• ロドリゴビベロ・イ・アベルサ(Rodrigo de Vivero y Aberruza、1564年 - 1636年)は、エスパーニャ貴族、植民地政治家。江戸時代初期に日本を訪れた人物でもあり、日本ではドン・ロドリゴ(Don Rodrigo)の呼び名で知られる。 村上直次郎訳『ドン・ロドリゴ...
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  • 董其昌、明末の文人・書画家(* 1555年) ヨハネス・メッセニウス(Johannes Messenius)、歴史家、劇作家(* 1579年) ロドリゴビベロ、スペインのフィリピン臨時総督(* 1579年) 注釈 出典 [脚注の使い方] ^ Santorio Santorio Italian physician...
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  • カルロ・スピノラ、イエズス会のイタリア人宣教師(+ 1622年) クリシュトフ・ハラント、チェコ人の貴族、軍人、音楽家、プロテスタント教徒(+ 1621年) ロドリゴビベロ、スペイン人の貴族、植民地政治家(+ 1636年) 1月4日(永禄6年12月20日) - 細川氏綱、室町幕府最後の管領(* 1514年) 2月18日...
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  • 2013年10月23日、石田義廣町長ら「メキシコ友好親善使節団」がテカマチャルコを訪問し、姉妹都市協定を締結した。テカマチャルコはロドリゴビベロの生誕地である。 高等学校 中央国際高等学校 (中央高等学院の提携通信制高校。旧御宿高校跡地を使用) 中学校 御宿町立御宿中学校 小学校 布施学校組合立布施小学校...
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  • 『ドン・ロドリゴ日本見聞録』(ドン・ロドリゴにほんけんぶんろく)とは、スペインのフィリピン臨時総督ロドリゴビベロが執筆した書物。江戸時代初期に遭難して日本に漂着した際の見聞をまとめたものである。 1609年(慶長14年)9月、ロドリゴビベロが帰国のためフィリピンからヌエバ・エスパーニャ(...
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  • コきねんとう)。鉄筋コンクリート製で高さ17メートル。 1609年(慶長14年)に岩和田の海岸で起こったスペインの前フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴビベロの乗船サン・フランシスコ号の漂着事故が、日本とスペイン(西班牙)、およびメキシコ(墨西哥、当時はスペイン領ヌエバ・エスパーニャ)との直接交流...
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  • 本多忠朝 (category ロドリゴビベロ)
    慶長14年(1609年)、ドン・ロドリゴ一行のスペイン船サン・フランシスコ号が航海中に難破し50人余りが溺死し、300人余りが 上総国岩和田村(現御宿町)田尻の浜に上陸した際は、これを保護し歓待した。ロドリゴは『ドン・ロドリゴ日本見聞録』の中で、一行は約40日間滞在したが、その...
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  • セバスティアン・ビスカイノ (category ロドリゴビベロ)
    2年前にフィリピン前総督ドン・ロドリゴ一行(サン・フランシスコ号)が、帰還のためアカプルコへ向けての航海中台風に遭い上総国岩和田村(現御宿町)田尻の浜で難破し救助された事への答礼使として、1611年(慶長16年)、ヌエバ・エスパーニャ副王ルイス・...
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  • サン・ブエナ・ベントゥーラ (category ロドリゴビベロ)
    Ventura)は、日本のガレオン船。ウィリアム・アダムス(三浦按針)により建造された120tの船で、ガレオン船サン・フランシスコの難破により漂着したロドリゴビベロ一行の帰国に用いられた。 1610年8月1日、浦賀を発ちアカプルコへ向かった。10月27日にアカプルコ近くのマタンチェンに到着したが、この時...
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  • -268頁、NAID 110000246520。  フランシスコ・ザビエル コスメ・・トーレス 南蛮貿易 天正遣欧少年使節 サン=フェリペ号事件 日本二十六聖人 原田喜右衛門 マニラ・ガレオン ロドリゴビベロ セバスティアン・ビスカイノ 慶長遣欧使節 支倉常長 ルイス・ソテロ ジャック白井 駐日スペイン大使館...
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  • サン・フランシスコ (ガレオン) (category ロドリゴビベロ)
    1609年(慶長14年)9月、サン・フランシスコ号はスペイン領フィリピンの臨時総督の任務を終えたロドリゴビベロ(ドン・ロドリゴ)ら373名を乗せてノビスパン(ヌエバ・エスパーニャ、スペイン領メキシコ)に向け出航。しかし9月30日に上総国夷隅郡岩和田村(現在の...
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  • ^ 神武天皇即位紀元及び紀元節も参照 ^ 歴史的にも宋の太宗は日本の「万世一系」を羨ましがり、江戸初期に訪日したロドリゴビベロは『ドン・ロドリゴ日本見聞録』で、長きにわたる日本の万世一系について特記している。長崎の出島のオランダ商館に勤務したドイツ人医師・エンゲルベルト・ケ...
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  • 語版)に排水路を設けた。またテスココ湖の干拓を開始した。 日本との外交関係を持ったのもこの時期である。ベラスコは表向き日本がフィリピン前総督ロドリゴビベロを救助したことへの返礼として1611年にセバスティアン・ビスカイノを日本への使節として派遣したが、ビスカイノには金銀島探検、日本沿岸の測量調...
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  • 御宿海岸 (category ロドリゴビベロ)
    当時の人口約300人)の村民が総出で“ドン・ロドリゴ”ことロドリゴビベロ総督を含めた乗組員317名を救出し、着物や食料を提供した。このことは大多喜城主・本多忠朝にも伝えられ、事故後37日間にわたって岩和田村民が援助をした。 それから、ドン・ロドリゴ一行は大多喜城を訪れ、江戸幕府第2代将軍・徳...
    21 KB (2,666 words) - 23:56, 18 May 2024
  • ロドリゴビベロの日本漂着(1609年)、ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件(1610年)、大坂の陣(1614 - 15年)など、日本で起こった重要な事件の多くを記載している。うち、信長の事績については、信長と親交のあったグレゴリオ・...
    12 KB (1,604 words) - 11:00, 29 February 2024
  • - アメリカ海軍のバージニア級原子力潜水艦 サン・フランシスコ (ガレオン) - 1609年日本近海で遭難したスペインのマニラ・ガレオン船。ロドリゴビベロの乗船。 サン・フランシスコ - 1611年日本に来航したスペインのマニラ・ガレオン船。セバスティアン・ビスカイノの乗船。 桑港 (映画)(原題:San...
    2 KB (299 words) - 21:29, 5 October 2023
  • 慶長14年(1609年)9月30日、フィリピンからヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)に向かっていたフィリピン臨時総督ドン・ロドリゴロドリゴビベロ)の乗船するサン・フランシスコ号は、日本付近で暴風雨に遭い大多喜藩領の上総国夷隅郡岩和田村(現・千葉県夷隅郡御宿町岩和田)に漂着した。...
    19 KB (2,834 words) - 12:52, 28 July 2024
  • 蔡温本『中山世譜』 『中山世譜』 『球陽』 琉球王国編年史 『遺老説伝』 『琉球国由来記』 『日本王国記』(ベルナルディーノ・・アビラ・ヒロン) 『日本見聞録』(ロドリゴビベロ) 『日本大王国志』(フランソワ・カロン) 『日本誌』(エンゲルベルト・ケンペル) 『日本』(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト)...
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  • 家の血統を引く者一〇八世代にもわたってあとを継いできたことである。 — ドン・ロドリーゴ・ビベロ、『ドン・ロドリゴ日本見聞録』 当時の天皇は後水尾天皇で、皇統譜によれば108代目にあたる。 貿易商人ベルナルディーノ・・アビラ・ヒロンは1615年、日本から以下のように報告している。...
    30 KB (4,769 words) - 15:20, 27 July 2024
  • 。遠藤周作の『沈黙』の登場人物のモデルの一人。 ロドリゴビベロ(1609年、スペイン) - フィリピン臨時総督。マニラからアカプルコへの航海中に台風で船が難破し、上総国岩和田村に漂着。徳川家康とも会見した。日本滞在中の記録として『ドン・ロドリゴ日本見聞録』を記した。 セバスティアン・ビスカイノ(1611年、スペイン)...
    41 KB (5,576 words) - 10:17, 12 May 2024
  • とめたもので、近世外交史の基本史料である。 慶長13年(1608年)7月14日、以心崇伝が将軍徳川秀忠の面前で呂宋国主(フィリピン臨時総督)ロドリゴビベロの書簡(5月27日付)を読む場面に始まり、寛永6年(1629年)10月、暹羅国(シャム、アユタヤ王朝)の使節が江戸を発して帰国する記事で終わ...
    13 KB (1,753 words) - 17:03, 27 July 2024
  • - 演:パトリック・ハーラン ^ この船は1610年(慶長15年)になって、上総国御宿海岸で遭難し地元民に救助された前フィリピン総督ロドリゴビベロに家康から貸し出され、サン・ブエナ・ベントゥーラと名付けられた。 ^ 後述する1982年のジリンガム市との姉妹都市提携日。 ^...
    31 KB (3,979 words) - 21:33, 1 August 2024
  • (開城) を追加した(2004年)。 ^ 江戸の町人人口に関しては詳しいセンサスが残っている。1609年ごろにロドリゴビベロによって15万人と報告された江戸の人口は、1693年には町人人口353,588人、1721年に町人人口501...
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  • Francisco ガレオン船 乗員373名)、暴風雨によって上総国御宿海岸(現:千葉県夷隅郡御宿町)に漂着。ロドリゴビベロ(Rodrigo de Vivero y Aberrucia)ら生存者317名は翌年の11月13日にヌエバ・エスパーニャのアカプルコに帰還。...
    47 KB (4,963 words) - 03:05, 7 July 2024
  • 続き武蔵野につらなった。城の南は日比谷の入り江で、沖合に点々と砂州があらわれていた。それから20年を経て慶長14年(1609年)ごろに訪れたロドリゴビベロの記すところによれば、はやくも江戸の人口は15万となり京都の半分くらいであったという。この発展を続ける江戸の町の消費需要をまかなうためには、...
    31 KB (4,797 words) - 21:01, 13 July 2024
  • における江戸(現在の東京)の人口を解説する。 なお、江戸時代を通じての「日本全国」の人口については、江戸時代の日本の人口統計を参照のこと。 ロドリゴビベロによって1609年ごろに15万人と伝えられた江戸の人口は、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。なお国勢調査の始まった1801年のヨーロッパの諸都市の人口はロンドン...
    81 KB (8,711 words) - 15:35, 29 December 2022
  • いる。豊臣秀吉は慶長元年(1596年)に土佐国浦戸に漂着した呂宋船の積荷を没収している。江戸幕府は慶長14年(1609年)に上総国に漂着したロドリゴビベロに対して「又国法によれば、岸に引き上げたる荷物は、一切皇帝の有に帰すれども、とくに之を総べて予に与ふべしとの命」を伝えたという。...
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  • 鈴木(鈴木敬信) (2394) ナディエフ(レフ・ニコラエヴィッチ・ナディエフ) (2413) van de Hulst(ヘンドリク・ファン・・フルスト) (2416) シャロノフ(フセヴォロド・シャロノフ(英語版)) (2445) ブラツコ(セルゲイ・ニコラエヴィッチ・ブラツコ) (2451) ドルフュス(オドゥワン・ドルフュス)...
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  • 達し、京都も長らく分離していた上京と下京の宅地が繋がって30万人規模に成長したと考えられる。江戸時代に入ってすぐの1609年に日本へ漂流したロドリゴビベロは、京都の人口を30~40万人、大坂の人口を20万人、江戸の人口を15万人と伝えている。江戸時代の三都の人口については時期によって変動はある...
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  • アマールTelidjiデラグアトデパートD'アーキテクチャドゥ大学 国立ラルビベンミディ・オウム・エルブアギ大学建築学部 Med Khieder de Biskra大学建築学部 セティフ建築学校 Tbessiuniversitaireセンターュテベサ・デパートD'アーキテクチャL'ARBI...
    242 KB (25,148 words) - 00:05, 10 April 2024
  • ロ(スペイン語版)に総督府を移して残った部分を支配した。 1764年にイギリスはフィリピンをスペインに返還し、フィリピン総督フランシスコ・ハビエル・・ラ・トーレ(スペイン語版)はヌエバ・エスパーニャ副王の一覧の権限の下でのフィリピン統治に戻った。ナポレオン戦争期にはスペインがフランス第一帝政に支...
    70 KB (572 words) - 14:59, 28 July 2024