• モンゴル系民族 > オイラト オイラト(モンゴル語: Ойрад Oirad、カルムイク語: Өөрд、中国語:瓦剌、衛拉特)は、モンゴル高原の西部から新疆の北部にかけて居住するモンゴル系民族。 オイラト人と呼ばれる人々は、15世紀から18世紀にモンゴルと並ぶモンゴル高原の有力部族連合であった、オイラト...
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  • オイラト語(オイラトご、Өөрд келн)は、オイラト系諸部族によって話される言語であり、アルタイ諸語モンゴル語族に分類される。話者はロシア連邦カルムイク共和国、モンゴル国西部、中国新疆ウイグル自治区、青海省、甘粛省に分布しており、書き言葉としてはカルムイク共和国で用いられるカルムイク語(ru、z...
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  • дөрвөн、都沁·都爾本)と呼ばれており、「ドチン」(ドチン・モンゴル:四十万モンゴル)はクビライの子孫が治めるモンゴル本土、「ドルベン」(ドルベン・オイラト:四万オイラト)はオイラトのこと。モンゴル自身はモンゴルを自称とし続けたにもかかわらず、これ以降のモンゴルのことを「韃靼」(だったん:本来はモンゴル高原の一遊牧部族タタル部のこと)と呼んだ。...
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  • ハルハ…モンゴル国の人口の8割を占める。 チャハル・・・中国内モンゴル自治区に住む。モンゴル族と呼ばれる。 オイラト(カルムイク人)…中国青海省の一部と新疆の北部およびロシア連邦のカルムイク共和国に住み、オイラト語(カルムイク語)を話す。 ダウール族…中国の内モンゴル自治区東部と、新疆ウイグル自治区塔城県に住み、ダウール語を話す。...
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  • マフムード(Maḥmūd、? - 1416年)は、オイラト部の族長。漢字では馬哈木と書かれる。 マフムードの名前が正史に初めて出てくるのは1403年、即位したばかりの明の永楽帝が送った使者を迎えた時である。15世紀初のオイラトはマフムード、タイピン、バト・ボラトが率いる3つの勢力に分裂しており、その中で最...
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  • エセン・ハーン (category オイラト部)
    khan、1407年 - 1454年)は、オイラトの首長で、清朝皇帝以前の非チンギス・カン裔としては唯一ハーンに即位したモンゴル貴族(モンゴル帝国第29代(北元としては第15代)ハーン)。はじめエセン・タイシと称し、漢文史料では也先と表記される。 オイラトの最大版図を築き、1449年には明に侵攻し...
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  • ジュンガル (category オイラト部)
    Джунга́ры、準噶爾)は、17世紀から18世紀にかけて現在のジュンガル盆地を中心とする地域に遊牧民オイラトが築き上げた遊牧帝国、およびその中心となったオイラトの一部族。オイラト部族連合に属し、一時期はオイラトの盟主となって一大遊牧帝国を築き上げた。ジュンガル帝国の滅亡後、このような遊牧帝国が2度と生ま...
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  • カルムイク人 (category オイラト部)
    カルムイク人(カルムイクじん、オイラト語: хальмг,хальмгуд,Kalmyk)とは、ロシア(主にカルムイク共和国)とキルギスに住むモンゴル系民族(オイラト)の一部族。カルムイキア、カルミック、カルムックとも。 カルムイク語はモンゴル諸語の1つだが、元来はテュルク系の一派だったとも伝わる。...
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  • ホシュート (category オイラト部)
    モンゴル系民族 > オイラト > ホシュート ホシュート(ᠬᠣᠱᠤᠳ カルムイク語:Хошут、モンゴル語:Хошууд、中国語:和碩特)は、モンゴル系遊牧民族オイラトの一部族(ホシュート部)で八部オイラトの一つ。一時期はオイラト部族連合の盟主となるほど強盛を誇った。呼称はカルムィク語(オイラト...
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  • 勃発したが、クビライを支持する勢力には姻族コンギラトを含む「左手の五投下」があり、アリク・ブケを支持する最大の勢力は姻族オイラトであった。継承戦争の後、クビライがオイラトのクトカ・ベキ家を姻族とするアリクブケを破ってカアンとなったことで、再びコンギラトのアルチ・ノヤン家が最有力姻族として重視されるようになった。...
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  • トルグート (category オイラト部)
    モンゴル系民族 > オイラト > トルグート トルグート(ᠲᠣᠷᠭᠤᠳ オイラト語:Torγoud、モンゴル語:Turγaγud/Toroγoud/Torγuud、満洲語:ᡨᡠ᠋ᡵᡤᡡᡨ, turgūt、中国語:土爾扈特 Tǔěrhùtè)は、モンゴル系遊牧民族オイラトの一部族(トルグート部)で八部オイラト...
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  • に至る系譜は確実ではない。ただ、傍証や後の時代の系譜書から、歴史家はバトゥ・モンケが元の世祖クビライの後裔にあたると考えている。 ドルベン・オイラトオイラト部族連合)の指導者エセン・タイシはトクトア・ブハ・タイスン・ハーンを擁立してドチン・モンゴル(韃靼)を滅ぼし、モンゴル高原を統一した。やがて...
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  • モンゴル系民族 > オイラト > ホイト部 ホイト部(モンゴル語:ᠬᠣᠢᠳ、Хойт、中国語: 輝特)とは、ドルベン・オイラト(四オイラトオイラト部族連合)に属する部族の一つ。チンギス・カンと同時代のオイラト部族長、クドカ・ベキを先祖としており、部族連合を形成する以前の「オイラト王家」の末裔であった。...
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  • トド文字(トドもじ、カルムイク語: Тодо бичиг)は、オイラト語の表記のために1648年にザヤ・パンディタ(英語版)がモンゴル文字を改良して作った文字。オイラト文字とも呼ぶ。 モンゴル文字と同様に上から下へ縦書きされ、行は左から右へ進む。単語は続け書きされる。...
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  • ダルバク・ハーン(在位:1412年 - 1415年)…オルジェイ・テムル・ハーンの子。オイラトのマフムードが擁立 オイラダイ・ハーン(エセク・ハーン)(在位:1415年 - 1425年)…アリク・ブケ家出身。オイラトが擁立 アダイ・ハーン(在位:1425年 - 1438年)…オゴデイ家出身。オルク・テムル・ハーンの子...
    121 KB (16,166 words) - 09:44, 1 September 2024
  • チョロース (category オイラト部)
    モンゴル系民族 > オイラト > チョロース チョロース(モンゴル語: Цорос、中国語: 綽羅斯)とは、北元時代のドルベン・オイラト(四オイラトオイラト部族連合)に属する氏族の一つ。ウイグル帝国の子孫の一派であり、特にモンゴル帝国に征服されたナイマン部の流れをくむと見られる。15世紀以降に隆...
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  • ダイチン国)に改めた。 これに対して、清の脅威にさらされた外モンゴルのハルハとオイラトの各部は同盟を結び、1640年に「ハルハ・オイラド法典」(「オイラト・モンゴル法典」)を制定して部族間関係を調整、ハルハとオイラトの抗争はやんだ。 ウバシの子バトマ・エルデニ・ホンタイジ(オンブ・エルデニ)は父...
    33 KB (4,848 words) - 05:02, 25 June 2024
  • モンゴル系民族 > オイラト > バートト バートト部(モンゴル語: Баатуд/Baatud、中国語: 巴圖特)とは、ドルベン・オイラト(四オイラトオイラト部族連合)に属する部族の一つ。 ガワンシャラブ著『四オイラト史』はバートト部をホイト部と同じグループに分類しており、バートトとホイトは起源を同じくするものと見られる。...
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  • オーロト (category オイラト部)
    モンゴル系民族 > オイラト > オーロト オーロト(モンゴル語: Өөлд、中国語: 額魯特)とは、北元時代のオイラト部族連合(四オイラト)を構成するとされる部族の一つ。後には「オイラト」の別称として用いられた。 14世紀末、明朝の成立によってモンゴル帝国(大元ウルス)は長城以南の領土を失い、北元...
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  • qaγan)と表記される。でもエセクは別人。 1387年、四オイラトのケレヌート部のとして生まれる。 1415年、ダルバク・ハーンが崩御したため、オイラダイが帝位につき、バトラ丞相の未亡人のサムル公主を娶ってエセク・ハーンとなった。オイラダイ・ハーンはオルジェイト妃子とアジャイ太子、アスト部のアル...
    2 KB (166 words) - 20:44, 28 May 2024
  • トゴン (category オイラト部)
    天罰によって死んだため、その息子のエセクがオイラダイ・ハーンを擁立し、サムル公主を娶ってバクムも引き取ったという。この頃、サムル公主はオゲチ・ハシハに虐げられたのを恨みに思って後のアダイ・ハーン、アルクタイ・タイシを逃がしているが、この際にバクムはオイラトの仇敵であるモンゴルを利するような行為を責め立てている。...
    9 KB (1,502 words) - 01:05, 24 April 2024
  • クドカ・ベキ (category オイラト部)
    としての地位は低下した。15世紀以後史料上に現れる、ドルベン・オイラト(4オイラト部族連合)に属するホイト部の支配者はクドカ・ベキの子孫を称しており、クドカ・ベキ一族の末裔であると見られている。 『集史』「オイラト部族史」には「[オイラト部族は]常に一人の支配者、一人の首長を持っていた」と記されてお...
    10 KB (1,219 words) - 11:07, 8 October 2022
  • 中華民族 漢民族 アミ族(台湾原住民) 日本人 アイヌ民族 大和民族 琉球民族 朝鮮民族 モンゴル系民族 モンゴル族 オイラト人 ブリヤート人 ダウール人 ツングース系民族 満洲民族 ビルマ族 カチン族 カヤー族 カレン族 チン族 ラカイン族 アチャン族 タロン族 モン族...
    5 KB (532 words) - 18:06, 13 August 2024
  • オイラトはしばしば長城を越えて侵入して来た。 この時期のオイラトは、エセンが出現したことで分裂していた部族を統合し強大な国家へ成長していた。一方の大明帝国は英宗の統治に因って政治行政の腐敗と軍紀の頽廃が酷い惨状に陥っており農民反乱が頻発していた、侵攻の好機と見たオイラト...
    9 KB (1,498 words) - 09:31, 11 May 2024
  • 充実し、最盛期と評価される(仁宣の治)。 一方このころ、モンゴル高原では西モンゴルのオイラトが力をつけ、モンゴルを制圧したオイラト族長エセン・ハーンは明へ侵攻してきた。1449年、英宗は側近の宦官王振の薦めでオイラトに親征を行ったが、自ら捕虜となる大敗を喫した(土木の変)。捕虜になった英宗に代わり皇弟の朱祁鈺が即位した(景泰帝)。...
    49 KB (8,339 words) - 23:01, 2 August 2024
  • Калмыкия)は、カスピ海の北西に位置するロシア連邦内の共和国である。カルムイキア共和国と表記されることもある。首都はエリスタ。人口は約27万人で、オイラト系カルムイク人が約6割、ロシア人が約3割である。 1920年に自治州として設立され、1936年には自治共和国(カルムイク自治ソビエト社会主義共和国)となった。...
    11 KB (1,153 words) - 04:53, 8 August 2024
  • オイラト出身のハトンとの間に生まれる。 15歳の時(1452年)、マンドゥールンは兄のタイスン・ハーン(トクトア・ブハ),アクバルジ晋王らとともに、ドリヌ・ハラに陣取る四オイラトに向かって出陣した。戦は次兄のアクバルジ晋王が長兄タイスン・ハーンを裏切ったため、四オイラト側の勝利となった。...
    6 KB (744 words) - 05:37, 12 January 2024
  • エセク (category オイラト部)
    Эсэхү、中国語: 賢義王太平、? - 1424年)は、15世紀前半に活躍したドルベン・オイラトオイラト部族連合)の首長の一人。明朝の史書には賢義王太平と記される。 モンゴル年代記の一つ、『シラ・トージ』にはエセクは「オイラトのケレヌート」のオゲチ・ハシハの息子として生まれ、チョロースのバトラ丞相を殺し、...
    16 KB (3,164 words) - 06:27, 19 October 2023
  • 15世紀初頭にモンゴル高原で台頭していたオイラト部族の指導者トゴンはハーンを称そうとしたが、伝統的なチンギス統原理のためにハーンへの即位を反対された。トクトア・ブハはトゴンによってモンゴル高原に呼び戻され、1433年にハーンに即位した。1434年にオイラトと敵対していたアルクタイを討ち、1438年...
    8 KB (970 words) - 05:47, 12 January 2024
  • 土木の変(どぼくのへん)は、1449年9月1日(正統14年8月15日)、交易の拡大を求めたオイラトの指導者エセンが明領に侵攻したのに対して、親征を行った明朝正統帝(英宗)が、土木堡(現在の河北省張家口市懐来県土木鎮)でエセンの軍勢に大敗し、正統帝自身も捕虜となった戦いを指す。中国史上でも珍しい、皇帝...
    11 KB (1,969 words) - 05:57, 5 December 2023
  • ギー県およびホブド県)にいる別のウリャンカイの集団はアルタイ・イイン・ウリャンカイ(アルタイ・ウリャンハイ(英語版))と呼ばれる。これらは明らかにオイラトを指している。また、サハの旧称の一つはウランカイであった。ロシアの Pavel Nebolsin は1850年にヴォルガ川のカルムイク人のウランク...
    13 KB (1,927 words) - 20:06, 5 April 2024