• エグナティア街道エグナティアかいどう、ギリシャ語:Ἐγνατία Ὁδός)は、紀元前2世紀のローマ帝国時代に建設された道である。古代ローマ帝国のイリュリクム属州とマケドニア属州、トラキア属州を結ぶ街道であり、現在のアルバニア、マケドニア共和国、ギリシャ、トルコの領土にあたる。 エグナティア街道...
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  • - トリエステからダルマティア属州 エグナティア街道 - マケドニア属州のドゥラキウム(ドゥラス)からバルカン半島を横断しテッサロニキ経由ビザンティウム ドミティア街道 - ガリア・ナルボネンシス属州のナルボンヌからアルプス山脈のブリアンソン アクィタニア街道(英語版) - ナルボンヌからガリア・アクィタニア属州のボルドー...
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  • 海岸線には重要な商業港が点在し、内陸部には金鉱山があった。またイリュリアはエグナティア街道の始点で、この道はアドリア海沿岸のデュラキウム(現ドゥラス)から東のビュザンティオンまで至るローマ街道だった。 紀元前59年にウァティニウス法(Lex Vatinia)が成立し、イリュリクムとガリア・キサルピ...
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  • SS-7: ターラント - ブリンディジ (69km) ギリシャ国内のE90号線の路線はおおよそ670kmである。ギリシャ北部を経由しており、エグナティア街道という名前でも知られる。 イグメニツァ - ヨアニナ ( 101km地点でE92号線と交差する) ヨアニナ - コニツァ(英語版) - ヴェロイア...
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  • ティン帝国)に分割した際には、マケドニアは東ローマ帝国の属州となった。 初代ローマ皇帝アウグストゥスの統治以降、マケドニア属州は長く平和で繁栄した属州であり、小アジアほどではないがローマ世界にとって経済的に重要な存在だった。 さらに、エグナティア街道...
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  • ティス改革)以前は自治体としての県(ノモス、νομός)であった。 域内に鉄道路線はない。 イグメニツァは、イタリアとギリシャを結ぶ交通の起点となっている。古代のエグナティア街道の名を用いた高速道路(A2「エグナティア街道...
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  • ガレリウスの凱旋門 (category ギリシャのビザンティン建築)
    8m、高さ6.5mである。中央のアーチをローマ時代の都市の中央大通りであったエグナティア通り(Εγνατία)が突き抜けており、この通りはデュッラキウムからビュザンティオンを結ぶローマ帝国の主要街道であるエグナティア街道の一部であった。 現在、北西部分の3本の柱のみが残存し、特に中央アーチ部分の両...
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  • 街道を防衛する要地であった。のちにこの街道は古代ローマにより再興されて、エグナティア街道となる。ピリッポス2世以降、歴代の王は、ピリッポイに自治権を認めた。またピリッポス2世は、南の沼地を干拓させた。 紀元前167年アンティ...
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  • ィアヌス)は合計28個のローマ軍団と共にマケドニアへと出征した。 三頭政治側はガイウス・ノルバヌス・フラックスとルキウス・デキディウス・サクサ(英語版)が指揮する8個軍団が先発、ローマからアドリア海を越えてマケドニアへ渡り、リベラトレス軍を探るためエグナティア街道に沿って進軍した。...
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  • 古代にラクス・リュクニティス(Lacus Lychnitis)という名であったオフリド湖は、遠い古代に青くきわめて透明な水をたたえていたことからそのギリシャ語の名前がついた。中世には時にその古代の名前で呼ばれていたほどだった。町は古代ローマのエグナティア街道...
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  • この間、西ゴート族側も、渡河をしていなかった部族に招集をかけた上でトラキアから一路コンスタンティノポリスを目指し南下を始めた。迎え撃つ形のローマ軍もエグナティア街道を東進し、両軍の中間に当たるハドリアノポリス(現:エディルネ)で戦端が開かれた。...
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  • エグナティア高速道路が町を通っている。 コモティニの歴史は、ローマ時代に造られたドゥラキウムとコンスタンティノープルを結んだエグナティア街道と密接に関係している。ローマ皇帝テオドシウス1世は、エグナティア街道と北の方向にロドピ山脈を横切りフィリッポポリスへ続く街道...
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  • ドゥラス (category ヴェネツィア共和国)
    ティウム(後のコンスタンティノープル、現在のイスタンブール)まで続くエグナティア街道の西側の起点となり、ローマの主要軍事・海軍基地として発展することになった。 紀元前49年からのローマ内戦では、デュッラキウム近郊で重要な戦闘が行われた。グナ...
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  • にしたのである。重要な交易路は古代ローマのミリタリス街道(英語版)やエグナティア街道、ゼンタ街道(英語版)、コパオニク街道(Kopaonik road)などであった。特にラグサ共和国の商人は帝国中を通じて貿易特権を有していた。街道上における貿易と商人の安全保障は、国家当局にとって大きな懸案事項であった。...
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  • 現ブリンディジ)と北部ギリシアを結ぶ経路においてイリュリア地方では重要な港であり、東のテッサロニキやトラキア地方のビュザンティウム(現イスタンブール)へと延びるエグナティア街道の西側の起点でもあった。キケロが演説の中でアポッロニアを "magna urbs et gravis"...
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  • マの自由都市(英語版)となり、ディラキウムとビュザンティオンを結ぶ エグナティア街道に面した交易の要衝となり、大商業地のローマやビザンティオンとの間の交易が促進された。テッサロニキはまたバルカン半島を南北に大モラヴァ川やアクシオス川に沿って走る街道の南端でギリシャとバルカンの諸都市を結んでいた。テッ...
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  • ・サクサ(en)に合計8個軍団を与え、カエサル暗殺者と戦うためにマケドニア属州に派遣した。彼らは直ちにトラキアに進軍して山岳部の道路を確保し、エグナティア街道を遮断するよう命令されていた。フラックスとサクサは進軍してきたガイウス・カッシウス・ロンギヌスとマルクス・ユニウス・ブルトゥスの軍勢とピリッポ...
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  • また、フロリナにはGR-2(プレスパ湖 - エデッサ)とGR-3(欧州自動車道路E65号線)(コザニ - フロリナ - ニキ[要曖昧さ回避] - ビトラ)が走っている。古代のエグナティア街道はフロリナの町の東側を通っていた。 フロリナの町のビザンツ帝国時代の名称であるフレリノン(Χλέρινον/Chlérinon)は、ギリシャ語...
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  • ンフィポリスで埋葬されることにもなった。 アンフィポリスはその後、マケドニア王国における「王の道」、後には南バルカン地域を横断するローマ帝国のエグナティア街道となる道、の主要な宿駅となった。これはピリッポイとアンフィポリスの町の間で、アンフィポリスまでの距離が彫られた石が発見されたことが証明している...
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  • 遂げ、戦闘はノルマン軍の勝利で終わった。 1082年2月21日、ビザンツ軍を駆逐したノルマン軍はドゥッラキウムを占領した。ノルマン軍はその後、エグナティア街道に沿ってカストリアまで進軍したが、アレクシオス帝の策略により南イタリアでロベルトに対する反乱が勃発したことで、ロベルト・イル・グイスカルドは同...
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  • に対し、前線のいくつかの町を落したものの、略奪を禁止していたローマ軍は物資不足に悩まされ、冬を迎えた。ティトゥスは、ガルバの考えたマケドニア西部の山越えでペラを攻撃するルート(後のエグナティア街道)を補給上の問題から放棄し、南から侵入を試みたのだろうが、やはり補給に苦しむことになった。...
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  • グナティウスは、エトルリア議会を召集することを主張した。結果、ほとんどのエトルリア都市国家は、ローマとの戦争を再開することに賛成した。エトルリアに近いウンブリアも連合軍に加わり、さらにガリア人の傭兵を雇用した。 同年のコンスルの一人であるアッピウス・クラウディウス(アッピア街道の建設提唱者)は、2個ローマ軍団と同盟軍兵士15...
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  • 5km西に位置し、トルコとの国境から約40kmの都市である。また約300km離れたテッサロニキとは新しく建設されたエグナティア高速道路で結ばれ、アテネからは約750km離れている。 郊外には漁村が存在し、西にはマクリ、ディケラ、東にはアンテイア、アリスティノ、アイッシミ、キルカスといった村がある。人口は2001年の国勢調査によると、主要部では48...
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  • 次いでハンガリーへ旅した可能性があるということである。 トマシュ・ヤスィンスキは2008年に出版したガッルスに関する著作の中で、この年代記者はエグナティア街道を通り、スラヴ諸語の話されている「エピルス、トラキア、ダルマチア、クロアチア、イストリア」の諸国を通ってポーランドに来たと論じている。ヤスィン...
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  • は失敗に終わり、反ニカイア連合はニカイア帝国の進撃を食い止めるためにより協力を深めることとなった 。 1259年春、ニカイア軍は進撃を開始し、エグナティア街道に沿って急ピッチで西進した。この時エピロス侯ミカエル2世はカストリアに陣を構えていたのだが、意表を突いたニカイア軍の急進によって撤退を余儀なく...
    36 KB (5,480 words) - 12:33, 20 January 2024
  • 危機にさらされている世界遺産(危機遺産)の変更状況は以下の通り。リビアの世界遺産は5件全てが危機遺産リストに加えられた。 ムツヘタの歴史的建造物群( ジョージア) レプティス・マグナの考古遺跡( リビア) サブラタの考古遺跡( リビア) キュレネの考古遺跡( リビア) タドラルト・アカクスの岩絵遺跡群( リビア) ガダミスの旧市街(...
    57 KB (3,002 words) - 21:30, 28 May 2024