Kapilavastu カピラ城(カピラじょう)とは、紀元前4–6世紀ごろに存在した小国、あるいはその土地。釈迦の出身地として著名である。カピラヴァストゥ、カピラワットゥとも(後述)。 位置については長らく忘れ去られ、20世紀になってから政治がらみの論争が起きており、学術的な裏付けのある最終結論が...
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釈迦族の斛飯王(ドローノーダナ)の太子で、兄・摩訶男(マハーナーマン、カピラ城の大臣で、釈迦成道後に出家した摩訶男とは別人)の弟(五分律の説)。 釈迦族の甘露飯王(アムリトーダナ)の太子で、前項2と同じ摩訶男の弟(大智度論の説)。 釈迦が故郷カピラ城に帰り、難陀(アーナンダ)、羅睺羅(ラーフラ)がまず仏弟子と...
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彼はインドのカーストで下層のシュードラの出身で、カピラ城で釈迦族の王子たちの理髪師だった。釈迦が悉多(シッダルタ)として太子だった頃には執事だったともいう。 成道した釈迦がカピラ城に帰郷し、孫陀羅難陀、羅睺羅(ラーフラ)が弟子となった後、阿那律(アヌルッダ)、跋提...
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典には、その名を記したプンナ教誡経(Puṇṇovāda-sutta)が収録されている。 コーサラ国のカピラ城近郊、ドーナヴァストゥ(またはスナーパランタ)という村のバラモン種族に生まれた。父はカピラ城主である浄飯王(すなわち釈迦の実父)の国師で、母は釈迦の最初の弟子衆である五比丘の一人である僑陳如(...
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Sekha-sutta, セーカ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第53経。 アーナンダがカピラヴァッツ(カピラ城)の釈迦族に仏法を説いていく。 釈迦 アーナンダ ある時、釈迦はカピラヴァッツ(カピラ城)に滞在していた。 そこに釈迦族の在家信徒たちが訪れ、新しい集会堂を寄進した。 釈迦は、アーナンダに彼らに説法するよう命じる。...
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人がいて盗戒を犯し、王に就いて懺悔として王宮に詣でるに、王が五欲に耽って六日外人を見ず、この因縁を以って今生6年母胎にいたとある。 釈迦は成道後にカピラ城に帰った際、2日目の孫陀羅難陀(スンダラ・ナンダ)をはじめ多くの釈迦族の青年を出家させたが、羅睺羅は7日目にして出家したという(律蔵・大品第1健度など)。...
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日本ネパール協会 編『現代ネパールを知るための60章』明石書店、2020年5月20日。ISBN 978-4-7503-5015-8。 サンスクリット経典 ボダナート スワヤンブナート トゥラング・タシ・ヤンツェ僧院(英語版)(ナモ・ブッダ寺) カピラ城 表示 編集 表示 編集...
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類似の伝統漢訳経典としては、『中阿含経』(大正蔵26)の第100経「苦陰経」や、『釈摩男本四子経』(大正蔵54)、『苦陰因事経』(大正蔵55)等がある。 釈迦が、カピラ城の釈迦族王子マハーナーマ(Mahānāma)に対して、苦にまつわる仏法を説いていく。 『南伝大蔵経・経蔵・中部経典1』(第9巻) 大蔵出版 『パーリ仏典...
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類似の伝統漢訳経典としては、『中阿含経』(大正蔵26)の第191経「大空経」がある。 釈迦が、アーナンダに、比丘の修行のあり方について説く。 釈迦 アーナンダ ある時、釈迦はカピラヴァットゥ(カピラ城)のニグローダ園に滞在していた。 釈迦は、アーナンダに、修行者は独居でいるべきであり、社交を喜んだり憂いたりする者は解脱できないし、色を...
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ー(瞿曇弥)とも呼ばれるが、これは釈迦族の女性全般に用いられる呼び名であり、この人物のみを指す名称ではない。 アーナンダ ある時、釈迦はカピラヴァットゥ(カピラ城)のニグローダ園に滞在していた。 そこにかつての釈迦の乳母だった在家マハーパジャーパティーが訪れ、自分で織った服を釈迦に布施しようとする。...
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ローマサカンギヤ(盧夷強耆) --- 比丘 釈迦 ある時、釈迦は、サーヴァッティー(舎衛城)のアナータピンディカ園(祇園精舎)に滞在していた。 その頃、比丘ローマサカンギヤ(盧夷強耆)は、カピラヴァッドゥ(カピラ城)のニグローダ園に滞在していた。そこにチャンダナ神が現れ、ローマサカンギヤに、「吉祥な...
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2019年9月17日閲覧。 ^ 『地球の歩き方』2007-2008年版 ^ ウィリアムス春美『ぶらりあるき 天空のネパール』芙蓉書房出版 2012年6月15日 四大聖地 カピラ城 ルンピニー公園 ウィキメディア・コモンズには、Lumbini Nepal (カテゴリ)に関するメディアがあります。 ウィキトラベルには、ルンビニに関する旅行ガイドがあります。...
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耶輸陀羅の身辺や出身には多くの説がある。 拘利(コーリヤ)族の天臂(デヴァーダハ)城のアンジャナ王を祖父として、その王の長男・善覚(スプラブッダ)、長女・摩耶、次女・摩訶波闍波提あり、耶輸陀羅は善覚の娘で提婆達多は弟に当る(南伝パーリ仏典、ジャータカ等)という説。 釈迦族の住むカピラ城の執杖(ダンダパーニ)大臣の娘、瞿夷(ゴーピカー...
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その後6年間、大乗・小乗の各種の戒律を学び、『般若灯論』『百論』『十二門論』等の論書をも学習した。28歳の時、カピラ城に向かい、勝賢論師に就いて『瑜伽師地論』『唯識論』『弁中辺論』を学んだ。 3年を経て31歳の時、南インドに向かい、龍樹菩薩の弟子である龍智に就いて...
5 KB (835 words) - 05:27, 13 March 2024
キッショー アジャセに仕える従者。両親との和解を進言する。 カピラ城の人々 ヤショダラー スパーフ城から嫁入りしたシッダの妃。ダイバに手籠めにされたことを恥じ、自害する。 スッドーダナ カピラ城主。シッダの父。ダイバを一族から追放する。 マーヤー スッドーダナの妃。シッダの母。...
39 KB (5,543 words) - 11:35, 3 December 2023
トリヤ(武士)、ヴァイシャ(平民)、スードラ(奴隷)、更にスードラ以下とされカーストにすら含まれないバリア(賤民))のもと暮らしていた。カピラヴァストウ(カピラ城)の王子ゴータマ・シッダルタはクシャトリヤの身分として、何不自由のない生活を送っていた。やがては結婚し、息子誕生と共に王位に就くことにな...
104 KB (14,286 words) - 17:53, 15 November 2024
ィヤ、アヌルッダがそろって出家したときの逸話なども書かれている。 釈迦族は自尊心が非常に強い民族だった、といわれる[誰によって?]。釈迦が成道後、カピラ城に帰った際にクシャトリアである諸王子を差し置いてシュードラ出身の優波離が先ず弟子となった後に、諸王子が仏教の教団の伝統に基づき、阿難など諸王子達が...
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承であり、森らは無視できないとしている。 摩訶波闍波提らの出家により比丘尼僧伽が成立する。摩訶波闍波提と共に出家した女性500人は釈迦族の女性で、カピラ城の女官であったとされる。 摩訶波闍波提の僧伽での活動は明確ではない。摩訶波闍波提が戒和尚となって出家した女性として『四分律』などには蓮華色の名が見...
15 KB (2,141 words) - 17:48, 2 August 2023
カピラ城をチャンナと共に出城し、東方の阿奴摩(アーマー)河にて剃髪し出家した。その際、チャンナに宝冠、衣帯、宝珠を渡し白馬カンタカを牽引して城へ帰さしめた。摩訶僧祇律では摩訶迦葉の後に続いて順に出家したとされるが、一般的には釈迦仏が故郷カピラ城へ帰った際に出家したといわれる。...
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世したため、多くの遺跡があったと伝える。 法顕伝には、舎衛城より東南に12由延云くと倶留孫仏の生まれた那毘伽邑で、そこからまた北に1由延満たずして一邑あり、ここが倶那含牟尼仏が生まれた処で、ここからまた東に1由延行くと釈迦仏が生まれたカピラ城があったと伝えている。また玄奘の西域記にも倶留孫仏と同様に...
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にあったカーシー国の一部分を征服するなどして、東インドに強力な勢力を形成した。 彼は当初、釈迦が出家するや、その出家の志を翻して浄飯王の命に従順しカピラ城に帰るよう勧めた。当時釈迦の出身部族である釈迦族は大国コーサラ国によって征服されていた。そしてマガダ国とコーサラ国は競合関係にあったため、ビンビサ...
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メチナガルの旧称はカカールビッタ(Kakarbhitta)。マヘンドラ・ハイウェイの東端。 ^ カマラマイの旧称はシンドゥリマディ(Sindhulimadi)。 ^ カピラバストゥの旧称はカピラ城(Taulihawa)。 ^ ラームグラムの旧称はパラシ(Parasi)。 ^ タンシン(英語版)はタンセーン(英語版)とも呼ばれる。...
110 KB (1,836 words) - 00:10, 9 February 2024
訳:阿若は了本際、知本際、已知、解了、了教、もしくは反対に無知とも訳す。憍陳如は火器など 略称:憍陳如、憍陳那、憍隣、拘隣、倶隣 カピラ城に近いDonavatthu(ドーナヴァットゥ)村の人で、バラモン出身。占相術に秀で、ゴータマ・シッダッタが生れる時、その実父であるスッドーダナ(浄...
6 KB (917 words) - 14:45, 16 June 2024
釈迦仏と同日に生まれ、クシャトリア出身で、かつて仏が太子の朋友で、仏が成道中に、使者をして仏を故郷カピラ城に迎えたウダーイ。「長老の偈」などはカールダーイと同一人物と見る。 カピラ城のバラモン種にして、仏が成道後に帰城した後に出家したウダーイ。「長老の詩」では単にウダーイとし、Manoでは彼をカールダーイとする。...
3 KB (475 words) - 09:02, 16 September 2015
図書館に移した際には、児童文学への無理解により貴重な蔵書が不当に扱われているとの思いを抱き、批判的な主張を展開した。 青い林檎 百華苑 1949 カピラ城の王子さま 福音館書店 1955 ひらがなおしゃかさま 金の星社 1956 親鸞 少年少女世界伝記全集(日本編 1) 講談社 1961 さよならするのサランくん...
9 KB (1,033 words) - 10:29, 15 August 2024
は「王よ、親族の陰は涼しいものである。」と静かに答えた。しかし釈尊はこれを三度繰り返しつつも、その宿縁の止め難きを知り四度目にとうとう釈迦族のいるカピラ城へ攻め込んだ。「仏の顔も三度まで」ということわざはこの出来事に由来していると言われている。 この時、マハーナーマンがその責任を感じ「自分が池に潜っ...
6 KB (1,005 words) - 12:08, 11 August 2024
一説では、ティラウラコットは釈迦が生涯の最初の29年間を過ごした、釈迦族の古代都市カピラ城の場所であるという。 1996年にネパール政府によってユネスコ世界遺産として申請されたが、一方でインド政府は発掘調査によりカピラ城は、インドのウッタルプラデーシュ州のパイプラハワ(英語版)の可能性を主張し、学術的にはまだ結論に至っていない。...
6 KB (285 words) - 07:03, 4 July 2024
釈迦仏と同日に生まれ、クシャトリア出身で、かつて仏が太子の朋友で、仏が成道中に、使者をして仏を故郷カピラ城に迎えたUdāyī。「長老の詩」などはKāludāyīと同一人物と見る。 カピラ城のバラモン種にして、仏が成道後に帰城した後に出家したUdāyī。「長老の詩」では単にUdāyīとし、Manoでは彼をKāl...
6 KB (1,251 words) - 04:30, 20 February 2024
父王から王位を奪い、すぐに釈迦族を滅ぼさんとして進軍した。釈迦仏はこれを知り、三度止められるも宿縁の止め難きを悟り、四度目にしてついに釈迦族のいるカピラ城へ攻め込んだといわれる。 その際、マハーナーマンはヴィドゥーダバに「私が水中に没している間だけ逃げた釈迦族の人は助けてやって欲しい」と懇願し、それ...
4 KB (627 words) - 09:15, 16 June 2024
で迎えに行き、カッピナは仏に見え比丘となった。祇園精舎に至り間もなく悟りを得て、その後、妻のアノジャーも出家した、という記述が見られる。 仏が故郷カピラ城に帰った後、また去って遊行に出て南方の阿奴夷(アヌピヤー)村に滞在し給う時、阿那律(あなりつ)などの諸王子と優波離(うぱり)、難提迦(なんだいか)...
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山田無文:C項 - 花園大学学長。教育、著作・講演。 功労賞 土岐善麿 - 歌人。仏教を題材に新作「能」。 文化賞 中村瑞隆:A項 - 仏跡踏査、カピラ城跡の発掘調査。 加藤辨三郎:C項 - 外護者として「在家仏教運動」に献身。 功労賞 榑林皓堂 - 駒澤大学総長。教育・学術面に。 文化賞 長尾雅人:A項...
19 KB (2,617 words) - 15:29, 30 November 2024