コレヒドール島(コレヒドールとう、Corregidor)は、フィリピン、ルソン島マニラ湾の入り口に浮かぶ小島。 マニラ湾口に位置し、おたまじゃくしのような形をしたコレヒドール島はマニラの西48 kmの地点にある。マニラ湾の入り口という位置から、スペイン人の到来以来、わずかに南にあるカバヨ島...
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コレヒドール (USS Corregidor, ACV/CVE-58) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の4番艦。艦名は1942年のコレヒドール島の戦い (英語版) に因む。ただし「コレヒドール」は地名のスペイン語読みで、英語では「コレギドー」である。 1942年8月20日、「オーガイラ・ベイ...
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フィリピンの戦い (1941年-1942年) (section コレヒドール攻略)
かるという結果になった。真珠湾攻撃の屈辱に沈むアメリカで、「シンガポールは落ちたがコレヒドールは健在である」というニュースは国民を勇気付け、マッカーサーは英雄となった。アメリカ軍がガダルカナル島で本格的反攻に転じるのはコレヒドール島の陥落からわずか3か月後のことである。 フィリピンの戦いでの第14軍の損害は以下の通りであった。...
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戦隊は、バターンでのアメリカ軍守備隊に対する日本軍の猛攻撃の後、ルソン島のすぐ南東にあるマニラ湾のコレヒドール島に取り残されている。コレヒドールは、進軍する日本に対するアメリカ最後の拠点として立っている。 PT部隊はその後、太平洋戦区司令官ダグラス・マッカーサーとその側...
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南にバタンガス州、東にラグナ州、北東にマニラ首都圏であるメトロ・マニラと接している。北にはマニラ湾とその入口に浮かぶコレヒドール島があり、この島はコレヒドール国立公園に指定されている。面積は1,287.6km2で国内15番目に小さい。人口は3,090...
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た。24日には撤退命令が出されたが250名が捕虜となったのみであった。 3月2日にマッカーサーがコレヒドール島に上陸し、星条旗を掲げた。 コレヒドール島の隣の小島であるフォート・ドラム (エル・フレイル島)の要塞には「武蔵」乗組員65名からなる守備隊が籠城していた。4月14日、上陸した米軍が守備隊を...
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島を脱出せざるをえなくなり、残存兵力約300名のみが永吉支隊へと合流した。マニラ湾内の他の島にも連合軍が上陸し、地下施設に石油を流して点火するなどの攻撃で日本軍を制圧した。3月頃の日本軍残存兵力は永吉支隊とコレヒドール...
28 KB (4,727 words) - 00:42, 25 November 2024
Bay)は、フィリピンのルソン島中部・首都マニラの西に広がる湾である。 湾は西側に開けており、南シナ海と結ばれている。湾口は、バターン半島がせり出しているため、狭くなっており、またコレヒドール島等が存在している。湾内は良港となっており、主要港湾として、東部にマニラ港、南部にカビテ港などがある。 この湾は、夕陽が美しいことで有名である。...
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コレヒドール職およびコレヒドールの管区をコレヒミエント(Corregimiento)という。またポルトガルに存在した類似の官職(同語源)をコレジェドール(Corregedor)という。 1530年の勅令により、先住民の保護とエンコメンデロの抑制を目的として、ヌエバ・エスパーニャにコレヒ...
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この半島全体がバターン州という1つの行政区になっている。面積は1,373km2、人口は557,669人(2000年)、州都は東岸のバランガ(Balanga)である。南にコレヒドール島があり、島の北側がノース海峡、南側がサウス海峡となっている。 ^ 日本では「バターン」で定着しているが、Bataにanが付いてBataanという語が...
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コレヒドール島西端の砲兵に向け射撃、甚大な被害を負わせた。バターン半島からアメリカ軍は駆逐され、半島南方沖あいのコレヒドール要塞が残った。 コレヒドール島は1936年以降、地下構造と発電所を備えた近代要塞として整備され、30cmカノン砲8門、30cm榴弾砲12門、隣のフライレ島...
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アンガウルの戦い (section その後のアンガウル島)
軍第494爆撃隊(B-24編成)が到着して以降は、コレヒドール島を含むフィリピンに83回に渡って空襲を行った。また、パラオ諸島のコロール、ヤップ、トルークにも数度爆撃を行っている。同爆撃隊は1945年5月までアンガウル島から出撃した。 アンガウル島はアメリカ軍航空隊が西方に移動する際に、戦闘地域の...
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ジェネシー (USS Genesee, AT-55) はアメリカ海軍の艦隊曳船。1942年(昭和17年)5月5日にコレヒドールで自沈。その後引き揚げられて日本の第百七号哨戒艇(だいひゃくななごうしょうかいてい)となった。1944年(昭和19年)11月6日に米軍機によって撃沈された。 ジェネシーの前身は1905年建造のモノカシー...
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尾崎行雄、選挙応援演説で不敬罪に問われる(尾崎不敬事件)。 4月30日 - 第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)実施。 5月7日 - 日本軍、コレヒドール島占領。 5月20日 - 翼賛議員同盟を解消、翼賛政治会発足。 5月25日 - 第80臨時議会召集。 5月27日 -...
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空母発進の米陸軍機16機が東京・名古屋・神戸などを初空襲(ドーリットル空襲) 4月30日 - 第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙) 5月1日 - 日本軍がビルマのマンダレーを占領 5月5日 大本営がミッドウェー島・アリューシャン西部の攻略を命令 英軍がマダガスカルに上陸(マダガスカルの戦い) 5月7日 コレヒドール島の米軍が降伏(日本軍が東南アジア全域を制覇)...
47 KB (6,161 words) - 07:12, 25 November 2024
バターン半島とコレヒドール島要塞の米極東陸軍部隊が追いつめられる中、1942年3月12日にマッカーサーはコレヒドール島を魚雷艇で脱出した。マッカーサーは脱出先のオーストラリアで引き続き極東陸軍司令官として作戦指揮を執るつもりで、コレヒドール島...
19 KB (2,941 words) - 21:45, 29 May 2024
マニラの無防備都市宣言を行った後マニラから撤退、バターン半島とコレヒドール要塞に立てこもった。日本軍は翌1942年1月2日に、マニラの無血占領に成功した。その後、日本軍はコレヒドール要塞を攻撃し、3月12日、マッカーサーはコレヒドール島を脱出した。 1942年(昭和17年)4月9日、日本軍はバター...
31 KB (4,953 words) - 07:04, 12 July 2024
コレヒドールでのロケ撮影の他、マニラの大手撮影所だったフィリピン・フィルムスとサンパギタ・ピクチャーズでセット撮影が行われた。円谷英二と三谷栄三の特殊技術部分などは日本で撮影されている。 題名は、日本軍の砲撃を受けたコレヒドール島...
13 KB (1,968 words) - 02:30, 19 July 2024
- ルソン島リンガエン湾に上陸し第一次・第二次バターン半島攻略戦、コレヒドール島攻略戦に参加 1942年(昭和17年) - カマリネス・スル州ナガに移動、南部ルソン島とビサヤ諸島の守備につく 1944年(昭和19年) - サマール島に移動 7月19日 - レイテ島に進出 10月27日 - ロビ山脈に後退...
5 KB (497 words) - 06:19, 9 September 2023
ガダルカナル島の戦い(ガダルカナルとうのたたかい、英: Battle of Guadalcanal)は、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における攻守の転換点となった。日本側は激...
87 KB (13,292 words) - 08:25, 13 November 2024
000m先のコレヒドール島アメリカ極東陸軍要塞やフライレ島などに対し連日砲撃を実施し、対するアメリカ軍の30cmクラス大口径要塞砲(海岸砲)との間で砲撃戦が行われたが、同月19日に24cm砲弾のコレヒドール要塞弾薬庫への命中、36cm砲の撃破などによりこの砲...
21 KB (3,281 words) - 12:28, 18 February 2024
コレヒドール島を去り、4,000 km離れたオーストラリアへ向かった。 置き去りにされた7万6000人のアメリカ軍・フィリピン軍の人々は1942年4月9日に降伏し、バターン死の行進に7000 - 10000人が命を落とした。コレヒドールにいた1万3000人の生存者は5月6日に降伏した。...
40 KB (5,432 words) - 14:35, 13 June 2024
Hinirang(タガログ語) 最愛の地(1938年9月5日以降) フィリピン・コモンウェルスの位置 第二次世界大戦中日本に占領された主要都市 コレヒドール島:1941年12月24日 - イロイロ:1942年2月22日 - バコロド:2月26日 - バゴ(英語版):2月27日 - オロキエタ:3月19日...
41 KB (4,550 words) - 09:40, 28 November 2024
コレヒドール島に移動した。遅れてマッカーサーも参謀長リチャード・サザランド少将を連れてコレヒドール島に到着し、2日後の12月26日にマニラの無防備都市宣言を発した。急いでマニラを脱出したためか、ジーンはコットンのドレスとサンダル履きという姿でコレヒドール島に滞在する羽目となった。 コレヒドール島...
17 KB (2,350 words) - 06:23, 15 August 2024
バターン半島では米比軍の頑強な攻撃を受け多数の損害を出し攻勢が停滞する(第一次バターン半島の戦い)。結果、大部隊の増援によりバターン、コレヒドール島は陥落した(第二次バターン半島の戦い)。 一方、敵将のダグラス・マッカーサーは日本軍に追い詰められ、自らが捕虜になりかねない状況にまで追い込ま...
16 KB (2,288 words) - 15:14, 20 November 2024
11月 - 漢水作戦に参加 1942年(昭和17年) 3月9日 - 上海を出港 3月15日 - ルソン島リンガエン湾に上陸、バターン半島攻略戦やコレヒドール島攻略戦に参加 7月 - 帰還 1943年(昭和18年) 9月 - 動員下令 10月4日 - 大阪港を出港 11月1日 -...
5 KB (452 words) - 22:44, 9 December 2024
ンウェルスのマニュエル・ケソン大統領は、首都マニラを無防備都市であると宣言し、ホルヘ・B・ヴァルガスをマニラ市長として残して脱出した。日本軍はコレヒドール島の戦いの後、1942年5月6日にフィリピンを完全に制圧した。本間雅晴中将はフィリピン・コモンウェルスを解体し、フィリピン行政委員会という臨時政...
11 KB (1,086 words) - 07:31, 16 July 2024
ケ号作戦は、1943年(昭和18年)1月下旬から2月上旬にかけて日本軍が実施したガダルカナル島からの撤退作戦。 1942年(昭和17年)12月31日開催の御前会議で昭和天皇がガダルカナル島からの撤退と東北部ニューギニアへの作戦重点変換を裁可したことを受けて1月4日にガ島撤退の大命が下り、日本軍は正式に撤退準備を開始した。日本陸軍...
69 KB (10,652 words) - 17:23, 21 September 2024
満州に駐留、遼陽や佳木斯に駐屯。 1940年(昭和15年)6月 - 華中に転進、湖北省などで作戦する。 1942年(昭和17年)2月 - フィリピンへ転進、バターン半島やコレヒドール島の戦いなどに参加。 1943年(昭和18年)10月 - スマトラ島中部の警備に就く。 1944年(昭和19年) 6月 -...
4 KB (323 words) - 11:33, 1 June 2024
コレヒドール島の攻略までに150日もかかるという結果になった。 12月9日、第23軍によるイギリス領香港への攻撃が開始された。準備不足のイギリス軍は城門貯水池の防衛線を簡単に突破され、11日には九龍半島から撤退した。第23軍の香港島...
23 KB (3,402 words) - 11:37, 16 November 2024
Battleship)と通称されたほか、島自体はエル・フレイル島(El Fraile Island)と呼ばれる。1909年、当時アメリカ合衆国の植民地だったフィリピンにおいて、マニラ湾の湾口南側の防衛を強化するべくマニラ・スービック湾沿岸防衛施設(英語版)の一部として設置された。コレヒドール島...
21 KB (2,603 words) - 18:27, 5 May 2022