• オランダ風説書オランダふうせつがき、阿蘭陀風説書)は、日本が鎖国政策をとっていた時期に江戸幕府がオランダ商館長に提出させた、海外事情に関する情報書類である。 1600年、イギリス人のウィリアム・アダムスとオランダ人のヤン・ヨーステンが来日し、徳川家康と面会(リーフデ号事件)。これが契機となって、...
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  • 。(中略)キリスト教禁制を強行し、日本人の海外渡航禁止の政策をとった幕府としては、海外情報源の確保はきわめて重要な意義をもつものであり、この手段としてオランダ人による風説書提出が案出されたものであった。” ^ webstaffa (2014年3月1日). “「オランダ風説書」と江戸期日本の世界認識...
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  • 『和蘭国所領咬𠺕吧督外交勧告を幕府に奉呈の事』。#岩倉公実記。アメリカ遣日大使ペリーは1852年11月24日にヴァージニア州ノーフォークを出航し、翌年1853年7月8日には浦賀への黒船来航を果たした。 ^ オランダ商館長のヤン・ドンケル・クルティウスが「別段風説書...
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  • 平戸に常駐した最後のオランダ商館長は、初めて『オランダ風説書』を口述筆記して幕府に提出したことで広く知られるマクシミリアン・ル・メールである。日本がポルトガルと断交したことにより、それまでポルトガル商館が置かれていた出島が無人となっていたが、1641年(寛永18年)にカロン商館長が幕府による平戸から出島へのオランダ...
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  • 風説書」(阿蘭陀風説書オランダ風説書)と呼ばれる。長崎奉行は風説書を江戸表へ送り、幕府首脳は風説書を通じて、海外情勢を知った。風説書の内容は年々簡略化され、形式化された。しかし、19世紀中葉、国際情勢が緊迫化して日本にもその余波が現れると、幕府は海外情報の収集に努め、「通常の」風説書...
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  • が日本からの輸入銅を用いていたため、交易を再開・継続する必要に迫られ、清朝は信牌を商人たちに返却した。 オランダ商館長が江戸幕府に提出したオランダ風説書、中国船がもたらし幕府がまとめた唐船風説書は、海外事情を知る手掛かりとなった。 また、対馬藩を仲介した李氏朝鮮との倭館での交易も幕府の公認を受けた...
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  • 1993年東京大学史料編纂所助手、2006年助教授、2007年准教授。オランダ風説書に関する研究を行い、2008年『オランダ風説書と近世日本』で角川源義賞受賞。同年4月、東京大学文学博士。論文の題は「オランダ風説書と近世日本」。『オランダ商館日記』の編さんに従事している。 夫の松方純(1957年 -...
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  • ドイツ人医師と将軍との交流』中公新書 ISBN 4-12-101168-6 松方冬子『オランダ風説書「鎖国」日本に語られた「世界」』中公新書 ISBN 978-4-12-102047-5 バタヴィア 朱印船 長崎貿易 オランダ商館日記 Johan Gerald Frederik van Overmeer Fisscher...
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  • オランダ人にも影響がおよびかねないなどの懸念を表していた。 老中首座阿部正弘は、夏ごろには溜間詰の譜代大名にこれらを回覧した。海岸防禦御用掛(海防掛)にも意見を聞いたが、通商条約は結ぶべきではないとの回答を得た。また、長崎奉行もオランダ人は信用できないとしたため(以前にオランダ風説書...
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  • オランダ風説書によって得ていた。 19世紀に入るとオランダ以外の欧米諸国も日本にも執拗に開国を迫り出してきており、江戸幕府は対応に苦慮していた。1839年(天保10年)にアヘン戦争が始まると、オランダはそれまでの風説書とは別に、詳細な別段風説書...
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  • 限られ、日本人の海外渡航や大船建造の禁止など統制が行われていた。この間の幕府の対外情報源は、出島において貿易を許可されていた清や、オランダオランダ商館やオランダ風説書、薩摩藩経由での琉球王国からの情報が主であった。他に朝鮮通信使からも情報を得る機会はあったが、朝鮮もまた日本と同様に、海外との付き...
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  • 出島 (category オランダ東インド会社)
    働いている日本人の監督指導、出島に出入するための門鑑(通行許可)発行などを行った。「オランダ通詞」はオランダ語通訳の役人で、大通詞、小通詞、稽古通詞などの階級に分かれていた。大通詞は大体4名交代で年番通詞を勤め、江戸参府に同行し、風説書や積み荷の送り書きの翻訳をした。そのほかに日行使(にちぎょうし...
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  • ヤン・ドンケル・クルティウス (category オランダ史の人物)
    ランダ商館長に就任した。1855年8月には駐日オランダ理事官を兼務する。 長崎奉行との交渉を委任され、米国が砲艦外交で日本に開国を迫ろうとしていることを、オランダ風説書とともに提出した「別段風説書」で江戸幕府に予告した。その際、米国との交渉の前にオランダとの間に通商条約を締結して開国すべきと進言し、...
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  • 長崎貿易 (category オランダの国際関係)
    4-582-13103-4 松方冬子『オランダ風説書 : 「鎖国」日本に語られた「世界」』中央公論新社〈中公新書 2047〉、2010年。ISBN 9784121020475。 NCID BB01548684。全国書誌番号:21751922。  唐人屋敷 長崎貿易銭 薩摩藩の長崎商法 通詞 唐通事 オランダ通詞 日本の貿易史...
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  • Bulletin of Portuguese - Japanese Studies. 3: 53–83. ISSN 0874-8438. ^ オランダ風説書 ^ Nationaal Archief ^ 銅版画 1669年 Nederland Koninklijke Bibliotheek ^ 1650年ごろ...
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  • 永積洋子訳注『平戸オランダ商館の日記』全4巻、岩波書店、1980年 永積洋子『平戸オランダ商館日記 近世外交の確立』講談社学術文庫、 2000年 永積洋子訳注『ドゥーフ日本回想録』〈新異国叢書〉雄松堂出版、2003年 - 辞典ドゥーフ・ハルマで著名な19世紀前半のカピタン(商館長)。 オランダ風説書 長崎貿易...
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  • オランダは鎖国中も出島での交易を許されており、またオランダ風説書にて海外事情を幕府に報告していた。さらにアヘン戦争が始まると、以降は別段風説書を作成してイギリスの武力による中国進出を詳しく報告した。1844年8月14日(弘化元年7月2日)に長崎に入港した軍艦パレンバン号は、オランダ...
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  • 本多博之『戦国織豊期の貨幣と石高制』 第30回(2008年) 大谷節子『世阿弥の中世』 眞壁仁『徳川後期の学問と政治-昌平坂学問所儒者と幕末外交変容』 松方冬子『オランダ風説書と近世日本』 第31回(2009年) 大谷雅夫『歌と詩のあいだ』 坂野潤治『日本憲政史』 第32回(2010年) 前田勉『江戸後期の思想空間』...
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  • 流でも欧米、特にイギリス船による物流が中心となった。 日本へもアヘン戦争などでの蒸気船の活躍の情報は、オランダ風説書や輸入書物によって少しずつ伝わっていた。1843年(天保14年)には幕府がオランダ商館長に、蒸気船の輸入や長崎での建造を照会するなどしていた。 実物の蒸気船が日本を訪れたのは、1853...
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  • 請直前にBIE条約を批准した。詳細は博覧会国際事務局を参照のこと。 日本に国際博覧会の存在が伝わったのは1853年であると考えられており、別段オランダ風説書を通じてニューヨーク万国博覧会の開催と、前々年の1851年に同様の催しがロンドンでも開催されたことが伝えられた。国際博覧会との直接的な接触が生...
    36 KB (2,624 words) - 11:47, 8 June 2024
  • リターン号 (category イングランドの歴史)
    オランダ風説書』などの情報によって日本側にも知られていたチャールズ2世とポルトガルのカタリナ王女との婚姻問題を取り上げてこれを問題視し、またイングランド側がかつて一方的に商館を閉鎖したことを非難して貿易再開要求を拒否し、改めてイングラン...
    6 KB (892 words) - 20:37, 19 June 2023
  • 「鎖国」中は日本とポルトガルは直接的な接触を行うことは無かったが、東南アジア各地に残された日本人町ではポルトガル人との交易も暫くの間続いた。また、オランダ風説書などのオランダ人によってもたらされた情報によってポルトガルとスペインの動向はある程度江戸幕府も把握しており、英国船リターン号が1673年に貿易再開を求...
    57 KB (8,789 words) - 02:06, 17 July 2024
  • マクシミリアン・ル・メール (category オランダ東インド会社の人物)
    html 東京大学史料編纂所 日本関係海外史料 オランダ商館長日記 訳文編之四(下) ^ 宮崎克則編 ケンペルやシーボルたちが見た九州、そしてニッポン 22ページ、ISBN:978-4874157275 ^ 松方冬子 オランダ風説書 「鎖国」日本に語られた「世界」38-44ページ、ISBN:978-412102047-5...
    4 KB (572 words) - 22:25, 29 August 2023
  • 、風が無く浦賀から出られなくなるという事態に陥り、曳航してもらったという事態も起きたことがある。なお、ビドルが来訪するであろうことは、その年のオランダ風説書にて日本側には知らされていた。 ビドルはコロンバスを率いて太平洋を横断し、12月にはチリのバルパライソに到着した。米墨戦争の勃発に伴い、翌18...
    9 KB (1,019 words) - 01:34, 27 July 2024
  • 『赤蝦夷風説考』(あかえぞふうせつこう)は、江戸時代中期の医師・経世家(経済学者)である工藤平助が著したロシア研究。天明初年(1781年)に下巻が先にかれ、天明三年に序文・上巻と付属する地図2枚が成稿された。写本の中には『加摸西葛杜加国風説考』の書名を持つものがあり、この名称を正とする研究も定着...
    9 KB (1,403 words) - 21:09, 2 December 2023
  • ては発見と同旨であったとされている。近現代の発明の意味で用いられるようになった初期の例はオランダ風説書の添付文書である別段風説書(Apart Nieuws)などにみられる(弘化4(1847)年6月26日付風説書)。 発明は創造過程である。開かれた、好奇心溢れる心が既知のものの向こうを見通すことを可...
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  • 自由で、運動も十分にできた。船内よりはるかに快適である」となっている。 老中首座の阿部正弘はオランダ商館からの報告書「別段風説書」を通じて、外国勢力が日本に迫ってくることを知っていた。1850年の別段風説書では、北太平洋で操業する捕鯨船主らのロビー活動によって、アメリカ議会で日本を開国しろという議...
    26 KB (4,023 words) - 01:27, 21 November 2024
  • 天保10年7月(1839年)に敬直は忠邦に意見書を提出し、オランダ風説書は通詞を通さずに長崎奉行より直接江戸に上呈して日本国外の情報が民間に流れることを厳しく禁じること、オランダ語をはじめ西洋の書籍に対する検閲と翻訳の規制を強化すること、天文方の業務と医者が蘭方医学を...
    5 KB (748 words) - 06:59, 27 April 2024
  • カロンは日本との貿易も計画したが、他のフランス人と意見が対立し、結局は実現しなかった。しかしながら、この情報は日本のオランダ商館にも伝わり、1667年のオランダ風説書で幕府にも報告されている。 カロンは1669年にインドのスーラトに支店を開設し、さらにペルシア出身のアルメニア商人マルカラ・アヴァンチンツ(英語版)をゴールコンダ...
    22 KB (2,943 words) - 20:40, 25 April 2024
  • 、7月29日(6月7日)、両艦は浦賀を出港した。なお、ビドルが来訪するであろうことは、その年のオランダ風説書にて日本側には知らされていた。 東インド艦隊司令官であるデビッド・ガイシンガーは、広東のオランダ領事から、アメリカ捕鯨船の船員18人が、長崎で牢に入れられていることを聞いた。ガイシンガーは彼...
    60 KB (6,109 words) - 21:52, 17 October 2024
  • 浦賀に停泊したモリソン号(1837年) アヘン戦争 - 江蘇省鎮江之戰(英語版)(1842年7月21日) オランダ国王ウィレム2世 エルミタージュ美術館 蔵 シーボルトが起草したウィレム2世の勧告(1844年2月15日付) ウィレム2世の国書と献上品を家慶に齎した使節 杉田成卿 -...
    21 KB (2,607 words) - 17:22, 5 November 2024