ウグリチェ・ポーレ」(角の野原)の名で記されている。地名の由来は、ヴォルガ川が大きく湾曲する角にあるからと考えられる。 1218年から1328年まではウグリチは小さな公国(ウグリチ公国)の首都だったが、1328年にウグリチ...
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Иванович, 1582年10月29日 - 1591年5月15日)は、ロシアのツァレーヴィチ、ウグリチ公。雷帝イヴァン4世とその7番目の妻マリヤ・ナガヤとの間の息子。 正教会の聖人でもあり、ウグリチ公ドミトリー(Дмитрий Углицкий)とも呼ばれている。 1582年、イヴァン4世が52歳のときに生まれた。...
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ウグリチ公(ロシア語: князь Углицкий)は、ロストフ公国(後にモスクワ大公国)の分領公国だったウグリチ公国の君主の称号である(「公」はクニャージからの訳出による)。君主号・公国の名は、その首都だったウグリチによる。 括弧内の数字は在位年 ウラジーミル・コンスタンチノヴィチ(1218年 -...
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ウグリチ公国(ロシア語: Углицкое княжество)は、ウグリチを首都として成立した分領公国である。 ウグリチ公国は1216年にロストフ公(後にウラジーミル大公)コンスタンチンが、ロストフ公国を息子たちに分割相続させたことで成立した。初代のウグリチ公はコンスタンチンの子のウラジーミルであった。...
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その後、父はかれにロストフ、ヤロスラヴリ、ウグリチを与える。 1211年に父と領土を巡って争う。 1216年には弟のユーリー2世とヤロスラフ(後のヤロスラフ2世)の軍を破り、ウラジーミルに入り、大公になる。 1218年に死去。三人の息子に世襲分の領土を分割し、ロストフ(ロストフ公国)をヴァシリコに、ウグリチ(ウグリチ...
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※地区に属さない州直轄市 ヤロスラヴリ:州都 ルイビンスク トゥターエフ:旧名ロマノフ=ボチソグレプスク ペレスラヴリ・ザレスキー ウグリチ ロストフ:最も古い町 ガヴリロフ=ヤム ダニーロフ ムイシキン ポシェホニエ リュビーム 13世紀より知られるモローガ(ロシア語版、英語版)は1...
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伊達尚宗、陸奥国の戦国大名(* 1453年) 1556年(弘治2年4月20日) - 斎藤道三、美濃国の戦国大名(* 1494年?) 1591年 - ウグリチのドミトリー、ロシアのツァレーヴィチ(* 1582年) 1750年(寛延3年4月23日) - 桜町天皇、第115代天皇(* 1720年) 1767年...
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一方、分領公国の終焉は中央集権国家の形成によって引き起こされた。ロシアでは、ロシア・ツァーリ国の最後の分領公国であるウグリチ公国が、1591年に、イヴァン4世の子のドミトリーの死後に廃止された。リトアニア大公国内では、18世紀末まで若干の分領公国が存続していた。 注釈 ^...
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がつながっている。ルイビンスクからヴォルガ川は東に流れ、ヤロスラヴリ、コストロマを通る。このウグリチからコストロマまでの区間は、ロシアの古い都市群、いわゆる「黄金の環」と呼ばれる地位の北端に位置し、ウグリチ、ルイビンスク、ヤロスラヴリ、コストロマはそれぞれ黄金の環に属する都市であり、古い歴史を持っ...
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恐怖の山 (redirect from チャウグナル・ファウグン)
ローマの時代、ピレネー山中に住む人外ミリ=ニグリ族は、ポンペロの町の人間をさらい、邪神チャウグナル・ファウグンへの生贄とする。ローマの総督から300人の討伐隊が派遣されるが、邪神の反撃に遭い、空が消え山がうねるという異常な状況で壊滅する。勝利したチャウグナル・ファウグ...
15 KB (2,326 words) - 02:53, 8 August 2024
リチウム塩類の分析から、リチア(酸化リチウム)がおよそ55 %の金属リチウムを含んでいると見積もり、リチウムの原子量をおよそ9.8 g/molであると推定した(現在の値は6.94 g/mol)。1855年、ロベルト・ブンゼン、アウグストゥス・マーティセンによって塩化リチ...
103 KB (13,536 words) - 15:56, 2 November 2024
1320年5月30日)は、14世紀初頭のルーシの分領公である。ウグリチ公:1302年 - 1320年、ロストフ公:1316年 - 1320年。 ユーリーはウグリチ公アレクサンドルの子、コンスタンチン(ru)の孫として生まれた。ユーリーがまだ年少の頃に父は死亡し、1307年にそのウグリチ...
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ウリチ族(ウリチぞく、ウクライナ語: Уличі、ロシア語: Уличи、ベラルーシ語(タラシケヴィツァ):Улічы)とは、8世紀から10世紀にかけて、ドニエストル川下流や南ブーフ川沿い、黒海沿岸に居住していた東スラヴ民族の部族である。年代記においては、ウリチ、ウルチ、ウグリチ...
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ルーシの諸公国 (section ガーリチ・ヴォルィーニ地方)
(ウスティエ・1400年頃 - 1447年) クルバ公国(ru) - (クルバ・1425年頃 - 1455年頃) ウグリチ公国 - (ウグリチ・1216年 - 1591年)cf.ウグリチ公 ベロオゼロ公国 - (ベロゼルスク、1432年からヴェレヤ(ru)・1238年 - 1486年)cf.ベロオゼロ公...
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ペレヤスラヴリ公、キエフ大公のユーリー・ドルゴルーキーの妻アエパ・オセネヴィチがコンスタンティノープル出身だと結論づけた。 ツァレーヴィチ、ウグリチ公のウグリチのドミトリーの死因について暗殺説を支持した。 パレモナス朝の伝説に関しては18世紀に『баснословны и явно основаны...
9 KB (844 words) - 23:06, 8 November 2024
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はゴンサウヴェス、第二姓(父方の姓)はバリチェロです。 ルーベンス・ゴンサウヴェス・バリチェロ(Rubens Gonçalves Barrichello, 1972年5月23日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身のレーシングドラ...
87 KB (6,438 words) - 06:32, 3 August 2024
リチウムイオン二次電池(リチウムイオンにじでんち、英: lithium-ion battery)は、正極と負極の間をリチウムイオンが移動することで充電や放電を行う二次電池(充電可能な電池)である。正極、負極、電解質それぞれの材料は用途やメーカーによって様々であるが、代表的な構成は、正極にリチ...
89 KB (10,752 words) - 21:10, 8 December 2024
ウグリチに赴き、殺人者達がボリスの指示でドミトリーを殺害したと白状するのを目撃したという。】ピーメンの話を聴いているうちにグリゴリーは死んだ皇子ドミトリーが生きていれば自分と同い年であることを知る。やがて夜が明け、朝の勤行のためピーメンは立ち去るが、野心家のグリゴリーは心中密かにボリス打倒を企てる。...
62 KB (7,722 words) - 11:28, 29 August 2021
ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン(ゲオルク・アウグストだいがくゲッティンゲン、英語: Georg August University of Göttingen、公用語表記: Georg-August-Universität Göttingen)は、ドイツニーダーザクセン州ゲッティンゲンに本部を...
28 KB (2,908 words) - 07:24, 26 July 2024
事実による。その財産を使って周辺の諸公国内部に所領を増やし、その結果、それらの公国は実質的にモスクワの支配下に入った(ベロオーゼロ公国、ガーリチ公国、ウグリチ公国、コストロマー公国)。また、ハンの同意を得て、息子セミョーンに大公位を相続させて以来、モスクワは北東ルーシ地方の諸公国のなかで領袖的地位を得た。...
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だが、シュイスキーはのちに許されて、ボリスに仕えることとなった。 1591年にフョードル1世の異母弟ドミトリーが分領のウグリチで謎の死を遂げる事件が起きると、ボリスに皇子の死因調査団の団長を任せられ、その死因を探った。 シュイスキーはこれに関して、ドミトリーがナイフを持っ...
15 KB (1,662 words) - 15:40, 17 December 2023
ウグリチに幽閉した。 だが貴族らはシェミャーカの政策に反発し、幽閉されていたヴァシーリー2世を助け出した。ヴァシーリー2世はトヴェリに逃れて再起を果たし、モスクワを奪還した。1450年にはシェミャーカの本拠であったガーリチを陥落させ、1453年にはシェミャーカを毒殺して抗争に勝利した。...
8 KB (793 words) - 15:45, 17 December 2023
- プスコフ州の前哨 ズヴェニゴロド スタロドゥーブ トヴェリ - モスクワ大公国により破壊される スクニャティノ - 1930年代にヴォルガ川のウグリチ・ダム建設により水没 キンギセップ(ヤマ要塞) - レニングラード州の前哨 ラドネジ(都市遺跡、現在はセルギエフ・パサド近郊の村落)...
10 KB (1,051 words) - 09:08, 10 April 2022
ウラジーミル占領の後の3週間、ブルンダイの第2軍は主軍のおよそ2倍の距離を遠征した後、シチ川へと至った。また同刻、主軍はトヴェリ・トルジョークでの包囲戦に勝利した後、ウグリチ方面からシチ川へと接近していた。対するルーシ軍は、ドロフェイ・セミョーノヴィチの指揮する3000人の部隊を除き、兵を収集する時間がなかった。123...
6 KB (592 words) - 08:13, 25 December 2018
とイコンのある生神女就寝大聖堂を含む修道院の建物群はユネスコの世界遺産のリストに追加された。 スヴィヤシュスクは1551年に要塞として設立される。ウグリチで作られた部品をヴォルガ川を下って運び、4週間以内に建設された。1552年のカザン包囲戦の間、ロシア軍の軍事基地として使用される。...
4 KB (489 words) - 00:33, 27 December 2023
イギリス議会の上院である貴族院には26人の聖職貴族が議席を有し、国政に参加している。 カンタベリーのアウグスティヌス司教 リチャード・フッカー(エクセター大聖堂にある像) ジョン・センタム ヨーク管区大主教 (写真:ヨーク大聖堂、2005年) 国王チャールズ3世(イギリスの君主)...
32 KB (4,116 words) - 09:32, 16 December 2024
フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Wedel-Jarlsberg Nansen 発音例、1861年10月10日 - 1930年5月13日)は、スウェーデン統治下および独立後のノルウェーの科学者、探検家、国際政治家。1893年から1896年にかけてフラム号による北極遠征を行ったことで有名。...
10 KB (1,096 words) - 01:02, 7 December 2024
ウグリチ公:1410年 - 1427年。 ヴァシリーはウラジーミル(ru)の末子(七男)として生まれた。父の所領のうち、ペレムィシュリ(ru)とウグリチを相続した。 1414年、兄のアンドレイ(ru)と共にガーリチ(ガーリチ...
3 KB (199 words) - 07:10, 23 June 2022
ウラジーミル・コンスタンチノヴィチ (category ウグリチ公)
ウラジーミル・コンスタンチノヴィチ(ロシア語: Владимир Константинович、1214年 - 1249年12月7日)は、初代ウグリチ公である。在位:1218年 - 1249年。 ウラジーミルはウラジーミル大公(兼ロストフ公)コンスタンチンとその妻アガフィヤの子として生まれた。123...
3 KB (178 words) - 15:28, 30 April 2022
えられ、分領公国としてのロストフ公国が成立した。このコンスタンチンはロストフ公家の始祖となった。また、コンスタンチン期のロストフ公国はベロオゼロ、ウグリチ、ウスチュグ、ヤロスラヴリをも領土に含んでいた。 1212年、ウラジーミル大公フセヴォロドが死ぬと、その遺言によって、コンスタンチンの弟のユーリー...
13 KB (1,547 words) - 02:44, 17 December 2023
法は、生涯に3度以上の結婚を私通とみなすため、この異母弟は非嫡出子扱いで正式な後継者とはみなされなかった。ドミトリーは1591年、8歳6ヶ月の時にウグリチの自邸で喉を切られて死んでいるのが発見され、ボリスの摂政政府は死因調査の結果事故死と発表したが、帝位を狙う彼による暗殺が噂された。...
8 KB (840 words) - 15:42, 17 December 2023