• トリブヌス (tribunus) は、ラテン語で部族長や軍隊の指揮官を指す。古代ローマにおいては、特定の公職や軍隊の高級将校を指す言葉として用いられたことが多い。 伝承によれば、原初のローマ国家は3つの部族集団からなっており、その部族が「3つ」を意味する接頭辞トリ (tri-) を用いてトリブス (tribus)...
    2 KB (280 words) - 09:19, 23 August 2020
  • トリブヌス・ミリトゥム(ラテン語: tribunus militum)は、古代ローマの軍団(レギオー)における高級将校・幕僚。語義は「兵士の長」。「軍団司令官」などと訳されることもあるが、実戦の司令官ではなかったとされている。 共和政ローマでは、元老院議員クラスから選出され、1個軍団当たり定員6名...
    2 KB (222 words) - 18:32, 18 March 2021
  • トリブヌス・プレビス、直訳すると「平民の指揮官」と呼ばれる代表を選び、その元で結束し、彼らの身体を不可侵とすることを神に誓った。これに対して日本語では「護民官」の訳語が与えられている。平民国家の代表である護民官は、当時のパトリキ国家の代表である執政官(コンスル)と対応して2名が選ばれ、同様にトリブ...
    11 KB (1,643 words) - 15:23, 10 October 2021
  • トリブヌス・ミリトゥム・コンスラリ・ポテスタテ (ラテン語: Tribunus militum consulari potestate、英語: military tribune with consular power) とは、共和政ローマにてパトリキとプレブスの確執が表面化してきた時期に創設された公...
    7 KB (445 words) - 01:13, 30 June 2022
  • )や法務官(プラエトル)クラスなどから元老院により任命されることになっていた。階級としては、ローマ帝政後期のドゥクス(dux)よりも下位であり、トリブヌス(tribunus)よりも上位であったとされている。 レーガートゥス(legatus)は、ラテン語で「派遣する」を意味する動詞「レーゴー」(le...
    3 KB (292 words) - 17:35, 6 February 2023
  • トリブスの増加に伴い最終的には35の選挙区となった。トリブス民会はフォルム・ロマヌム内で行われたため、選挙のたびに各トリブスの代表団がローマを訪れた。民会では按察官、財務官を選出していた。 紀元前311年には護民官ルキウス・アティリウスとガイウス・マルキウスによる法によってトリブヌス...
    3 KB (431 words) - 16:42, 17 August 2022
  • まず司令官である執政官自体が1年の任期ごとに交代する状況に対応して、指揮系統の混乱を避けるためにも陣営の設営などをマニュアル化する必要もあったため、紀元前331年からトリブヌス(Tribunus、師団指揮官)の制度が導入された。歩兵戦術としてはサムニウム戦争での経験から、従来のファランクス(方陣)を中心とする大集団の一...
    44 KB (6,855 words) - 12:42, 29 July 2024
  • 王政廃止以降も元老院という形で行政を独占するパトリキとプレブスの区別は厳格で、十二表法では両者の通婚は禁止されていた。その間プレブス内での氏族関係が整理され、氏族ごとの軍隊に反映され、のちにトリブヌスを生み出すこととなった。 プレブスは徐々に力を増し、既存勢力であるパトリ...
    4 KB (591 words) - 06:11, 19 June 2022
  • に集まることになっている。このとき連隊長やトリブヌス・ミリトゥムは既に Praetorium に集まっている。そこでは司令部スタッフがその日の軍務計画を忙しく作成している。そのミーティングでトリブヌス・ミリトゥムはその日の「合言葉」と命令を受け取る。トリブヌス...
    46 KB (6,655 words) - 18:57, 7 September 2024
  • 本土出身者が主導権を握る都市であることの証明でもある。 青年期を迎えるとトラヤヌスは軍団への参加を通じて政治的キャリアを築き始め、各地を転戦する日々を送る。父がシリア総督として現地に赴任した74年、トラヤヌストリブヌス・ミリトゥム(幕僚)として派遣された記録が残っている。76年にはクァエストル(...
    43 KB (5,611 words) - 16:59, 10 November 2024
  • ヌス・ラテラヌスによって提案、制定された法。名称は二人の提案者の名前から。リキニウス法とも表記される。 共和政ローマ前半のパトリキ(貴族)とプレブス(平民)間の身分闘争において、重要な画期となった。 ティトゥス・リウィウスによれば、内容は以下の通りである。 トリブヌス...
    3 KB (380 words) - 09:10, 24 June 2022
  • 一介の軍団兵から軍キャリアを起した後、ケントゥリオ、トリブヌスなどへ昇進を重ねた。皇帝ウァレリアヌスによって抜擢されたことがアウレリアヌスの名を広めた契機となり、ガッリエヌス帝統治下の268年に起こったナイススの戦いに於いてゴート族の騎馬隊を撃退する活躍を見せた...
    11 KB (1,292 words) - 12:00, 5 June 2024
  • レガトゥス・レギオニスは、マリウスの軍制改革によって、トリブヌス・ミリトゥムの上に設けられた職である。ローマ軍を率いる総司令官や属州総督(プロコンスルやプロプラエトル)によってレガトゥスの中から選ばれて任命され、1個~数個軍団の指揮を任された。軍団長の下には、各軍団ごとに6名のトリブヌス・ミリトゥムが選出されて、2名ずつ3交代で軍団の運営を司った。...
    2 KB (261 words) - 15:15, 25 June 2022
  • 有望視されていた小スキピオはマケドニアからも仲裁を頼まれていたが、軍での経歴を求めて自ら名乗り出て執政官ルキウス・リキニウス・ルクッルスの配下のトリブヌス・ミリトゥム(士官)となったため、市民の人気を集め、志願兵も集まったという。 小スキピオは蛮族と一騎打ちを行い、それに勝利するとインテルカティア...
    46 KB (5,410 words) - 13:10, 11 July 2023
  • トリブスの数が増やされた。紀元前241年に最後の追加が行われ、最終的には4つの都市トリブスと31の農村トリブスの合計35トリブスとなった。 ローマ軍団兵の募集は、執政官が毎年の民会で召集する日を発表する。その日に兵役年齢に達した人々がローマに集まり、各軍団のトリブヌスがくじを引き、各トリブ...
    47 KB (6,098 words) - 21:37, 12 April 2024
  • アに在籍する兵士各自は現地で妻を娶ることもできた。 反乱を防ぐため、アウクシリアは兵士を召集した現地より離れた場所で駐在し、プラエフェクトゥスやトリブヌス・ミリトゥムといったレギオーの統率できる権力のある高位の軍人の指揮によって動かされた。補助兵は兵役の最後に金銭を受け取ることが通常ではあったが、...
    4 KB (500 words) - 14:25, 20 October 2023
  • ティトゥス (category ウェスパシアヌス)
    の事をティトゥスは生涯忘れず、後に皇帝になった時に若くして死んだ旧友の像を建立したと伝えられている。 61年から63年にかけてトリブヌス・ミリトゥムに就任、父ウェスパシアヌスとともにブリタンニアへ赴く。64年にローマに戻りアレキナ・テルトゥラと結婚、しかしすぐ死別、翌65年にマルキア・フルニッラと再...
    9 KB (1,129 words) - 02:54, 5 January 2024
  • 革以降は、レガトゥス(副官)のうちからレガトゥス・レギオニス(軍団長)を任命して指揮させることが多かった。各軍団の運用については、さらに各6名のトリブヌス・ミリトゥム(兵士長)によって補佐された。 帝政時代になり、国境がある程度画定してくると、防衛が主な目的になった。ローマの国境はケルト人・ゲルマ...
    7 KB (790 words) - 13:41, 31 October 2024
  • ティベリウス・クラウディウス・アセッルス, 紀元前207年のトリブヌス・ミリトゥム。執政官ネロの下でハンニバルと戦う。翌年サルディニア担当プラエトル ティベリウス・クラウディウス・アセッルス, 紀元前140年の護民官。スキピオ・アエミリアヌスがケンソルの時厳しい処分を受けその復讐を企む ガイウス マルクス・クラウディウス・グリキア...
    16 KB (1,461 words) - 09:56, 30 June 2022
  • から抜けなくなる。ネンニウスは自分の剣を捨て、カエサルの剣でローマ兵を多数殺害する。殺された中にはトリブヌス・ミリトゥムのラビエヌス(Labienus)もいた。カエサルはガリアに敗退する。カッシベラヌスは勝利を喜びたいが、ネンニウスの死で複雑な思いである。ネンニウスを埋葬する時、クロケア・モルスとい...
    17 KB (2,214 words) - 19:02, 7 September 2024
  • トリブヌス・プレビス(護民官)の経験者が加わり、ケンソル(監察官)によって選別(レクティオ・セナトゥス)されていた。 元老院は、共和政発足時からその中心的な存在ではあったが、紀元前5世紀から4世紀にかけての身分闘争の結果、パトリ...
    50 KB (7,569 words) - 23:36, 17 July 2023
  • 紀元前217年のトラシメヌス湖畔の戦いの敗戦後、ディクタトル(独裁官)に任命されたファビウス・マクシムスは、神々の怒りを鎮めるための様々な儀式を提案し、そのうちの一つ、春の生け贄は、カトが執政官を務めた紀元前195年に実行されている。 紀元前214年、トリブヌス...
    43 KB (5,664 words) - 15:41, 4 October 2024
  • Equitum, 騎士長官, 騎兵長官)‐ 独裁官の補佐官 コンスル(consul, 執政官, 執政, 統領)‐ 元首、インペリウム保持者 トリブヌス・ミリトゥム・コンスラリ・ポテスタテ(tribunus militum consulari potestate, 執政武官)- 共和政下で一時的に執政官の代わりに設置された...
    7 KB (650 words) - 17:54, 5 June 2023
  • プルタルコスによれば、スキピオ・アエミリアヌスのヌマンティア戦争に従軍していた弟ガイウスを、兄ティベリウスが土地割り当て三人委員に選出したとあり、はっきりとそう書かれている訳ではないがトリブヌス・ミリトゥムであろうと予想されている。その後、紀元前126年の財務官に当選し、ルキウス・アウレリウス・オレステス...
    7 KB (850 words) - 10:56, 5 June 2023
  • 87年には軍団は招集され、ドミティアヌスのダキア戦争に参加。94年から95年にかけてまだダキアに滞在していたが、その頃は後のローマ皇帝となるハドリアヌスが第2軍団アディウトリクスのトリブヌス・ミリトゥムとして任務に従事していた。 106年の夏季には軍団はダキア人の拠点サルミゼゲトゥサを包囲。101年から106年にかけてのトラヤヌス...
    4 KB (348 words) - 12:18, 25 September 2021
  • 紀元前147年、ティベリウスはトリブヌス・ミリトゥムもしくはレガトゥスとしてスキピオ・アエミリアヌスの下、第三次ポエニ戦争に参加し、カルタゴの城壁を乗り越えるなどして活躍した。 紀元前137年、ティベリウスはクァエストルに就任し、執政官であったガイウス・ホスティリウス・マンキヌスの下、ヌマンティア戦争に従軍した。マンキヌス...
    11 KB (1,084 words) - 13:14, 14 April 2023
  • Paterculus)という名であったであろう事が分かっている。 パテルクルスはカンパニア地方の高名な家柄の出身であり、彼は早いうちから軍籍に属していたと言う。そして、その中でトリブヌス・ミリトゥムとしてトラキア、マケドニア、ギリシアなどの東方に赴任、西暦2年にはアウグストゥスの孫ガイウス・カエサルに随行しユーフラテス川へ、パル...
    5 KB (733 words) - 05:34, 27 July 2023
  • 紀元前168年、実父マケドニクスのピュドナの戦いでの勝利を、クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・マケドニクスらと共にローマ市へ報告した。翌年、マケドニクスの命で、トリブヌス・ミリトゥムのプブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルムと共に、ペルセウス (マケドニア王)を支援していたイリュリア攻撃に派遣された。...
    5 KB (388 words) - 14:45, 19 September 2021
  • を延長され、ムティナを奪還してリグリア人の反乱を鎮圧した。 紀元前171年、プブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前171年の執政官)配下のトリブヌス・ミリトゥムとして、ボイオーティアのハリアルトゥスを包囲し、プラエトルのガイウス・ルクレティウス・ガッルスに引き継いだ。...
    8 KB (548 words) - 15:18, 21 February 2024
  • マルクス・リキニウス・ポッリオ:紀元前208年のレガトゥス。執政官クリスピヌスが重傷を負い選挙管理について相談するため本国から派遣された三人のうちの一人 マルクス・リキニウス・ストラボ:紀元前178年のトリブヌス・ミリトゥム。執政官ウルソの下イストリア半島で第二軍に所属し、ヒストリ族の奇襲を受けた際ただ一人踏みとどまり3個マニプルスを率いて戦ったものの戦死...
    15 KB (1,381 words) - 08:35, 25 June 2022
  • ・アルウィナはサティキュラ(en、現在のサンターガタ・デ・ゴーティ)から進軍したが、山岳部でサムニウム軍の罠にもうすこしでかかるところであった。トリブヌス・ミリトゥム(高級将校)の一人であるプブリウス・デキウス・ムスが小部隊を率いて山頂を占領し、サムニウム軍を混乱させてコルネリウスを脱出させた。夜...
    15 KB (2,367 words) - 13:55, 3 October 2023