大セルジューク朝 セルジューク帝国 آل سلجوق (ペルシア語) 大セルジューク朝の最大版図(1092年) 大セルジューク朝(Seljuk Empire(ペルシア語: آل سلجوق)またはGreat Seljuq Empire)は、オグズのキニク(英語版)部族から始まる中世盛期のトルコ系ペル...
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トルクメニスタンを中心に存在したイスラム王朝。大セルジューク朝は1038年から1157年まで続き、最後の地方政権のルーム・セルジューク朝は1308年まで続いた。 テュルク系遊牧民オグズの指導者セルジューク(英語版)および、彼を始祖とする一族(セルジューク家)に率いられた遊牧集団(トゥルクマーン)によ...
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ルーム・セルジューク朝 السلاجقة الروم (ペルシア語) Anadolu Selçuklu Devleti (トルコ語) 1240年代までのルーム・セルジューク朝の支配領域 ルーム・セルジューク朝(ルーム・セルジュークちょう、ペルシア語: سلجوقیان روم Saljūqiyān-i...
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セルジューク朝が西アジアに現れた当時はエジプトを本拠地とするファーティマ朝の支配下にあったシリアには、セルジューク朝の尖兵として、セルジューク家の宗主権を認めるトゥルクマーンの部族長アトスズが侵入していたが、ファーティマ朝との戦いが膠着したため大セルジューク朝第3代スルタンのマリク...
15 KB (2,051 words) - 10:53, 12 May 2023
bi門に晒し、胴体はレイで吊るし上げられた。大セルジューク朝、イラク・セルジューク朝の領土とそれらの王朝の「スルターン」を称する人物は消滅し、イラク・セルジューク朝の領土はホラズム・シャー朝に編入された。 11世紀のマリク・シャーの時代からセルジューク朝の宮廷ではペルシア語の文芸活動が振興され、サ...
15 KB (1,892 words) - 02:24, 14 October 2024
ホラズム・シャー朝は、セルジューク朝に仕えたテュルク系のマムルーク、アヌーシュ・テギーンが、1077年にその30年ほど前まではガズナ朝の領土であったホラズム地方の総督に任命されたのを起源とする。アヌーシュ・テギーンの死後、その子クトゥブッディーン・ムハンマドが1097年頃にセルジューク朝...
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ケルマーン・セルジューク朝(ペルシア語 : سلجوقيان كرمان Saljūqiyān-i Kirmān)は、セルジューク朝の地方政権のひとつで、現在のイランの東南部にあたるケルマーン地方を支配したイスラム王朝(1048年 - 1187年)。 ケルマーンのセルジューク朝は、大セルジューク朝...
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シリア・セルジューク朝 ケルマーン・セルジューク朝 イラク・セルジューク朝 イルデニズ朝 ホラズム・シャー朝 アルトゥク朝 ブーリー朝 ザンギー朝 イルハン朝 ベイリク オスマン帝国 ムザッファル朝 ジャライル朝 ティムール朝 黒羊朝 白羊朝 サファヴィー朝 イラクのマムルーク朝 アフシャール朝 ザンド朝...
10 KB (1,095 words) - 15:26, 4 September 2023
ク・シャーは17歳という若年で大セルジューク朝のスルタンに即位した。しかしこれは彼のアタベクで名宰相(ワズィール)と称されたニザームルムルクの画策するところが大きく、伯父で父アルプ・アルスラーンの長兄であった ケルマーン・セルジューク朝...
8 KB (846 words) - 11:11, 3 February 2025
11世紀は、西アジアでトルコ系のイスラム王朝のガズニ朝やセルジューク朝の台頭が著しく、前者は北インドに侵入しインドのイスラム化の契機をつくり、後者は東ローマ帝国を打ち破って、小アジアにまで勢力を伸ばした。北アフリカのモロッコ近辺ではムラービト朝などベルベル人のイスラム王朝の台頭が始まって、レコンキ...
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第1回十字軍 (category セルジューク朝)
ク・シャーが亡くなると、大セルジューク朝は内紛続きで分裂状態になっており、セルジューク系の各地方君主たちは互いに相手の隙につけこんでは戦う情勢だった。アナトリア方面はセルジューク朝の本家である大セルジューク朝ではなく、分家のルーム・セルジューク朝の統治下にあり、シリアを統治するセルジューク朝...
51 KB (8,131 words) - 22:47, 21 July 2024
1094年11月)は、セルジューク朝の君主(スルターン)である(在位:1092年 - 1094年)。マフムード1世は父親のマリク・シャーのスルターンの地位を継承したが、セルジューク国家全体の支配権を得ることはできなかった。 マリク・シャーの生前、宰相のニザームルムルクはマリク...
4 KB (370 words) - 11:07, 23 April 2020
イランの歴史 (section セルジューク朝の分裂とホラズム・シャー朝)
やカフカズを失い、今日ある姿での国民国家「イラン」の原像が立ち現れてくることになる。 セルジューク朝はマリク・シャーの没後、遊牧的分割相続の影響もあり分裂が始まる。イラン高原方面を治めたのが、宗家大セルジューク朝であるが、シリア、イラク、ケルマーン、ルームなどの地方政権が分立し、各政権間およびその...
93 KB (14,389 words) - 15:18, 12 January 2025
アフマド・サンジャル (category セルジューク朝の君主)
1107年にサンジャルはゴール朝の領土に侵入し、ゴールの支配者であるイシュズッディーン・フサインを捕らえたが、貢納と引き換えに彼を釈放した。1117年にサンジャルは長年セルジューク朝と敵対していたガズナ朝の首都ガズナを陥落させ、セルジューク朝への従属を認めるバフラーム・シャーをガズナの王位に就け、王朝の最盛期のマリク...
26 KB (3,414 words) - 02:52, 16 April 2025
クルチ・アルスラーン1世 (category ルーム・セルジューク朝の君主)
Arslan、1079年 - 1107年)は、ルーム・セルジューク朝の第2代スルタン(在位:1092年 - 1107年)。 彼は大セルジューク朝のスルタン・マリク・シャーの死後に即位し、父スライマーンの死後一旦滅びていたルーム・セルジューク朝を再興した。しかし彼の支配した時代はちょうど十字軍の始ま...
11 KB (1,460 words) - 13:56, 15 March 2025
セルジューク朝の衰退後はルーム・セルジューク朝やホラズム・シャー朝などのセルジューク朝から自立したイスラム王朝で君主の称号として採用され、スンナ派イスラム世界において一般的な称号として定着する。これ以降、アイユーブ朝、マムルーク朝などの諸王朝は、アッバース朝カリフの承認のもとでスルターンの君主号を称し、自らの...
10 KB (1,232 words) - 07:07, 10 March 2025
アルトゥク朝 1200年頃の中近東 アルトゥク朝(英語 Artuqid Dynasty)はディヤール・バクルを11世紀から15世紀にかけて支配した王朝。 アルトゥク朝はオグズ族系トゥルクマーンによるセルジューク朝系アタベク政権であり、ディヤール・バクル(ディヤール・バクルは地方名。今日のディヤルバク...
25 KB (3,155 words) - 10:47, 12 May 2023
マフムード2世(Mahmud II、1105年? - 1131年9月10日)は、イラク・セルジューク朝の初代スルタン(在位:1118年4月 - 1131年)。 父は大セルジューク朝の第7代スルタンであるムハンマド・タパルで長男。1118年4月の父の死後、叔父のアフマド・サンジャルと分割する形で跡を継...
2 KB (198 words) - 11:08, 23 April 2020
マムルークの中のトュルク系オグズ族のセルジュークが部族を糾合し、1038年にはホラサーンの支配を確立しセルジューク朝を樹立した。1055年にはトゥグリル・ベクがバグダードに入城し、アッバース朝のカリフからスルタンの地位を授かった。セルジューク朝...
23 KB (3,014 words) - 11:49, 9 January 2025
1145年 高麗仁宗の命を受け金富軾が撰した『三国史記』が完成する。 シトー会出身最初の教皇エウゲニウス3世が選出される。 1146年 セルジューク系アルトゥク朝によりディヤルバクルのマラバディ橋(英語版)が建設される。 1147年 第2回十字軍(-1149年)。ヴェンド十字軍。...
100 KB (11,795 words) - 14:55, 18 April 2025
朝は当初セルジューク朝に貢納を行い、セルジューク朝滅亡後に完全に独立するが、王朝内でセルジューク朝との関係は重要視されていた。 セルジューク朝のほか、エジプトのアイユーブ朝とマムルーク朝、キリスト教国家であるグルジア王国でもアタベクの称号は使用された。 マムルーク朝...
8 KB (1,141 words) - 13:46, 29 April 2024
マラズギルトの戦い (category セルジューク・東ローマ戦争の戦闘)
東ローマ帝国が大セルジューク朝と接触を持ったのはコンスタンティノス9世の時代であり、アルメニアの首都アニであった。しかしコンスタンティノス9世は東ローマ帝国とセルジューク朝との間に和議を結んだ。この和議は1064年にセルジューク朝がアニを征服するまで続いた。コンスタンティ...
37 KB (5,362 words) - 04:48, 19 March 2025
アルプ・アルスラーン (category セルジューク朝の君主)
1072年12月15日)は、セルジューク朝の第2代スルターンである(在位:1064年4月27日 - 1072年12月15日)。トゥグリル・ベクの甥で、トゥグリルとともにホラーサーン以西におけるセルジューク家の勢力確立に貢献した彼の兄弟チャグリー・ベクの息子。長兄にケルマーン・セルジューク朝...
12 KB (1,687 words) - 14:11, 15 March 2025
71年にアナトリアの中央部に入植し支配を確立した。1086年にアナトリアを支配するルーム・セルジューク朝の初代スルタン・スライマーン・イブン=クタルミシュが殺され、1092年に大セルジューク朝のスルタン・マリク・シャーが没すると王朝の後継争いが起きアナトリア各地のテュルク系支族がスルタン位をめぐって...
14 KB (1,419 words) - 10:55, 12 May 2023
ークはセルジューク朝の支配機構を支えたが、やがてセルジューク朝が衰退に向かうとイクターが世襲される傾向が生まれて分権化の傾向が進み、さらに各地でアタベクが自立してアタベク政権が乱立、セルジューク朝は分裂した。 12世紀後半にエジプトを支配するファーティマ朝を乗っ取ってアイユーブ朝...
25 KB (3,921 words) - 05:05, 9 February 2025
マケドニア王国 セレウコス朝シリア アッタロス朝ペルガモン王国 ポントス王国 大アルメニア王国 ローマ帝国 東ローマ帝国 ニカイア帝国 トレビゾンド帝国 小アルメニア王国(キリキア・アルメニア王国) en:Lesser Armenia セルジューク朝 ルーム・セルジューク朝 オスマン帝国 [脚注の使い方]...
7 KB (784 words) - 02:10, 24 June 2023
朝がバグダードに入城したことで実質的な権力を失い、その後は有力勢力の庇護下で宗教的権威としてのみ存続していくこととなった。1055年にはブワイフ朝を滅ぼしたセルジューク朝の庇護下に入るが、1258年にモンゴル帝国によって滅ぼされてしまう。しかし、カリフ位はマムルーク朝...
62 KB (7,709 words) - 19:12, 23 March 2025
セルジューク朝がレーモン4世の軍を撃退した後、アンカラはセルジューク系のアミールであるダーニシュマンド家の政権やルーム・セルジューク朝、さらにはモンゴル政権であるイルハン朝の支配を受けた。 アンカラは1356年にオスマン朝...
19 KB (1,652 words) - 20:31, 7 January 2025
ザンギー (category ザンギー朝の君主)
彼はアレッポのかつての王、シリア・セルジューク朝のリドワーン王の娘で、以前のアタベク・イル・ガーズィーおよびバラク(アルトゥク朝)の未亡人だった女性と結婚しアタベクとなり、アタベク政権ザンギー朝を打ち立てた。彼はマフムード2世より北メソポタミア(ジャズィーラ)とシリアにおける権威の保証を取り付け、大セルジューク朝...
22 KB (3,327 words) - 12:28, 6 March 2024
1187年)。ガズニー朝ともいう。 ガズナ朝は、王家の出自はテュルク系マムルークが立てたイスラム王朝であるという点において、セルジューク朝や後のオスマン朝のように部族的な結合を保ったままイスラム世界に入った勢力が立てたテュルク系イスラム王朝とは性質が異なり、むしろアッバース朝の地方政権であったトゥールーン朝...
17 KB (1,469 words) - 23:21, 16 March 2025
1063年9月4日)は、セルジューク朝の創始者であり初代スルターン(在位:1038年 - 1063年)。 キルギス草原からブハラ方面に進出して勢力を拡大したテュルク系遊牧民集団の族長であるセルジューク(セルチュク)の孫に当たる人物で、セルジュークの息子のひとりミーカーイールの三男であったらしい。兄にチャグリー・ベク...
9 KB (1,095 words) - 02:50, 16 April 2025