• ジョチウルス Алтан Орд, Зүчийн улс (モンゴル語) Алтын Урда (タタール語) Altın Orda (トルコ語) اولوس جوجي (ペルシア語) ジョチウルスの領域(1300年ごろ) ジョチウルス(ペルシア語: اولوس جوجي‎、Ulūs-i...
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  • ジョチ(ᠵᠥᠴᠢ Jöči、現代モンゴル語:Зүчи、1177年/1184年? - 1225年)は、モンゴル帝国の創始者チンギス・カンの長男で、ジョチウルスの始祖。ジュチとも片仮名表記される。 漢字史料では主に朮赤、アラビア語・ペルシア語史料では主にجوچى خان jūchī khān と綴られる。...
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  • ジョチウルスが興ると、シバンはジョチウルスの北東部(現在のカザフスタンの一部)を領有し、シバン・ウルス(ru)を形成した。 シバンの子として確認しうる人物として、12人の名が挙げられている。シバンの子孫らによるシバン・ウルス...
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  • モンゴル帝国の後継国家の一つであるジョチウルスは、約3世紀にわたる歴史の大部分において右翼・左翼からなる左右両翼体制であったと内外ともに見なされていた。ただし、ジョチウルスの左右両翼体制がいつごろ成立したのか、両翼はどう呼称されていたか、などの問題について研究者の意見は一致しておらず、今猶未解決の問題が多く残されている。...
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  • ジョチウルス(黄)、チャガタイ・ウルス(濃緑)、フレグ・ウルス(緑)、大元ウルス(紫)である。 モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家(ウルス)である。中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス (ᠶᠡᠭᠡ ᠮᠣᠩᠭᠣᠯ...
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  • ジョチウルスのクルムシ(タタール語: Күремша)は、チンギス・カンの曾孫、ジョチの孫、オルダの子(確認できる子のうちでは三男)にあたる人物である。クレムサ(ロシア語: Куремса)、クルミシ(ロシア語: Курумиши)と表記される事もある。 1252年から1254年にかけて、ガーリチ...
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  • テムニク(ロシア語: Темник)はジョチウルスの軍事階級の一種に対する、ルーシ側の呼称である。 テムニクは1万人からなる軍隊を指揮する、ハーン直属の官職であった。テムニクの地位に就いた人物の中にはノガイ、ママイなど、歴史上重要な役割を担った人物もあった。 英語においては「general / ジェネラル」、「emir...
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  • ジョチウルスの勢威は失墜し、トクタミシュ自身も没落した。1404年にティムールに臣従してジョチウルスに復権するも、ティムールが1405年に死去すると後ろ盾を失って孤立。結局1406年に殺害された。 トクタミシュの死後、ジョチウルスは統一を失い、国内でジョチ...
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  • ジョチウルスへの送付が1345年(至正5年)から始められたという。 これらの記録は、チンギス・カンの時代から100年以上経った14世紀中においても各ウルスにおいて投下領についての記録が残っていたこと、後世において別個の国家であると語られがちな「4ウルス(大元ウルスジョチウルス・チャガタイウルス...
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  • バトゥ (category ジョチウルスの君主)
    Bātū、1207年 - 1256年)は、ジョチ家の2代目当主(ハン:在位1225年 - 1256年)で、ジョチウルスの実質的な創設者。チンギス・カンの長男のジョチの次男である。漢語では抜都、巴禿、八都罕。カナ表記ではバツ、バト。 1224年、父のジョチの死によりジョチ...
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  • ルーシを征服したかれら東方遊牧民を「タタール」(漢字表記は「韃靼」)と呼んだ。 ジョチ家の所領(ジョチウルス)は、こののち次第に緩やかな連邦へと傾斜していくモンゴル帝国内で自らの自立性を強めていったため、ジョチウルス(金帳汗国)とも呼ばれる。こうしてノヴゴロドを含む全ルーシはモンゴル帝国の支配下...
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  • オルダ・ウルス(ulūs-i ūrda)は、ジョチの長男のオルダを始祖とする政権。モンゴル帝国を構成する遊牧国家(ウルス)の一つで、ジョチウルスの左翼部に相当する。13世紀から15世紀にかけて東はイルティシュ川上流域から西はシル川下流域(ほぼ現在のカザフスタンに相当する)に至る一帯を支配したが、...
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  • バトゥ・ウルス(ulūs-i bātū)は、ジョチの次男のバトゥを始祖とする政権。モンゴル帝国を構成する遊牧国家(ウルス)の一つで、ジョチウルスの右翼部に相当する。13世紀から15世紀にかけてヨーロッパロシア南部の草原地帯(現在のロシア連邦南部連邦管区・沿ヴォルガ連邦管区及びウクライナ南部)を支...
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  • ウルスとはマー・ワラー・アンナフルの支配権を巡って対立したが、ジョチウルスとチャガタイ・ウルスがオゴデイ家のカイドゥを第5代皇帝クビライに対抗して盟主に推戴したため、フレグはクビライの支配する大元ウルスとの深い友好関係を保った。さらにジョチウルスのベルケはマムルーク朝のバイバルスと友好を結び、イルハン朝挟撃の構えを見せた。...
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  • 杉山1996,66-67頁 ^ 例えば、西方のジョチウルスは早い段階からバトゥ・ウルスとオルダ・ウルスという二つの下位ウルスを有していたことが知られている。また、東方のオッチギン・ウルスは当主の「遼王」トクトの他に「寿王」ナイマダイが独自のウルスを形成していたことが知られている(杉山2004,110-111頁)...
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  • ノガイ (category ジョチ家)
     ? - 1299年)は、ジョチウルスの有力者。チンギス・カンの長男ジョチの血を引く王族で、ジョチの七男ボアルの長男タタルの子、すなわちジョチの曾孫である。『集史』などのペルシア語資料では نوقاى Nūqāy と表記されている。 バトゥ・ハンの時代から、ジョチウルス...
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  • ウルスを名乗り、中軍としてのカアン(ハーン)自身のウルスを中心に大小のウルスウルスに準じるものが集合した遊牧部族連合的な性格をもった。これは、モンゴル帝国に限らず、匈奴からジュンガルまで中央ユーラシアで興起した多くの遊牧国家に共通してみられた特徴である。 やがて、ジョチ...
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  • ハルジー朝 トゥグルク朝 サイイド朝 チャガタイ・ウルス系 モグーリスタン・ハン国 西チャガタイ・ハン国 ティムール朝 ムガル帝国 ジョチウルス系 スーフィー朝 ブハラ・ハン国 シャイバーニー朝 ジャーン朝(アストラハン朝) マンギト朝 ヒヴァ・ハン国 ウルゲンチのシャイバーニー朝 イナク朝 コーカンド・ハン国...
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  • ーン(qaγan)」とは違い、皇帝より格下の「王」という意味である。モンゴル帝国では皇帝号(カアン)を帯びる元朝以外の政権(ジョチウルス、チャガタイ・ウルス、フレグ・ウルスなど)は汗号(カン)を用いた。 チンギス・カンが率いるモンゴル帝国が勃興すると、第2代カンのオゴデイは他のカンから卓越した存...
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  • トカ・テムル (category ジョチ家)
    Tīmūr、生没年不詳)は、ジョチウルスの王族。チンギス・カンの長男のジョチの十三男。 ジョチが没して兄のバトゥが一家の当主となった後、トカ・テムルは他の年少の兄弟とともに長兄のオルダが支配する左翼ウルス(オルダ・ウルス)にとどまった。トカ・テムルはジョチ...
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  • オルダ (category ジョチ家)
    ‎Ūrda/Hurdū、? - ?)は、ジョチウルスの王族。チンギス・カンの長男ジョチの長男。ジョチの正室でコンギラト部族出身のサルタクを母に持つ。 父のジョチの死後、弟のバトゥと父の直属の軍隊を二分し、ジョチウルスの左翼を形成した。 ジョチが没した後、オルダはジョチ...
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  • ジョチウルスのハン。14世紀末にジョチウルスの再統一に成功したトクタミシュ・ハンの子。 ジャラールッディーンの父のトクタミシュ・ハンはかつてジョチウルスの再統一に成功しながら、中央アジアのティムールと対立して没落した人物であった。トクタミシュは没落後もリトアニアの支援を受けてジョチウルス...
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  • ジョチウルスの支配者たちは、イスラム教や正教会を根絶しようとすることはなく、被征服民族の影響でイスラム教に改宗しても、他の宗教に対する寛容さを完全に捨てることはなかった。ジョチウルスはルーシ人に対し、サライに正教会の主教を置くことを認めている。ジョチウルス...
    34 KB (5,012 words) - 06:01, 20 August 2024
  • 元 (王朝) (redirect from 大元ウルス)
    侵攻する構えを見せ、カイドゥはこれに対抗するためジョチウルスへ救援を求めた。これに応えてジョチウルス東方の総帥であるオルダ家の当主コニチは5万の軍勢を率いて加勢し、バラクは敗走したが、バラクは中央アジアの権益についての合議をカイドゥ、ジョチウルス新当主モンケ・テムルへ申し入れた。1269年、中...
    93 KB (15,760 words) - 18:42, 20 September 2024
  • cultureとなった。 ブルガール・カガン国があったが、モンゴルのヴォルガ・ブルガール侵攻でモンゴル帝国に滅ぼされ、ジョチウルスに編入された。ジョチウルスが分裂するとカザン・ハン国として独立したが、1552年のカザン包囲戦(英語版)で滅亡し、ロシア帝国に併合され、1708年からカザン県となった。...
    8 KB (773 words) - 00:14, 8 August 2024
  • 生没年不詳)は、チンギス・カンの息子ジョチの子孫で、オルダ・ウルスの第5代当主。『元史』などの漢文史料では伯顔(bǎiyán)、『集史』などのペルシア語史料ではبایان(bāyān)と記される。 バヤンの治世はオルダ・ウルスの内外ともに戦乱の多発する時期であり、バヤン以後のオルダ・ウルスが分裂・弱体化する端緒をつくる時代となった。...
    13 KB (1,929 words) - 15:08, 22 November 2023
  • 大オルダ (category ジョチ家)
    大オルダ(だいオルダ、1466年 - 1502年)は、黄金のオルダ(ジョチウルスの後継国家群)崩壊後に13世紀ごろに南ロシアのサライを首都として存在したジョチ家当主の政権で、ジョチウルス裔の国家の歴史学的呼称。またの名は、黄金のオルドといい、ジョチウルスの系譜を継いだ政権であった。領域は、南ロシア、キプチャク草原のステップに至った。...
    10 KB (808 words) - 06:09, 30 December 2023
  • ウルーズ(نوروز/nawrūz、? - 1360年)は、バトゥ家断絶後(1360年)のジョチウルスのハン。先代ハンのクルナ同様にジョチウルス全体を統治する力を持たず、ジョチウルスに「大紛乱(эамятня беликая)」と呼ばれる混乱時代をもたらしたことで知られる。...
    7 KB (816 words) - 12:51, 27 September 2023
  • シビル・ハン国 (category ジョチウルス)
    世紀から16世紀末まで西シベリアに存在した、ジョチウルスの系統に属すテュルク系国家。ジョチウルスが分裂して、成立した4つの国のうちの一つ(ほかにカザン・ハン国、アストラハン・ハン国、クリミア・ハン国)。 シビル・ハン国の名は、チンギス・カンの長男ジョチの第5子シバン(昔班,...
    6 KB (473 words) - 04:45, 26 September 2024
  • Ханлыгъы, ウクライナ語: Кримське ханство, ロシア語: Крымское ханство、1441年頃 - 1783年)は、ジョチウルスの後継国家のひとつで、クリミア半島を中心に存在した国家。首都はバフチサライ。 クリミア・ハン国の支配下で、クリミア半島にはテュルク諸語の一種を...
    20 KB (2,397 words) - 13:34, 12 July 2023
  • ベルケ (category ジョチウルスの君主)
    ベルケ(Berke、? - 1266年)は、ジョチウルスの第5代宗主(ハン、在位:1257年 - 1266年)。バトゥの弟で、ジョチの三男。母はスルターン・ハトゥン(エミン部族)。漢語表記では別児哥、ペルシア語資料では بركاى Barkāy または بركه Barka と綴られる。...
    10 KB (1,615 words) - 14:30, 4 March 2022