広幡家(ひろはたけ、旧字体:廣幡家)は、正親町源氏嫡流の公家・華族の家。公家としての家格は清華家、華族としての家格は侯爵家。家紋は十六葉裏菊。 江戸時代前期、正親町天皇の皇孫で陽光院太上天皇誠仁親王の第六王子・八条宮智仁親王の三男忠幸王は、慶安2年(1649年)に尾張藩主徳川義直の長女・京姫と結婚...
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広幡 忠幸(ひろはた ただゆき)は、江戸時代前期の公卿。皇族として生まれ、のちに臣籍降下して広幡家を創設し、その初代当主となった。正式の姓名は、源 忠幸(みなもと の ただゆき)である。「忠」の字は兄・八条宮智忠親王より偏諱を賜ったものであり、やがて広幡家の通字となっていった。...
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広幡 忠礼(ひろはた ただあや)は、江戸時代後期の公卿、明治時代の政治家。江戸時代の公卿としては仁孝天皇(120代)・孝明天皇(121代)・明治天皇(122代)の3代にわたって仕え、正二位内大臣まで昇った。明治時代には貴族院議員などをつとめて政治家として活躍した。...
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ただし2代智忠親王の弟の広幡忠幸が興した桂宮家の分家の広幡家(源氏・華族)は宮家ではないが現在も続いている(男系子孫はこれも断絶している)。 盛仁親王(光格天皇の皇子) 節仁親王(仁孝天皇の皇子) 淑子内親王(仁孝天皇の皇女で、節仁親王の姉) 1988年(昭和63年)、三笠宮崇仁親王の第二王子の宜仁親王が新宮家を創設し、同名の桂宮を称した。...
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広幡 豊忠(ひろはた とよただ)は、江戸時代前期から中期の公卿。官位は従一位・内大臣。 実父は久我通名。1669年(寛文9年)、広幡家に養子入りした。養父の広幡忠幸は八条宮智仁親王を父に持つ旧皇族であり、新家ながら清華家の格式を与えられていた。 1670年(寛文10年)に叙爵し、左近衛少将や左近衛中...
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朝廷を去った。法名は承恵。1771年(明和8年)に入寂。享年61。 父:広幡豊忠 母:家女房 妻:醍醐冬熙の娘 妻:仲小路氏 女子:観心院(1745-1805)(伊達重村室) 妻:家女房 男子:広幡前豊(1742-1784) 男子:久我信通(1744-1795) 生母不詳 女子:西園寺賞季室 広幡家...
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うちに辞職。1781年(天明元年)には従一位に達した。1783年(天明3年)に薨去。享年42。 父:広幡長忠 母:家女房(あるいは醍醐冬熙の娘) 養父:近衛内前 妻:賢子女王(伏見宮貞建親王の王女) 男子:広幡前秀(1762-1808) 生母不詳の子女 女子:三条西廷季室 女子:綾小路俊資室 広幡家...
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男子:広幡忠礼(1824-1897) 生母不詳の子女 男子:水無瀬経家(1833-1874) 女子:広幡豊子(徳川斉彊室、近衛忠煕の養女) 女子:広幡牧子(順尊室) 女子:広幡輝子(東本願寺院家光善寺朗?室) 女子:広幡経子(徳川慶篤室) 女子:広幡繁子(四条隆平室) 養女:広幡叔子(水無瀬有成) 広幡家...
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た。その後も踏歌節会外弁・東照宮奉幣使・権中納言などを歴任。1789年(寛政元年)に権大納言となり、1808年(文化5年)の薨去までの長きにわたり務めた。 父:広幡前豊 母:賢子女王(伏見宮貞建親王の王女) 妻:稲葉正諶の娘 男子:広幡経豊(1779-1838) 養女:綾小路俊資室(実妹) 広幡家...
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八条宮智仁親王 (category 作庭家)
西本願寺良如継室 男子:良尚入道親王(1622 - 1693) - 天台座主 男子:広幡忠幸(1624 - 1669) - 正親町源氏広幡家始祖 側室:九条兼孝女 『八条宮』 司馬遼太郎による短編小説。豊臣一族を題材にした連作短編『豊臣家の人々』の一遍。詳細は該当項目を参照。 智仁親王コトバンク朝日日本歴史人物事典...
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家の広幡家は、2代目の広幡豊忠を久我家から迎えている。 このほか宇多源氏・清和源氏・花山源氏など一部の家系も堂上家として存続しているが、いずれの家も羽林家・半家の平堂上であった。 明治時代まで存続した、源氏の堂上家の一覧 村上源氏(10家) 久我家 中院家 六条家 岩倉家 千種家 久世家 東久世家...
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弁をつとめる。文政7年(1824年)には内大臣に任じられるも辞職する。文政8年(1825年)に従一位を授与された。 父:広幡前秀 母:稲葉正諶の娘 猶父:近衛経煕 妻:日野資矩の娘(今出川実種の養女) 男子:広幡基豊(1800-1857) 生母不詳の子女 女子:園池実達室 女子:唐橋在経室 広幡家...
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広幡 忠隆(ひろはた ただたか、1884年(明治17年)12月11日 - 1961年(昭和36年)4月12日)は、日本の政治家。逓信官僚。華族。貴族院侯爵議員、皇后宮大夫。第10代広幡侯爵家当主。 東京府で侍従・広幡忠朝の長男として生まれる。父の死去に伴い1905年1月23日に侯爵を襲爵。...
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通名の長男・豊忠は通名の権中納言を辞任する前年の寛文9年(1669年)に同じ清華家の広幡家を継いでいたために久我家の名跡は弟・通誠が継いだ。出家後の元禄7年(1694年)に儲けた次男・堀川広益は江戸へ下って幕府に仕え、高家旗本に列している。なお、病気で辞職しながら77歳まで生存している。なお、後に長男豊忠の孫の信通は久我家を継いでいる。...
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広幡 忠朝(ひろはた ただとも、1860年12月20日(万延元年11月9日)- 1905年(明治38年)1月12日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。陸軍騎兵大尉、貴族院侯爵議員、侍従。 山城国京都で権大納言・広幡忠礼の長男として生まれる。父の死去に伴い1897年3月13日に侯爵を襲爵し貴族院侯爵議員に就任。...
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新家(しんけ)とは、公家の家格の一つ。文禄・慶長年間以後に成立した家々(ほぼ江戸時代のそれと重なる)を指す。これに対してそれ以前からの家を旧家と呼ぶ。137家ある堂上家の中で68家(ただし、後述の広幡家・醍醐家を新家に含めるかどうかについては議論の余地がある)が新家に相当する。新家のほとんどが豊臣政権末期からの100年間、ほぼ後に...
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清華家(せいがけ)は、公家の家格のひとつ。最上位の五摂家に次ぎ、大臣家の上の序列に位置する。大臣・大将を兼ねて太政大臣になることのできる主に7家(三条・西園寺・徳大寺・久我・花山院・大炊御門・菊亭)を指す(室町時代には10家あった。また江戸期には広幡・醍醐の両家を加えて9家など、時代によって家格を有した家の数が異なる)。...
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在原氏(朝臣) -平城天皇の子、阿保親王・高岳親王を祖とする 源氏(朝臣) - 複数の系統があり、嵯峨天皇の子の嵯峨源氏から正親町天皇の曾孫を祖とする広幡家まで幅広い。 中原氏(宿禰、後に朝臣) - 安寧天皇の裔である十市氏首が改姓。 [脚注の使い方] ^ a b 佐藤良雄 1994, p. 36. ^...
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また万治3年(1660年)には、八条宮智仁親王の皇子(広幡忠幸、後の清華家広幡家の始祖。)が臣籍降下する際、松殿家の再興も案の一つとして討議されている。 さらに下って明和2年(1765年)には、九条尚実の次男忠孝が九条家の分家として、清華家待遇となる松殿家を創設したが、これも明和5年(1768年)に嗣子無く没した。...
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久我信通 (category 広幡家)
に朝廷と幕府の間で典仁親王への尊号一件事件が発生したが、信通は朝廷側の代表にたてられ、中山愛親・正親町公明らを伴って江戸へ下向している。 父:広幡長忠 母:家女房 養父:久我敏通 妻:一条道香の娘 女子:綾姫(肥後新田藩主細川利致室) 生母不詳の子女 女子:西洞院信庸室 養子:久我通明(実父は中院通維)...
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第21巻 近衛家・九条家(諸大夫及び侍) 第22巻 二条家・一条家・鷹司家(諸大夫及び侍) 第23巻 伏見宮・桂宮・有栖川宮・閑院宮(諸大夫及び侍) 第24巻 三条家・西園寺家・徳大寺家・今出川家(諸大夫及び侍) 第25巻 花山院家・大炊御門家・醍醐家(諸大夫及び侍) 第26巻 久我家・広幡家(諸大夫及び侍)...
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家 徳川旧三家 旧大藩知事即チ現米拾五万石以上 旧琉球藩王 国家二勲功アル者」と定めていた。侯爵家の数は1884年時点では24家(華族家の総数509家)、1895年には34家(同643家)、1916年時に38家(同933家)、1928年時には40家(954家)、1947年時には38家(889家)だった。...
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広幡御息所といわれた)。同母姉に理子内親王がいた。無品。 貞元2年(977年)以前に藤原顕光と結婚する。貞元2年に重家を、引き続いて元子(一条天皇女御)、延子(敦明親王(小一条院)妃)の二女をもうける。長徳4年(998年)7月20日、薨去した。 祖父・源庶明、母・計子を経て、広幡...
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近衛内前 (category 近衛家)
後桃園天皇の女御で、欣子内親王の母。 家女房 男子:近衛経熈(1761-1799) 生母不明の子女 長女:近衛因子(1754-1782) - 閑院宮美仁親王妃 養子 女子:観心院 - 惇姫、実父は広幡長忠、仙台藩主伊達重村正室 猶子 男子:広幡前豊 男子:広幡前秀 - 前豊の子 近衛家は、藤原忠通の子である近衛基実を始祖とし、五摂家の一つであった。...
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岡崎市立広幡小学校(おかざきしりつ ひろはたしょうがっこう)は、愛知県岡崎市広幡町にある公立小学校。 1874年(明治7年)4月に創立した。 卒業生は2つの中学校に分かれて進学する。下記の学区のうち、伊賀町と伊賀新町と井田町を除く区域は、連尺小学校とともに岡崎市立城北中学校の学区を構成する。伊賀町、...
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内藤政恒:挙母藩内藤家14代当主でのちに玉川大学教授、日本歴史考古学会会長。 東園基文:東園基文の三男で、旧子爵東園家第3代当主。のち宮内庁掌典長、神社本庁統理、伊勢神宮崇敬会会長を歴任。 広幡忠朝:陸軍大尉侯爵 広幡忠隆:侯爵。皇太后宮大夫兼侍従次長 山縣有道:公爵、式部官。...
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近衛忠煕 (category 近衛家)
島津斉彬養女、島津忠剛の娘、徳川家定正室・天璋院篤姫 女子:広幡忠礼室 - 達如の娘 女子:近衛備子 - 綱姫、鷹司政熙二十四女、伊達慶邦正室 女子:文孝 - 廣厳心院秀山尼大禅師、圓照寺第9代門跡 女子:寧子 - 寧姫、島津斉彬の五女、島津忠義後室 猶子 男子:大谷光勝 - 達如の次男、東本願寺法主 男子:広幡忠礼 - 広幡基豊の子...
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藤枝市 (section 広幡(ひろはた)地区)
川:大井川、瀬戸川、葉梨川、栃山川、朝比奈川、岡部川 山:高根山、菩提山、高尾山、高草山、潮山 青島(あおじま) 藤枝(ふじえだ) 岡部(おかべ) 西益津(にしましづ) 広幡(ひろはた) 青葉 (あおば) 大洲(おおす) 高洲(たかす) 葉梨(はなし) 稲葉(いなば) 瀬戸谷(せとや) 朝比奈(あさひな) ※ この項では大字に当たる住所上の地名を記述する。...
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根古地 橋爪 飯ノ木 船附 船見 三神町 瑞穂 明徳 室原 安久 養老 養老公園 横屋 竜泉寺 若宮 鷲巣 1954年(昭和29年) 高田町、養老村、広幡村、上多度村、池辺村、笠郷村、小畑村、多芸村、日吉村、不破郡合原村の一部(室原地区)が合併し、養老町発足。 平成の大合併の周辺市町村との合併協議で...
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皇別摂家 (category 摂関家)
る。八条宮智仁親王(正親町天皇子)の第3王子は広幡忠幸として広幡家を創始し、有栖川宮韶仁親王(霊元天皇曾孫)の第4王子は西園寺公潔として西園寺家を相続した。しかし両者ともに男子がなく、男系では存続していない。 血統が皇統につながった公家の家は、従来の家と同じ扱いを受け、血縁によって扱いが変わること...
23 KB (3,785 words) - 04:12, 1 October 2024
京姫 (category 広幡家)
幸丸は結婚前に元服して忠幸を名乗っていたが、1663年(寛文3年)、清華に列し、1000石を支給され、広幡忠幸となった。この時以降、忠幸は京に在って来宅しなかった。忠幸は京に愛人がおり、庶子をもうけたが、尾張家には報告しなかった。忠幸の死後にこれを知った光友は怒って、広幡家と義絶した。 忠幸が1669年(寛文9年)に没すると落飾し、普峯...
3 KB (474 words) - 13:05, 26 July 2024