• 以下に記載されるローマ軍団は、共和政ないし帝政期を通じて編成された軍団である。軍団の名前をローマ数字で表し、それに通称(コグノーメン、「家族名」と同じラテン語)と、動物や伝説上の半神などによる紋章が附随するのが通常であった。 レギオーに帰属を求める習慣が確立されたのはガイウス・マリウスの軍制改革を経...
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  • ローマ軍団ローマぐんだん、古典ラテン語:legio、レギオー)は、古代ローマにおける軍隊(excercitus)のうち陸軍の基本的な編成単位のことである。軍団ローマ市民権を有する者だけで構成されていた。 1つの軍団は、時代によっても異なるが、帝政ローマ時代では1つの軍団...
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  • Category:ローマ帝国の戦争 Category:古代ローマの戦闘 Category:共和政ローマの戦闘 Category:ローマ帝国の戦闘 ローマ軍団 Category:古代ローマ人 Category:古代ローマの人名 共和政ローマ執政官一覧 帝政ローマ初期執政官一覧 ローマ皇帝一覧 ローマ...
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  • ローマ軍駐屯地を起源としているものが少なくない。 再現イベントにおける第14軍団ゲミナ(ローマ軍団ローマ軍団のLegio XV Apollinaris(のコスプレによる再現) 動画。ローマ軍の訓練。 ローマ兵士とプレートアーマー(ロリカ・セグメンタタ) ロリカ・セグメンタタを着用した軍団兵 プラエトリアニ...
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  • 桜井万里子・本村凌二『世界の歴史5 ギリシアとローマ』中央公論社、1997年。 長谷川岳男・樋脇博敏『古代ローマを知る事典』東京堂出版、2004年。 三浦櫂利『西洋甲冑武器事典』柏書房、2000年。 ウィキメディア・コモンズには、共和政ローマに関連するメディアがあります。 古代ローマ SPQR ローマ法 古代ローマの公職一覧 ローマ軍団...
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  • ウィキメディア・コモンズには、ローマ帝国に関連するカテゴリがあります。 SPQR ローマ軍団 ローマ帝国の人口学 ローマ帝国時代の服飾 古代ローマの通貨 ローマ帝国初期のゲルマニア戦役 ローマ帝国支配下のギリシャ ローマ帝国の国境線 ローマ帝国以外で2世紀前半に存在した他国 パルティア クシャーナ朝 後漢 『ローマ帝国』...
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  • ローマ帝国 Imperium Romanum 西ローマ帝国の領域(395年頃) 西ローマ帝国(にしローマていこく)は、ローマ帝国のうち西半分の地域を指す呼称である。 一般に、テオドシウス1世死後の西方正帝が支配した領域および時代に限定して用いられるが、286年のディオクレティアヌス帝による東方正帝と...
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  • 第8軍団アウグスタ(だい8ぐんだんアウグスタ、Legio VIII Augusta)は、ローマ軍団のひとつ。 ユリウス・カエサルの創設から帝国末期の5世紀前半期まで存続した。途中、解散した時期があったが、アウグストゥスによって再編された。 ローマ軍団一覧 表示 編集...
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  • ローマ帝国 Res Publica Romana(ラテン語) Πολῑτείᾱ τῶν Ῥωμαίων(ギリシア語) 東ローマ帝国の版図の変遷 公式な国号は「ローマ帝国」。 正式な成立時期はない。 東ローマ帝国(ひがしローマていこく)またはビザンツ帝国、ビザンティン帝国、ギリシア帝国、ギリシャ帝国...
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  • ア司令官二人を反乱の疑いで自死に追いやり、ローマ軍内部でネロに対する不満が高まっていた。 そしてついに67年、ガリア・ルグドゥネンシス総督であったガイウス・ユリウス・ウィンデクスがガリアで反乱を起こし、ガルバを皇帝に擁立した。 ゲルマニア・スペリオルの軍団を率いるルキウス・ウェルギニウス・ルフスは...
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  • 第3軍団イタリカ(イタリア語: Legio III Italica)は、ローマ軍団の一つで、マルコマンニ族に対する戦役のためにマルクス・アウレリウス・アントニヌスが165年ごろに徴募して編成した。イタリカという通称から、兵はイタリアで徴募されたことが窺える。この軍団...
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  • 軍団の合流を待った。カルタゴ軍は南進し、トレビア川を挟んでローマ軍と対峙した。12月18日、ハンニバルは騎兵によってローマ軍を対岸に誘引し、さらに林の中に埋伏させた弟マゴの指揮する騎兵にローマ軍の後方を奇襲させ、大損害を与えた。(トレビアの戦い) この勝利はハンニバルの名声を大きく高めた。ローマ...
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  • ブリタンニア (category 古代ローマの属州)
    ローマで政変が起こり、結局実行されなかった。 ブリタンニアが実際にローマの勢力に組み入れられたのは、43年のクラウディウス帝の遠征によってである。このときアウルス・プラウティウス(英語版)を総司令官とする4個軍団約4万のローマ軍...
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  • ガリア戦争 (category 共和政ローマの戦争)
    ローマ軍を追尾して攻撃を仕掛けた。しかし、ゲルマン騎兵とローマ重装歩兵の共同行動によってガリア軍は敗退した。ガリア軍は逆に追われる立場となり、マンドゥビイ族の都市アレシアへ逃げ込んだ。 一方で、アウレルキ族やセノネス族らを抑えるべくカエサルとは別に4軍団...
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  • グナエウス・ポンペイウス (category 紀元前1世紀の古代ローマ人)
    ローマを制圧するためにギリシアから軍を率いて戻ってきた。ポンペイウスはピケヌムのキンナ派有力者を追放し、自費で募兵した3個軍団を率いてスッラの軍へ合流した。スッラはポンペイウスの参戦が、キンナ派のプロコンスル、グナエウス・パピリウス・カルボ有するローマ軍団...
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  • 000人の軍団をアラビア半島に輸送した。しかし半島に集結したローマ軍団はイエメンまでの広大な砂漠の中を行軍しようとしたものの失敗し、アラビア半島を勢力下に収めるという当初の作戦を放棄せざるを得なかったという。 一方その頃、エジプトから見て帝国の向こう側、ゲルマニア地域においてもローマ海軍は軍団...
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  • ローマ皇帝一覧ローマこうていいちらん)では、現代において一般的に正当と見なされている古代ローマ帝国のローマ皇帝を年代順に列挙する。 ローマ皇帝という名称は幾分、現代的な用法であって必ずしも当時の人間がその様に呼称したものではないし、時代毎に制度上の位置付けも変動している。しかしどうあれ、アウグスト...
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  • アウクシリア (category ローマ帝国の部隊と編成)
    ローマにおいて、ローマ軍の正規部隊であるレギオ(軍団)を支援する部隊。日本語では支援軍、補助兵、翼軍などと訳される場合が多い。騎兵を主力とした。アウジリアスと記述している書物もある。 アウクシリアは、次の2つに大別され、ローマ市民権を持つ軍団兵からなるレギオとは区別された。 ローマ...
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  • ケントゥリオ (category 古代ローマの軍制)
    ケントゥリオ(ラテン語: centurio)とは、古代ローマ軍の基幹戦闘単位であるケントゥリア(百人隊)の指揮官のことである。日本語では一般的に「百人隊長」「百卒長」と訳される。 兵の指揮統制をはじめ非戦闘時における隊の管理など、軍の中核を担う極めて重要な役割を果たし「ローマ軍団...
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  • 団に属していた訳ではない。エルヴィン・ロンメルの指揮により、大きな戦果を挙げた。 ドイツ・アフリカ軍団の戦闘の詳細は、北アフリカ戦線を参照。 1940年9月イタリア領リビアに駐留するイタリア軍は、ローマ帝国の再来を夢見てイギリス領エジプトへの侵攻を開始した。しかし、攻勢は12月からイギリス軍の反撃に...
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  • 古代にはボイイ人(古代ギリシア語: Βόϊοι、ラテン語: Boii)がボヘミアからモラヴィア、スロバキアにかけての地域に住んでいた。 紀元前9年、大ドルスス率いるローマ軍団がマルコマンニをボヘミアに追いやった。マルコマンニ王のマルボドゥウスの治世下では、同じゲルマン系で北方のケルスキ族(英語版)のアルミニウスと不仲...
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  • 執政官 (category 共和政ローマ)
    が執政官の年」(西暦では紀元前27年に相当) 執政官は共和政ローマにおける最高職である。定員は2名。モムゼンは、コンスルという名はこの同僚制から来ているとしている。平時は内政の最高責任者として政務を執り、戦時は軍団を組織するとともに軍団の最高指揮官として軍務を掌握し、また戦場においては直接指揮を執...
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  • トイトブルク森の戦い。 プブリウス・クィンクティリウス・ウァルス率いるローマ軍はアルミニウス率いるゲルマン人に大敗し、ローマ帝国はライン川以北の属州化を断念。 トイトブルクの戦いで壊滅した第17、第18、第19軍団に代わって第2、第13、第20軍団がゲルマニアに派遣される。...
    3 KB (559 words) - 08:38, 31 October 2022
  • コグノーメン (category 古代ローマの家族名)
    co-(〜と一緒に)+ nomen(名前)に由来する。また人名だけではなく、ローマ軍団の通称(例えば第1軍団ゲルマニカの「ゲルマニカ」)もコグノーメンと呼ばれていた。英語でも元々の意味通りにではないが使われている。 古代ローマの人名において、第一名であるプラエノーメンは個人名を、第二名であるノーメン...
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  • カンナエの戦い (category 共和政ローマの戦闘)
    紀元前218年、アルプス山脈を越えてイタリア本土に侵入したカルタゴの将軍ハンニバルは、トレビア川の戦い、トラシメヌス湖畔の戦いで、ローマ軍に甚大な被害を与えた。ローマの元老院は、急遽ファビウス・マクシムスを独裁官に任命し、戦力を再編する時間を稼ぐことにした。ファビウスは、ハンニバルとの決戦を巧妙に...
    13 KB (1,886 words) - 13:03, 28 October 2024
  • ガイウス・ユリウス・カエサル (category 古代ローマの独裁官)
    スパニアへ向かう道中に立ち寄った寒村で、部下に対して「ローマ人の間で第2位を占めるよりも、この寒村で第1人者になりたいものだ」と語ったという。 カエサルは属州総督としてローマ軍を率いてルシタニ族(英語版)やガッラエキ族(英語版)を討伐し、ローマへ服属していなかった部族も従えた。カエサルはこの属州総督時代に大金を得た。...
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  • ガイウス・マリウス (category 共和政ローマの執政官)
    軍団を編成できる様になったローマ軍はこれまでにない長期間の遠征を実施する事ができるようになり、装備だけではなく訓練も一律化され、剣闘士の訓練を取り入れている。常備軍に近づいたことで、経験を積んだ軍団の戦闘能力を維持しやすくなり、標識が統一されたこともあって、各軍団...
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  • スキピオ・アフリカヌス (category 紀元前3世紀の古代ローマ人)
    それに先立つスキピオ17歳の時に第二次ポエニ戦争が勃発し、多くのローマ人がカルタゴとの戦いに駆り出された。スキピオもローマ軍に参加し、ティキヌス、トレビア、カンナエとローマ軍が敗北を重ねたいくつかの会戦を生き延び、その経験の中でハンニバルの天才的な用兵を目の当たりにし...
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  • ローマ軍団が3つも置かれていた軍事上の要地である。 シリアは東西交易や農業で栄え、多くの大都市を抱える、ローマ帝国内でも有数の豊かな属州であった。シリア属州の総督は、大きさや重要性の点でローマ帝国の中でも屈指の大都会アンティオキアに本拠を置き、パルティアとの国境地帯の要塞や軍団...
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  • Urgulanillaと結婚した。 反乱が鎮圧された後、イリュリアはローマの属州になった。 トイトブルク森の戦いの結果、ローマ帝国とゲルマン諸部族の国境をライン川とすることが決まった。 ローマ軍団の第17軍団、第18軍団、第19軍団が廃止された。 パンノニアがローマの支配に服従した。 ローマで法律Lex Papia Poppaeaが承認された。...
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  • ルキウス・コルネリウス・スッラ (category 古代ローマの独裁官)
    ていた)に「ボックスが送ったユグルタの受取人はスッラ」と刻んで功績を誇示した。 当時のローマは、南方だけでなく北方にも問題をかかえていた。紀元前113年、キンブリ族やテウトネス族などがローマ領内に侵攻し、ローマ軍は各地で破れていた(キンブリ・テウトニ戦争)。スッラがユグルタを捕らえた直後の紀元前1...
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