キリキア (Cilicia) は、トルコ南部にある、地中海に面した一地域の名前。地中海をへだててキプロスと向かい合い、また南東部にシリアの位置する地域である。北は、世界遺産で有名なカッパドキアと接している。キリキアは海岸沿いのチュクロワ平野と、西部のトロス山脈(タウルス山脈)をはじめとして平野部を...
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キリキア・アルメニア王国 Կիլիկիոյ Հայոց Թագաւորութիւն キリキア・アルメニア王国(キリキア・アルメニアおうこく、アルメニア語:Կիլիկիայի Հայկական Թագավորություն kilikiayi haykakan thagavoruthyun、1080年あるいは1198年...
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キリキア属州(キリキアぞくしゅう、ラテン語: Provincia Cilicia)は、共和政末期から帝政時代のローマの属州である。領域は、現在のトルコのアナトリア半島(小アジア)南東部、地中海に面した地域(キリキア地方)である。 第三次ミトリダテス戦争においてポントス王国に勝利した共和政ローマのポ...
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キア公国はアンティオキア市と若干の属領を辛うじて保った。 1194年、ボエモン3世は北部に隣接するキリキア・アルメニア王国と争い、講和条件としてキリキア王の娘を自身の長男レーモン(英語版)と娶わせた。この婚姻から生まれたレーモン・ルーペン(英語版)はアンティオキア公とキリキア...
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カッパドキア王国はストラボンの時代すなわち紀元前1世紀にはまだ名目上は独立国として存在していた。 キリキアはその国全体の首都であるカエサレア・マザカ(現在のカイセリ)が位置する地域に与えられた名前である。ストラボンは、カッパドキアの中で2つの都市のみが名を挙げるにあたいすると考えた。それは カエサレア(元はマザカ...
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キリキアのシンプリキオス(希: Σιμπλίκιος ὁ Κίλιξ、490年 – 560年)は、古代末期キリキア出身の哲学者。アンモニオス・ヘルメイウとダマスキオスの弟子。古代最後のネオ・プラトニストの一人であり、6世紀初めユスティニアヌスに迫害された非キリ...
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アルメニア使徒教会 (category アルメニアのキリスト教)
キリキアのカトリコス・アラム1世がいる。また、イスラエル・パレスチナを中心とした中東を管轄するアルメニア・エルサレム総主教庁、およびトルコ共和国内を管轄するアルメニア・コンスタンティノープル総主教庁(英語版)が、正教会(ギリシャ正教)の総主教庁と並立する形で存在する。 アルメニアにキリ...
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中世アルメニア語 - およそ11世紀から17世紀のアルメニア語。このころには現在のトルコ南東部のキリキア(Cilicia)地方にキリキア・アルメニア王国(1198年〜1375年)という、アルメニア人による独立国が存在していた。 現代アルメニア語 - 主に、次の2つの方言に大別される。...
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アルメニアの歴史 (section 中世キリキアでの独立)
ューク朝による支配へ替わり、アルメニア人の中にはこれを嫌ってキリキアへと移住する者もいた。やがてキリキアに定着して力をつけたアルメニア人は、1198年にキリキア・アルメニア王国を建設し、この王国は交易国家として広く発展した。 このキリキア王国も1375年には滅び、アルメニア高地側のアルメニア人も、...
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た。たとえばユリウス・カエサルは前75年にキリキアの海賊に拉致されている。現在のハタイ県の地域はリュキアでもキリキアでもなく、歴史的にはシリアに属する地域であるが、ここにある都市アンティオキア(現・アンタキヤ)はローマ帝国第3の規模をもつ都市として栄え、キリスト教が生まれたのちにいち早く布教の拠点となる教会が設立された。...
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メルスィン県 (category キリキア)
古代この地域はキリキアの一部であり、街を作ったフェニキアかアッシリアの王子にちなんで名づけられた。交易でシリア、メソポタミアから山を越えて中央アナトリア地域に至る道にキリキアの一部であるこの地域がある。 ギリシャの地理学者のストラボンはこの県は「山地のキリキア」と「平地のキリキア...
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245) 『ホメロス賛歌』(II デメテル, v.5) 『オルペウス賛歌』(XXII タラッサ) ノンノス『ディオニュソス譚』(XII, 43) キリキアのオッピアノス『漁夫訓』(I, 74) ディオドロス『神代地誌』飯尾都人訳、龍溪書舎(1999年) パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)...
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キア、キリキア西部をアンティオコス1世から奪って併合した。その結果、エジプトの領土はカリアからキリキアの大部分を含むまでに拡大した。 エジプトの勝利は地中海東部における王国の地位を確かなものとし、プトレマイオス朝の勢力は、キリキア、パンフィリア、リュキア...
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マヌエル1世コムネノス (section キリキア・シリア遠征と外交)
キリキア・シリア遠征に乗り出した。東ローマ帝国の封臣だったアルメニア人のキリキア領主トロス2世が1152年に反乱を起こしてキリキア平野部を占領、アンティオキア公ルノー・ド・シャティヨンは帝国領のキプロス島で略奪・虐殺したため、彼等へ制裁を下す必要があったからだった。また、アンティオキア...
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セレウコス朝シリア アッタロス朝ペルガモン王国 ポントス王国 大アルメニア王国 ローマ帝国 東ローマ帝国 ニカイア帝国 トレビゾンド帝国 小アルメニア王国(キリキア・アルメニア王国) en:Lesser Armenia セルジューク朝 ルーム・セルジューク朝 オスマン帝国 [脚注の使い方] ^ 松浦範子「クルド :...
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タルスス(Tarsus)はトルコ中南部メルスィン県の都市。アダナから西へ約40km離れた地中海沿岸に位置する。古代ローマ帝国の属州キリキアの首都で、タルソス(Tarsos)とよばれていた。聖パウロの生誕の地である。 タルススの発展は、先史時代、新石器時代にまでさかのぼることができる。その後、銅器時代...
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ワラキア公国 Țara Românească Цѣра Рȣмѫнѣскъ ルーマニアの行政区域:黄がワラキア ワラキア( ルーマニア語: Valahia [vaˈlahi.a]、ハンガリー語: Havasalföld [ˈhɒvɒʃɒlføld])は、ルーマニア南部の地方名である。ルーマニアの首都...
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パウロ (category キリスト教の殉教者)
Σαῦλος, ラテン文字転写: Saulos; ヘブライ語: שָׁאוּל, ラテン文字転写: Šāʼûl)とも呼ばれる。古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(今のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人。 「サウロ」はユダヤ名(ヘブライ語)であり、ギリシア語名では「パウロス」...
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オリエンス道長官の管轄下に置かれた。 オリエンス管区は元々以下の諸属州を包括していた。すなわち、イサウリア、キリキア、キュプルス、エウフラテンシス、メソポタミア、オスロエネ、コイレー・シリア、フォエニケ(フェニキア)、第一パレスティナ、第二パレスティナ、アラビア・ペトラエア、...
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くのアルメニア人が故国を捨てる(ディアスポラ)ことになった。その中の一部は11世紀にトルコ南東部のキリキアに移住しキリキア・アルメニア王国を建国、14世紀末まで独立を保った。アルメニア公国と後にキリキア・アルメニア王国は、11世紀から14世紀の間に地中海の海岸に位置していた。 1636年からは、オスマン帝国(en:Armenians...
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キリキア地方を隔てる位置にあり、トロス山脈に設けられた山道はキリキアの門(en, トルコ語: Gülek Boğazı)と呼ばれた。第一次世界大戦中、トロス山脈に設けられたドイツとトルコを結ぶ鉄道は、中央同盟国側にとって戦略上重要であった。戦争の結果、キリキアは一時的にフランス領となっている...
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た。サルペードーンは多くの者を率いて小アジアのキリキアに赴いた。そのころキリキアの王キリクスはリュキア人と戦っており、サルペードーンはリュキアの一部を分けてもらうという条件でキリクスの味方をして戦った。その後、約束通りキリクスから土地をもらってリュキアの王となった彼にゼウスは人間の3世代分の寿命を...
9 KB (1,227 words) - 18:10, 20 July 2024
リカオニア(英語:Lycaonia)はトルコの小アジア地方、トロス山脈の北部をさす古代の地名である。 東でカッパドキアと接し、北でガラティア、西でフリギアやピシディアと接する広大な地方である。南はトロス山脈と接するが、そこは以前はキリキアと呼ばれていた(ビザンチン時代はトロス山脈南部のキリキアはイサウリアと呼ばれていた)。 表示 編集...
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た。なお、ラテン語の原音表記による「シュリア属州」とも称される。 その領域は現在のシリアを中心にトルコ南東部、レバノンに広がる。北にはカッパドキアとキリキア、南にはユダヤとアラビア・ペトラエアの各属州があり、トラヤヌス帝のパルティア遠征により115年頃にアルメニア属州やメソポタミア属州が東に設立さ...
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(英語). Armenian Geographic - ArmGeo.am. 2023年3月31日閲覧。 ^ 一部は11世紀にトルコ南東部のキリキアに移住しキリキア・アルメニア王国を建国、14世紀末まで独立を保った。 ^ a b 「ユダヤ人が三人いても、一人のアルメニア人に敵わない」という諺も存在する...
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シリア戦争が終了。プトレマイオス朝が勝利し、セレウコス朝は弱体化していった。プトレマイオス朝は小アジアのエフェソス、トラキアおよびキリキアと同様にシリアのオロンテス川地域、アンティオキアを統治した。 楚の春申君が楚・趙・魏・韓・燕の5カ国連合軍を率いて秦を攻撃した。寿陵を奪い、函谷関を攻めたが、敗走した(函谷関の戦い)。...
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キア体制の始まりとともに創設された。複数の属州を束ねる中位の行政府を形成し、道の下位に置かれた。 「管区」という言葉が行政単位として初めて使われたのは、ギリシア語圏の東方である。キリキア、アパメア、シュンナダの3つの「管区」がキリキア...
4 KB (638 words) - 01:43, 26 September 2022
ギリシア人による地中海および黒海沿岸での植民市(アポイキア)(英語版)建設が始まる。 エウボイア人によるシリア沿岸の植民市アル・ミナ(英語版)やナポリ湾イスキア島の植民市ピテクサイがこの時期のもの。 アナトリア半島キリキア地方のカラテペ遺跡から出土したフェニキア文字と象形文字ルウィ語の併用の石碑(カラテぺ二言語併用石碑(英語版))が作られる。...
23 KB (2,665 words) - 03:42, 26 January 2024
パンフィリア(Pamphylia)は、古代の地名でトルコの小アジア南部、リュキアとキリキアに挟まれ地中海からトロス山脈までの間の地方を示した呼称。北はピシディア(Pisidia)と接した。ローマ時代には、広義ではピシディアを含み、フリギアやリカオニア(Lycaonia)との境までを総称して用いられ...
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。名前は初代のレオーン3世が小アジアのイサウリア出身であったと言われていたことに由来するが、近年の研究ではこれは誤りであり、レオーン3世はシリアとキリキア地方の境域部に位置するゲルマニケイア(現マラシュ)の出身であったことが分かっている。このためシリア朝と呼ばれることもある。...
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バイバルス (section キリキアへの親征、ヌビアへの派兵)
フレグの征西においてモンゴル軍に軍事力を提供していたキリキア・アルメニア王国も、バイバルスの攻撃の対象となった。バイバルスはキリキア・アルメニア王国に従属を促す使者を送るが拒絶され、同年にカラーウーンとハマーのアイユーブ王族アル・マンスールが率いる軍をキリキアに派兵した。アルメニア軍を破ったマムルーク軍はキリキア...
53 KB (7,605 words) - 10:41, 24 October 2024