コンスタンティノープルの城壁は、コンスタンティノープル(現トルコ、イスタンブール)を取り囲む城壁である。 この地をローマ帝国の首都としたコンスタンティヌス1世の時代から、帝国の首都を守る大城壁の建築が始まり、歴史上、数多くの城壁や防衛施設が築かれた。 この中には古代の...
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の首都であった都市で、現在のトルコの都市イスタンブールの前身である。 強固な城壁の守りで知られ、330年の建設以来、1453年の陥落まで難攻不落を誇り、東西交易路の要衝として繁栄した。正教会の中心地ともなり、現在もコンスタンティノープル総主教庁が置かれている。 コンスタンティノープル...
33 KB (4,807 words) - 08:12, 30 July 2024
メフメト2世は1452年にボスポラス海峡のヨーロッパ側、つまりコンスタンティノープルの城壁の外側に城を建て、攻城戦の足がかりとした。この城は「ローマの城」という意味のルメリ・ヒサルと呼ばれた。コンスタンティノス11世は西ヨーロッパ諸国に救援を求めたもののその反応は鈍く、ロー...
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コンスタンティノープルの陥落後、コンスタンティノス11世のものとされる遺体が発見された。遺体はメフメトによってコンスタンティノープルに数日間晒されたが、そののち最高の栄誉をもって埋葬された。しかしそれが本当にコンスタンティノスの遺体だったがどうかは定かでなく、彼の配下にあった貴族や高級官僚の遺体であった可能性もある。...
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Κωνσταντινούπολη コンスタンディヌーポリ)は、トルコ最大の都市であり、経済・文化・歴史の中心地。ヨーロッパ有数の世界都市。トルコ語の発音に即して「イスタンブル」と表記される場合もある。 イスタンブールの人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでも最大規模の都市圏 (en) の一つで、イスタン...
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の都市ビュザンティオンに着目し、自らの名前を与えてコンスタンティノープル(コンスタンティノポリス、コンスタンティヌスの町)と改称することを決めた。そして330年に(工事はまだ途中であったが)落成式が執り行われた。また、ディオクレティ...
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コンスタンティノープルに侵入した。別動隊は内部から城壁を攻撃して守備兵を奇襲し、門を開けて、ニカイア帝国軍を侵入させた。ラテン帝国側は完全に不意を突かれ、小競り合いの末にニカイア帝国軍が陸上の城壁を奪取した。襲撃の報が都市全体を駆け巡り、ラテン皇帝ボードゥアン2世を始めとしたラテン帝国の...
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の東の皇帝の統治領域を指す。皇帝府は主としてコンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)に置かれた。 5世紀中頃の史家ソクラテス(英語版)は、コンスタンティヌスが「その町を帝都ローマに等しくすると、コンスタンティノープルと名付け、新しいローマと定めた」と書き、井上浩一は「コンスタンティ...
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第4回十字軍 (category コンスタンティノープル)
の権威を引き合いに出したのである。 教皇インノケンティウス3世は十字軍に対して再び、コンスタンティノープル攻撃を取りやめるよう要求していたが、聖職者たちは教皇からの書状を伏せたままに、十字軍は再びコンスタンティノープル攻撃の仕度を整え、ヴェネチア軍の海側からの攻撃と時を合わせ、陸上から城壁への...
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東ローマ帝国の歴史上、コンスタンティノープル包囲戦と呼ばれる包囲戦が数多く存在する。その中でコンスタンティノープルが軍事的に完全に陥落したのは、1204年の第4次十字軍によるコンスタンティノープルの奪取と、1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノープルの...
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13 May 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。18 May 2009閲覧。 フランコクラティア コンスタンティノープル包囲戦 (1203年) コンスタンティノープル包囲戦 (1235年) コンスタンティノープルの陥落 (1453年) コンスタンティノープル包囲戦の一覧 The Latin Occupation...
21 KB (2,850 words) - 01:35, 3 March 2023
コンスタンティノープル包囲戦(コンスタンティノープルほういせん、674年 - 678年)は、ムアーウィヤ時代のウマイヤ朝が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを包囲した戦いである。 アラブ・東ローマ戦争前期の重要な戦いの一つで、ウマイヤ朝の歴史の中では小アジア方面への拡張が最高潮に達した事件であった。...
38 KB (5,619 words) - 07:25, 24 November 2023
コンスタンティノープルはアラブ人による次の包囲戦を経験する。 626年の包囲戦が失敗した最大の要因は、実際に城壁を攻めたアヴァール人が十分な忍耐力と攻城技術を有していなかったことにある。ペルシア人は攻城の経験を持っていたが、コンスタンティノープルの城壁や塔の...
17 KB (2,422 words) - 05:40, 14 December 2024
の居所とされ、800年以上に渡って帝国統治の中心地だった。ごく一部の遺構や基礎部分しか現存していない。 330年にコンスタンティヌス1世がローマからコンスタンティノープルに首都を移転させたとき、彼は自身と後継者のための宮殿建設を計画した。宮殿は競馬場とアヤソフィアの...
11 KB (1,456 words) - 16:34, 3 December 2024
の競馬場はこの都市がビュザンティオンと呼ばれていたころに建設されており、当時はローマ帝国内でも中規模程度の地方都市だった。203年、皇帝セプティミウス・セウェルスが都市を再建し城壁を拡張し、このとき戦車競走などの競技場としてこの競馬場を建設した。 324年、皇帝コンスタンティヌス1世がビュザンティ...
18 KB (2,620 words) - 10:54, 25 April 2022
オスマン帝国 (category 書きかけの節のある項目)
コンスタンティノープルを包囲した際、東ローマ帝国救援に向かったフランス海軍を撃破している。ただし、1453年、コンスタンティノープルの占領に成功すると、コンスタンティノープルにさらに規模の大きな造船所が築かれたため、ガリポリスの造船所はその価値を下げることになった。...
128 KB (16,693 words) - 01:32, 11 December 2024
ローマ帝国 (category 1世紀のヨーロッパ)
ィオクレティアヌス帝が即位した285年以降は専制君主制(ドミナートゥス)へと変貌した。 330年にコンスタンティヌス1世が、後に帝国東方において皇帝府の所在地となるローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)の町を建設した。テオドシウス1世は、古くからの...
56 KB (8,085 words) - 14:53, 28 December 2024
パリ (redirect from サン・タントワーヌ大学)
Paris、巴里)は、フランスの首都。イル=ド=フランス地域圏の首府。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心地。ロンドンと共に欧州を代表する世界都市。 ルーヴル美術館を含む1区を中心として時計回りに20の行政区が並び、エスカルゴと形容される。 市域はティエールの城壁跡に造られた環状高速道路の内側の市街地(面積は86...
158 KB (16,829 words) - 02:47, 29 December 2024
コンスタンティノープルの首都長官(プラエフェクトゥス・ウルビ)であるシノーペーのダニエルを長とする使節団をダマスクスへ派遣した。続いてアナスタシオス2世は避けることが難しくなった包囲戦への準備を始めた。コンスタンティノープルの城壁が修復されるとともに十分な数の...
68 KB (9,957 words) - 07:26, 24 November 2023
攻城戦 (category 出典を必要とする記述のある記事/2011年9月)
地域の支配 地域支配の中心である城を奪えば、その地域は自ずからそれに従うようになる。国レベルにおいてもコンスタンティノープルのような首都を奪えば、国全体の征服も容易になる。 富や物資の略奪 主に城壁都市の場合、そこに蓄えられた財宝、食料、物資が直接的な目的となることもある。 君主の捕獲 古代、中世の...
28 KB (4,519 words) - 21:41, 24 December 2024
の、現存する優れた建造物が次々に建設された。413年にはテオドシウスの城壁が完成、市域をコンスタンティヌスの城壁からさらに西に2km伸ばし、堅固な城壁と海によって囲まれ、壮麗な宮殿と数百にも及ぶ教会が立ち並ぶ大都市コンスタンティノポリスが完成する。その人口は東ローマ帝国の...
14 KB (2,176 words) - 22:21, 9 November 2023
ニカイア帝国 (section コンスタンティノープル再征服)
コンスタンティノスと名付けており、かつてのコンスタンティヌス大帝による帝都建設を再起させようとする希望が託されていた。一方、ペラゴニアの戦闘以来捕虜となっていたアカイア公ギヨーム2世・ド・ヴィルアルドゥアンがペロポネソス半島南部の割譲を条件に解放され、これが東ローマ再建の足掛かりとなった。...
32 KB (4,057 words) - 21:57, 13 December 2024
メフメト2世 (redirect from スルタン・マホメッド二世)
コンスタンティノープルの城壁に大きな損害を与えた。同年5月29日にオスマン軍はコンスタンティノープルを攻略、東ローマ帝国を滅ぼした。コンスタンティノープルに亡命していたオスマン帝国の皇族オルハンは逃亡を図ったが、失敗し死亡した。 コンスタンティノープルの...
63 KB (9,119 words) - 18:57, 10 November 2024
第一次ブルガリア帝国 (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
の脅威であるとともに同国を敬愛していた。彼はプレスラフに遷都し、コンスタンティノープルを手本に城壁や教会のある都市と宮廷を建造させたほか、キリスト教の普及に努めてスラヴ語を教会語および国語化した。彼はその治世において度々東ローマとの戦端を開き、多くの戦闘で勝利を収めたが、コンスタンティノープルの制圧には至らなかった。...
67 KB (9,111 words) - 09:08, 27 May 2024
ノープルは、ハドリアノポリスの英語形である。 ゲルマン人がローマ帝国領内への南下を激しく行うようになるとこの町は帝都コンスタンティノポリス防衛の最前線となり、378年に行われたハドリアノポリスの戦いではウァレンス帝が西ゴート族に敗れて戦死した。その後もハドリアノポリスは東ローマ帝国の...
13 KB (1,656 words) - 04:19, 27 May 2024
東ローマ皇帝テオドシウス2世により首都コンスタンティノポリスのコンスタンティノープルの城壁#テオドシウスの城壁が完成する。 414年 西ローマ皇女ガッラ・プラキディアと西ゴート王アタウルフがナルボンヌで結婚。西ゴート人がイベリア半島に侵入。 高句麗の長寿王が広開土王(好太王)碑を建てる。 415年...
50 KB (6,187 words) - 14:16, 27 December 2024
宮殿 (category 用途別の建築物)
宮殿(きゅうでん)は、王族、皇族などの君主およびその一族が居住する、もしくは居住していた御殿。東アジアの場合、君主が政務や外国使節の謁見、国家的な儀式などを行う外朝部分と、君主が私的な生活を行う内廷部分に分かれる。中世ヨーロッパにおいては戦士階級と世俗君主階級が一体化していたため、城壁に囲まれた城砦の...
13 KB (1,208 words) - 09:33, 10 August 2024
の皇族たちは旧東ローマ領の各地に亡命政権を樹立した(東ローマ帝国は57年後の1261年に復活)。なお、このコンスタンティノポリスの攻防を巡ってはジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン (十字軍側)とニケタス・コニアテス(東ローマ側)という2人の優れた歴史家が記録を遺していることでも知られている。...
55 KB (7,614 words) - 00:07, 9 December 2024
カーテンウォール (要塞) (redirect from カーテンウォール (城壁))
の首都コンスタンティノープルにテオドシウス帝の長城が建造され、中世ヨーロッパの城郭はこの城壁の影響を大いに受けたとされる。 中世ヨーロッパ城郭において、カーテンウォールに囲まれた部分は、防御塔の有無に関わらずベイリー(英語版)として知られている。一番外側の城壁は、カーテンウォールの...
6 KB (674 words) - 13:51, 23 January 2024
の城壁は市域拡大に併せて放射状に拡大され、6回も作り替えが行われた。最終の城壁「ティエールの城壁」は総延長30㎞を超える欧州随一の大城壁になった。 近世に至り大砲が発達したことで、高い城壁は防御の面で重要性を低下させ、実戦に耐えうるために城壁は低くなり、大砲の死角を無くすため、星形に稜堡を配する星形要塞...
21 KB (2,940 words) - 03:59, 15 February 2024
の防鎖は解かれ、十字軍側のヴェネツィア海軍がコンスタンティノープルの北海岸に肉薄できるようになった。 7月11日、十字軍はコンスタンティノープル北西のブラケルナエ宮殿を前に陣取った。十字軍が推すアレクシオス4世アンゲロスはコンスタンティノープルの城壁の前でパレードを行ったが、市民の...
9 KB (1,286 words) - 12:43, 7 November 2022