• アリウス派(アリウスは、コイネー: Ἀρειανισμός)は、アレクサンドリアの司祭、アリウス(古典ギリシア語表記でアレイオス、250年頃 - 336年頃)とその追随者の集団を指す。このの名前は、この教義を提唱したアリウスの名前に由来している。325年に開かれた第1ニカイア公会議においてニカイ...
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  • リウス派の流れを汲むトマス派と呼ばれる集団があったが、アッシリア東方教会の子教会であるカルデア・シリア教会(英語版)と、東方典礼カトリック教会であるシリア=マラバル典礼カトリック教会(英語版)を除いて、多くは非カルケドン...
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  • 第1ニカイア公会議 (category アリウス派)
    アリウスの教会復帰が認められた。しかし、その後もアリウス派、反アリウス派(主流派)、メリティオス派など各派が諍いを続け、コンスタンティヌス1世はこれに激しく苛立った。このように、政治的な意図を含んだ争いによって状況は二転三転し、アリウス派論争の解決にはなお多くの時間を要することとなった。...
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  • アリウス(Arius、250年 - 336年)は、アレクサンドリアの司祭で、古代のキリスト教アリウス主義の提唱者。古典ギリシア語の再建からアレイオス(Άρειος, Areios)とも呼ばれる(現代ギリシア語ではアリオス)。アリウス派、あるいはアリウス主義はアリウスに由来している。 アリウス...
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  • 西ゴート族はアリウス派を信仰していた。イシドールスによれば、西ゴート族がローマ帝国内に侵入した際のローマ皇帝ウァレンスがアリウス派だったためである。ウァレンス帝はニケーア信条を奉じるアタナシウス派を弾圧し、アリウス派信仰を正統としていた。西ゴート王国ではゲルマン人...
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  • アリウスの教会復帰が認められた。しかし、その後もアリウス派、反アリウス派(主流派)、メリティオス派など各派が諍いを続け、コンスタンティヌス1世はこれに激しく苛立った。特にアレクサンドロスの死後の328年にアレクサンドリア司教となったアタナシウス...
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  • キリスト教神学者・反アリウス派の立場からシリアで活躍・聖歌(祈祷文)作家でもある アウソニウス(310年 - 393年頃) - ガリア出身の著述家・詩人として『モゼラ』を執筆・皇帝グラティアヌスの宮廷に伺候し顕職を歴任 ウルフィラ(311年 - 382年) - キリスト教神学者(アリウス派)・聖書をゴート語に訳しゲルマン人に宣教...
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  • ウス派が正統と認められ、三位一体性を認めないアリウス派を異端とした、ニカイア信条が採択された。 だが、異端とされてもアリウス派の布教の勢いは収まらず、東方域では三位一体よりもアリウス派のほうが普及していた。また、帝国各地には三位一体...
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  • 統一はたちまち失われ、部族国家ごとに教会は分断されかねない。現に一部の部族国家は異端のアリウス派を信仰していた。一方で彼は教皇と教会を同一視するという観念に先鞭をつけたともいわれる。 グレゴリウスは教皇ゲラシウス1世の両剣論を根拠に、宗教的裁治の管轄権が教皇にあると主張した。しかし彼は、俗権である...
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  • 374年、アンブロジウスの運命が大きく変わることになる。ミラノ司教アウクセンティウス死去に伴う後継人事問題は、アリウス派と反アリウス派の民衆が入り乱れてもめにもめた。人望のあったアンブロジウスが調停に乗り出すと、派閥間の争いにうんざりしていた民衆はアンブロジウスこそミラノ司教にふさわしいと要求し始めた。...
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  • 父なる神と子なる神は本質を同じくするとしてアリウス派への論駁に果たした役割から、「西方のアタナシウス」と呼ばれた。「三位一体について(至聖三者について)」はアリウス派を論駁した傑作として挙げられる。 一度ポワティエ司教(主教)となったヒラリウスであったが、アリウス派を支持していたコンスタンティウス...
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  • 同派につき、キリスト教を扱う専門的文献では「ニカイア」「ニケア」(英語: Nicene, Nicaean)等と呼び、「アタナシオス派」とはまず呼ばない(後述)。 「アタナシウス派(アタナシオス派)」は、アリウス派に対抗し、その後キリスト教主流派において正統と認められた一派として、...
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  • 」と軍人皇帝時代をへて、皇帝コンスタンティヌス1世によってキリスト教が公認された。さらにグラティアヌス帝とテオドシウス帝によってキリスト教は国教となった。また、ドナトゥス派アリウス派などの活動によって東西教会やアフリカ教会が分裂した。ゲルマン系民族が力を強めて476年に西ローマ帝国が滅亡し、7世...
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  • アレクサンドリアのアタナシオス (category 非カルケドンの聖人)
    スの命の下に、小アジアのニケアに召集された。この公会議の中で、コンスタンティヌス1世は積極的にアリウスを支援している。 アレクサンドリアの輔祭として出席した第1回ニケア公会議でアリウスに反駁し、アリウス派の「御子は被造物である」との説を退け、御父(父なる神、神父「かみちち」とも)と御子(子なる神、...
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  • 526年)。カトリック教会および正教会で聖人とされる。 西ローマ帝国滅亡後、その地の支配者は東ゴート族のテオドリックとなる。彼はアリウス派に属していたが、東ローマ帝国のユスティヌス1世がアリウス派の弾圧を始めると、両派の和解のため助祭ヨハネスを教皇位につけて使節団と共に東ローマ帝国に派遣した。...
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  • われる、『カタレプトン』での告白によれば、当時ルクレティウスの影響でローマに広がり始めていた、心の平安を目指すエピクロス派に惹かれていたとことが覗えるが、20代後半までの足跡ははっきりとは分からない。 この間、紀元前63年にはガイウス・ユリウス・カエサルの最高神祇官就任や、執政官キケロによるカティリ...
    51 KB (6,359 words) - 16:51, 5 June 2024
  • 530年)。カトリック教会で聖人とされる。 西ローマ帝国が滅び、ゲルマン人オドアケルの勢力が衰えると、その地の支配者は東ゴート族のテオドリックとなる。彼はアリウス派に属していたが、東ローマ帝国のユスティヌス1世がアリウス派の弾圧を始めると、ヨハネス1世を教皇位につけて使節団と共に東ローマ帝国に派遣する。しかしヨハネス1世は高齢であり、和...
    3 KB (326 words) - 08:48, 18 January 2024
  • 始めると、アテナイから亡命してきたアカデメイアの学長、新アカデメイア派のラリッサのフィロンから徹底的懐疑主義を学ぶ。他にもエピクロス派のパイドロス(英語版)や、ストアのディオドトス(英語版)らの影響を受け、弁論家ポセイドニオスも師の一人として名を挙げている。21才の頃、クセノポンの『家政論』をラ...
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  • 第1コンスタンティノポリス公会議 (category テオドシウス1世)
    アリウスの破門とアリウス派の否定を以って終わった。しかし、これによってもアリウス派の問題は決着せず、政治問題も含めて、より複雑化していた。 これを解決するため、再び公会議が行われた。主催者となったのは時のローマ皇帝テオドシウス1世である。 コンスタンティノポリスは伝統的にアリウス派...
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  • ボニファティウス2世(Bonifatius II, ? - 532年10月17日)は、ローマ教皇(在位:530年9月17日 - 532年10月17日)。 東ゴート王国出身で、東ゴート王アタラリックに影響力を持っていた。アリウス派の強力な支持者であった前任のフェリクス4世に選出された。ボニファティウス...
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  • ウス『ローマ皇帝伝』などの文献に言及が無く、はっきりしない。ローマ国内は政治的に不安定で、ユグルタ戦争、キンブリ・テウトニ戦争の英雄ガイウス・マリウスと、そのライバルであったルキウス・コルネリウス・スッラが対立しており、カエサルは叔母ユリアがマリウスに嫁いでいたことからマリウス派...
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  • リウスないし彼を含めた(元首の称号としての) カエサル(=ローマ皇帝)のことである。 ティベリウスは父ティベリウス・クラウディウス・ネロとリウィア・ドルシッラとの長男として紀元前42年に誕生した。父ティベリウスは共和政末期の内乱においてオクタウィアヌスに敵対し、ブルートゥス派、ついでアントニウス派...
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  • ウァレンス (category アリウス派の信者)
    運ばれた。しかし小屋はゴート族によって燃やされた」 (XXXI.13.14–6) 熱狂的なアリウス派の信徒であるウァレンスがこのような不名誉な死を遂げたことが伝わると、弾圧されていたアタナシウス派(三位一体)は歓喜したといわれる。 後世の史料において「優柔不断で感情に左右されやすい凡庸な将軍で、...
    4 KB (420 words) - 01:58, 24 December 2023
  • エウセビオスの生涯について知られるところは少ない。彼の後任のカエサレア司教であるアカキウスが伝記『エウセビオスの生涯』を著したが、すでに散佚している。現存するエウセビオスの著作も、おそらくその著作全体のほんの一部に相当するに過ぎない。エウセビオスは4世紀におけるアリウス論争で、アリウス派に同情的な態度を示したゆえに、エウセビオス個人に...
    27 KB (3,205 words) - 06:06, 2 March 2023
  • アリアーニ(アリウス派)洗礼堂 テオドリックによって建設された、現存する数少ないアリウス派の建築物。 サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂 その他にも以下の史跡がある。 スピリト・サント教会(Chiesa dello Spirito Santo) - 5世紀からの原型をとどめる。元々はアリウス派...
    30 KB (3,574 words) - 02:28, 9 March 2024
  • アリウス派の一部における、聖霊の神性を否定する説。聖霊を被造物と見なしたと伝えられる。 エウキテス派 東方教会より分裂。 w:Euchites 単性説 5世紀、エウテュケスが唱える。この説を異端と呼ぶのは適切ではない。 w:Monophysitism ネストリウス派...
    51 KB (7,559 words) - 08:56, 29 October 2023
  • trinitate)、『カトリック信仰論』(De fide catholica)、『エウティケスとネストリウスとを駁して』(Contra Eutycken et Nestorium)などの護教のための論文もある(偽書との説あり)。アリウス派の王に殺されたため、中世では教父の一人のような扱いを受け、「最初のスコラ哲学者」と評されることもある。...
    6 KB (660 words) - 21:10, 27 April 2024
  • ヴィング朝を開いた。496年、クローヴィスはカトリック教徒であった妻との約束により、ゲルマン人に定着していたアリウス派キリスト教(異端宗派)から、家臣4,000名とともに正統派のアタナシウス派キリスト教(カトリック)に改宗した(クローヴィスの改宗)。これによって旧西ローマ帝国貴族の支持を得、領内のロ...
    22 KB (2,079 words) - 09:46, 30 January 2024
  • 原因とした内乱まで起きた。アレクサンドリアの司祭アリウスの新しい教説にしたがってアリウス派と呼ばれる一派が広がり、これがアタナシオスを代表とする通説と反目しあった。これは世界的に見ても初めての教会大分裂であり、第1ニカイア公会議が開かれてアリウス派の思想は異端とみなされることに決定し、会議の翌年...
    23 KB (3,416 words) - 07:45, 26 June 2024
  • トゥールのマルティヌス (category 非カルケドンの聖人)
    である。除隊すると、マルティヌスは、聖ヒラリウスの弟子となるためにポワティエに向かうも、その前に、両親のいるロンバルディアに行こうとした。しかしアリウス派の信奉者が多く、カトリックを敵視していたため、ガリアへ戻ろうとしたが、アリウス派の勢力により聖ヒラリウスが追放されたことを知り、ティレニア湾に浮か...
    10 KB (1,154 words) - 11:46, 21 October 2023
  • アリウス派が異端とされ、アリウス論争が決着する。 386年 アウグスティヌスがマニ教からキリスト教に回心する。 388年 キリスト教とユダヤ教の異宗婚が禁止される。 389年 ナジアンゾスのグレゴリオス永眠。東方教会の神学の大成者。 392年 ローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教をローマ帝国の国教に定める。...
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