の字は姓の一部ではなく、広南阮氏全体を表す諱の一字であるが、通例皇族が名乗る場合には省略されることが多い。 [脚注の使い方] ^ a b...
35 KB (4,674 words) - 15:09, 4 December 2024
その後も、池田輝政の長男輝直(後の利隆)、加藤清正の次男清孝(忠正)、福島正則の次男忠清(後の忠勝)など、豊臣氏の再生産は続いている。福島忠勝の例では、諱では将軍徳川秀忠の偏諱を与えられており、明らかに江戸幕府を通じての官位叙任であるにもかかわらず、幕府は豊臣の氏の使用を阻止できないでいる。秀頼がなお健在であると...
27 KB (3,422 words) - 04:45, 30 August 2024
– 天明5年12月24日(1786年1月23日))は、江戸時代中期の黄檗僧、画僧。長崎派の花鳥画を能くした。 道号は玄峰、恵達、のち海眼。法諱は淨要、淨光、淨博。画号は鶴亭が有名だが、ほかに如是道人、如是主人、米寿翁、白羊山人、南窓翁、墨翁、五字庵などがある。...
6 KB (617 words) - 14:53, 18 January 2022
山井 崑崙(やまのい こんろん、? - 享保13年1月28日(1728年3月8日))は、江戸時代の儒学者で考証学〔疑問有り~ノート参照〕の第一人者。諱は重鼎(略して鼎とも表記した)、通称は善六、字は君彝、忠甫。崑崙は号。本姓は大神。 紀州海部郡小南村(現 和歌山県海南市)に、医者の山井高卓の長男と...
3 KB (460 words) - 02:58, 3 November 2021
兀庵普寧(ごったん ふねい)は、鎌倉時代中期に南宋から渡来した臨済宗の僧。諡は宗覚禅師。法諱は普寧。号は兀庵。 無準師範に師事。文応元年(1260年)、蘭渓道隆・円爾の招きにより来日し、博多の聖福寺に入った。鎌倉幕府執権北条時頼の要請により鎌倉建長寺2世となる。建長寺の本尊は地蔵菩薩であるが、兀庵...
3 KB (339 words) - 11:34, 25 October 2023
ある。同寺にはベトナム仏教教会の本部が設置されている。 舘使寺は15世紀、後黎朝により建立された。『皇黎一統志』によると、後黎朝の第15第皇帝世宗(諱:黎維潭、在位1573年-1599年)は首都昇龍(現ハノイ)にチャンパ王国、ラーンサーン王国の使者を迎える施設「舘使」の建設を命じたが、それらの使者...
2 KB (187 words) - 23:57, 11 September 2022
天文14年(1545年)、浅井久政の嫡男として、六角氏の居城・南近江の観音寺城下(現在の滋賀県近江八幡市安土町)で[要検証 – ノート]生まれる。幼名は猿夜叉。 下克上によって、直接の主筋で北近江の守護であった京極氏を追い落とした浅井氏も、当時南近江の守護であった六角氏との合戦に...
34 KB (5,470 words) - 07:59, 19 December 2024
曹洞宗の開祖。晩年には、希玄(きげん)という異称も用いた。宗門では高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)と尊称される。諡号は仏性伝東国師、承陽大師。諱は希玄。道元禅師(どうげんぜんじ)とも呼ばれる。主著・『正法眼蔵』は、和辻哲郎やスティーブ・ジョブズら後世に亘って影響を与えている。...
23 KB (3,458 words) - 19:52, 6 January 2025