ロストフ公国(ロシア語: Ростовское княжество)は、ロストフを首都として1207年から1474年にかけて存在した、ウラジーミル大公国の分領公国である。また、ロストフは10世紀後半から1125年までの間、北東ルーシ(ウラジーミル大公国領域)の首都であり、ロストフを含む北東ルーシ地域は、現ロシアの根幹を成す地域となった。...
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ロストフに配置された。北東ルーシの町ロストフは、ロストフ公家の祖であるウラジーミル大公コンスタンチン(1185年-1218年)の時代には強国・「ロストフ公国」の中心地としてキエフ・ルーシの中でも最も重要な都市の一つとなるに至った。やがてロストフ公国は「ロストフ・スーズダリ公国...
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ロストフ公(ロシア語: князь ростовский)はロストフ公国の君主の称号である(「公」はクニャージからの訳出による)。君主号・公国の名は、その首都だったロストフによる。 ロストフ公国は1207年にウラジーミル大公国の分領公国として成立するが、ロストフ...
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キエフ公国 Киевское князство キエフ公国(キエフこうこく、ウクライナ語:Київське князівство)は、キエフを中心に12世紀から15世紀にかけて存在したリューリク朝の公国である。現代のウクライナ中部に当たるルーシ南部に国土を持ち、ルーシ西部に成立したハールィチ・ヴォ...
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ロストフ州 ロシア語: Ростовская область ロストフ州(ロストフしゅう、ロシア語: Ростовская область)は、ロシア連邦を構成する州(オーブラスチ)のひとつ。南部連邦管区に属し、北カフカスに位置する。 歴史的にクバーニと呼ばれた地方である。...
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ペレヤスラヴリ・ザレスキー公 ロストフ公国 - (ロストフ - 989年頃 - 1474年)cf.ロストフ公 ウスチュグ公国 - (ヴェリキイ・ウスチュグ - 1354年 - 1474年) Бохтюжское княжество(ru) - (不明・1364年 - 1434年) ヤロスラヴリ公国 - (ヤロスラヴリ・1218年...
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コンスタンチン (ウラジーミル大公) (category ロストフ公)
1216年には弟のユーリー2世とヤロスラフ(後のヤロスラフ2世)の軍を破り、ウラジーミルに入り、大公になる。 1218年に死去。三人の息子に世襲分の領土を分割し、ロストフ(ロストフ公国)をヴァシリコに、ウグリチ(ウグリチ公国)をウラジーミルに、ヤロスラヴリ(ヤロスラヴリ公国)をフセヴォロドに遺贈した。 そして、大公位は弟のユーリーに渡った。...
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当時の辺境地であった北東ルーシに位置した。首府はウラジーミル。 1054年、キエフ大公ヤロスラフ1世の死に際して大公国領が存命の息子たちに分配され、第四子フセヴォロド1世は南方のペレヤスラヴリに加えて古都ロストフ等を含むヴォルガ上流域の北東ルーシを獲得した。1097年、リューベチ諸公会議により諸公の...
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ロシアの古都の一つで、ウラジーミル・スーズダリ大公国の首都として栄えた。いわゆる「黄金の環」を構成する都市の一つ。1108年頃にキエフ大公ウラジーミル・モノマフにより要塞として建設されたといわれる。この要塞は、ロストフ・スーズダリ公国(ウラジーミル・スーズダリ大公国...
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ベロオーゼロ公国(ロシア語:Белозерское княжество / Principality of Beloozero)は、分領制時代のルーシの公国の一つ。ロストフ公国から1238年に分立し、モスクワ大公国の支配を受け1486年に併合された。首都はベロオーゼロ(現在のベロゼルスク)。 ロストフ公...
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トヴェリとその分領公国 T:トヴェリ大公国、K:カシン公国、H:ホルム公国、M:ミクリン公国、 D:ドロゴブージ公国、Z:ズブツォフ公国 周辺の主な公国、都市 MO:モスクワ大公国、N:ノヴゴロド公国、S:スモレンスク公国 TR:トルジョーク、B:ウラジーミル ポイントは公国の首都の位置のみを示す。国境線は現在のもの。...
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Константинович, 1209年12月7日 - 1238年3月4日)は、ロストフ公(在位:1218年 - 1238年)。ウラジーミル大公コンスタンチンの長男。 1209年に生まれる。 1218年の父の死に伴い、ロストフ公位(およびコストロマ、北部ガーリチ地方)を相続する。...
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に反してスモレンスクへ行くと、ダヴィドの連隊を率いて再度ムーロムを攻め、ムーロム公イジャスラフを戦死させた。さらにスーズダリ、ロストフをも陥とし、ムーロム公国・ロストフ公国領全域を手中に収めると、ポサードニクを配してダーニを課した。しかしノヴゴロド公ムスチスラフ(モノマフの長男)に戦況を巻き返され...
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クレーフェ伯国/公国 Grafschaft (Herzogtum) Kleve 1560年ごろのクレーフェ公国(赤色) クレーフェ公国(独:Herzogtum Kleve [ˈkleːvə])クレーヴェ公国、またはクレーフ公国(蘭:Hertogdom Kleef)は、神聖ローマ帝国の領邦国家。その...
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スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ (キエフ大公) (category トゥーロフ公)
1146年に父フセヴォロドが死ぬと、スヴャトスラフはキエフ大公位についたイジャスラフに助力してロストフ・スーズダリ公ユーリー(ユーリー・ドルゴルーキー)と戦った(1146年 - 1154年)。ユーリーが1157年に死亡した後は、チェルニゴフ公国を巡るイジャスラフと、オレグの子スヴャトスラフの闘争に、イジャスラフの側について参戦した(1157年...
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ウグリチ公国(ロシア語: Углицкое княжество)は、ウグリチを首都として成立した分領公国である。 ウグリチ公国は1216年にロストフ公(後にウラジーミル大公)コンスタンチンが、ロストフ公国を息子たちに分割相続させたことで成立した。初代のウグリチ公はコンスタンチンの子のウラジーミルであった。...
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と結婚していたが、アレクセイ・ボリソヴィッチは、生涯結婚せず、子どももいなかった。 個人的には、アレクセイ・ロバノフ=ロストフスキー公は、みずからロストフ公国以来の名門、ロストフ公の流れを汲むことを誇りとするロシアの大貴族であったと同時に、ロシアの幅広い教養、とりわけ歴史や家々の系譜に深く通暁した...
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1178年。ゴロデツ・オスチョール公:1169年 - 1171年。ロストフ公:1175年 - 1176年。通称ベゾキー(Безокий / 目のない者、の意)。 1174年にウラジーミル大公アンドレイ・ボゴリュブスキーを殺害したロストフとスーズダリのボヤーリン(貴族)たちは、ムスチスラフと弟のヤロポ...
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ロスチスラフ・ウラジミロヴィチ(ロシア語: Ростислав Владимирович、1038年頃 - 1067年2月3日)はキエフ大公ヤロスラフ1世の孫、ノヴゴロド公ウラジーミル・ヤロスラヴィチの子である。ロストフ公:? - 1057年、ヴォルィーニ公:1057年 - 1064年、トムタラカニ公:1064年...
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世紀前半、ユーリー・ドルゴルーキー(手長公)の時代にロストフ・スーズダリ公国(ウラジーミル・スーズダリ大公国の前身)の首都となる。以後、14世紀末にモスクワ大公国の支配下に入るまで、ウラジーミル・スーズダリ大公国をはじめとする諸公国(スーズダリ公国等)の首都として機能しいわゆる「黄金の環」を形成した...
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1015年7月24日)は、キエフ大公ウラジーミルの子である。ロストフ公(在位:1010年頃 - 1015年)。聖名ロマン。死後、兄弟のグレプ(ru)と共に聖ボリスとグレブとして列聖された。 『キエフ年代記』によれば、ボリスはブルガール人の母から生まれ、兄弟のヤロスラフと共にロストフ(ロストフ公国...
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リトアニア大公国 Lietuvos Didžioji Kunigaikštystė (リトアニア語) Вялікае Княства Літоўскае (ベラルーシ語) 1387年頃の領土 リトアニア大公国(リトアニアたいこうこく、ベラルーシ語: Вялікае Княства Літоўскае、リトアニア語:...
16 KB (1,512 words) - 12:35, 16 June 2024
カール5世 (神聖ローマ皇帝) (redirect from カルロス5世)
サベル1世であった。さらに父方の祖父母は神聖ローマ皇帝であるマクシミリアン1世と、かつてヴァロワ朝フランス王国とすら互角に渡り合った大国ブルゴーニュ公国の女公マリーという、当時のヨーロッパ王族のサラブレッドともいうべき血筋の生まれであった。 カール5世の統治領域の中心はスペインであり母・フアナもスペ...
57 KB (5,294 words) - 16:54, 21 December 2024
フ公国の公たちが、キエフ大公位を狙うイジャスラフ(後にイジャスラフ2世)と組み、ノヴゴロド・セヴェルスキー公国の相続権を主張したため、スヴャトスラフはノヴゴロド・セヴェルスキー公国を保持するために戦った。スヴャトスラフは、同じくキエフ大公位を狙い、イジャスラフと対立していたロストフ...
16 KB (1,379 words) - 06:23, 25 November 2023
ムスチスラフ1世 (category ロストフ公)
1094年)、ロストフ公(在位:1094年 - 1095年)、ベルゴロド公(在位:1117年 - 1125年)、キエフ大公(在位:1125年 - 1132年)。「偉大なる」ムスチスラフとあだ名される。ウラジーミル・モノマフの長男。 1076年にスモレンスクに生まれる。1093年から95年までロストフ...
5 KB (359 words) - 03:49, 4 January 2023
公国、ドミトロフ公国(ru)、トヴェリ大公国に、東から南にかけてはロストフ公国、ユリエフ公国(ru)、ウラジーミル大公国に接していた。 しかし、1302年に公のイヴァン(ru)が跡継ぎのいないままに死亡したため、イヴァンが最後のペレヤスラヴリ・ザレスキー公となった。公国...
6 KB (704 words) - 02:45, 17 December 2023
公国領域)における、諸公国間の内戦をまとめたものである。この内戦は、1146年にキエフ大公フセヴォロドが死亡した後のキエフ大公位並びに他の諸公国の公位をめぐる権力闘争である。内戦は、南西ルーシのヴォルィーニ公国を領有するイジャスラフと、その叔父にあたり、北東ルーシを基盤とする、ロストフ...
28 KB (2,219 words) - 05:50, 2 October 2021
ルスキー公爵の国民軍はこの修道院から出撃した。1787年には修道院は閉鎖され、建物はヤロスラヴリおよびロストフ府主教の邸宅に転用され、建物の増築や再建が行われた。 救世主顕栄大聖堂のほかには、17世紀に遡る「ヤロスラヴリ式」と呼ばれる、赤レンガで建てられ白い明るい色のタイルを外観に張った聖堂がいくつ...
11 KB (1,008 words) - 07:50, 17 January 2024
トヴェリとその分領公国 T:トヴェリ大公国、K:カシン公国、H:ホルム公国、M:ミクリン公国、 D:ドロゴブージ公国、Z:ズブツォフ公国 周辺の主な公国 MO:モスクワ大公国、N:ノヴゴロド公国、S:スモレンスク公国 ポイントは公国の首都の位置のみを示す。国境線は現在のもの。 カシン公国(ロシア語: Кашинское...
15 KB (1,268 words) - 22:03, 2 January 2024
トフスキとコシチュシコはフランスへ亡命し、再起を図ることにした。 ナポレオン戦争中の1807年にはナポレオンによってワルシャワ公国が建国された。貴族共和制の復活を望む一部のポーランド人は公国を支持したが、実態はフランス帝国の衛星国に過ぎなかった。1815年、ウィーン議定書に基づきワルシャワ公国...
200 KB (24,881 words) - 00:36, 21 December 2024
シチ川の戦い (category ウラジーミル・スーズダリ大公国)
ロスラヴリ公フセヴォロドは戦死し、捕虜となったロストフ公ヴァシリコはシレンスクの森で処刑された。スヴャトスラフ(ru)、ウラジーミルは退却に成功した。 シチ川での敗北は、ウラジーミル大公国の、モンゴルの侵攻に対する抵抗を無力化させた。ウラジーミル大公国...
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