稲生の戦い(いのうのたたかい)は、弘治2年8月24日(1556年9月27日)に、現在の名古屋市西区で起きた戦いである。 尾張国の有力武将である織田弾正忠家で起きた、織田信長とその弟信行(信勝)との家督争いから起きた戦い。稲生合戦、稲生原合戦とも呼ばれる。稲生は、尾張国春日井郡の庄内川に近い場所にある地名である。...
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1556年のカレンダー(ユリウス暦) 1月23日(嘉靖34年12月12日) - 華県地震、明の陝西省(現在の中華人民共和国陝西省)で起きた地震。死者数約83万人。人類史上最悪の自然災害となった。 5月28日(弘治2年4月20日) - 長良川の戦い 9月27日(弘治2年8月24日) - 織田信長が尾張稲生...
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長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(当時のユリウス暦で1575年6月29日。現在のグレゴリオ暦に換算すると1575年7月9日)、三河国長篠城(現・愛知県新城市長篠)をめぐり、3万8千人の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千人の武田勝頼の軍勢が戦った合戦である。...
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浮野の戦い(うきののたたかい)は、戦国時代、尾張国浮野(愛知県一宮市千秋町浮野)で起きた合戦。浮野合戦ともいう。 織田弾正忠家の織田信長は尾張の支配を固めつつあった。尾張下四郡を支配する清洲織田氏(織田大和守家)の守護代織田信友を萱津の戦いで破り自刃させ、さらに弟信勝との内訌(稲生の戦い)に勝利し、尾張国守護の斯波義銀をも追放した。...
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織田信行 (category 尾張国の人物)
の信長と尾張の支配権を巡って争い、初期の信長の統治にとって大きな脅威となった。一時は信長に代わって弾正忠家の当主を名乗ったが、稲生の戦いで敗北し、その後、信長に謀殺された。 信行の人物像について詳細は伝わらないが、信秀の...
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桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国知多郡桶狭間での織田信長軍と今川義元軍の合戦。2万5千人の大軍を率い尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が本陣を奇襲、または正面から攻撃し、今川義元を討ち取った。...
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林秀貞 (category 尾張国の人物)
の留守居役に任ぜられた。 清洲城の占拠後も織田氏の諸分家を糾合するなどして戦国大名として頭角を現し始めた信長であったが、秀貞の不安と不満は解消されなかったようで、弘治2年(1556年)に柴田勝家や弟・通具らと共に織田信勝を擁立して挙兵。しかし、稲生の戦いで信長に敗北し、この戦いで弟の...
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名塚町 (名古屋市) (category 日本の町・字のスタブ項目)
名駅13系統(名古屋駅行) 庄内公園 天台宗新福寺 国風第2幼稚園 曹洞宗宋円寺 白山神社 庚申塚 - 稲生の戦いの際の戦死者を弔うために建てられた塚。 稲生原古戦場跡 名塚砦 - 佐久間盛重が稲生の戦いの際に守った砦。白山神社あたりに所在したとされるが不詳である。 郵便番号 : 451-0081(集配局:名古屋西郵便局)。...
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一乗谷城の戦い(いちじょうだにじょうのたたかい)は、天正元年8月(1573年9月)に織田信長と朝倉義景の間で行なわれた戦国時代の合戦である。但し一乗谷城での攻防は極めて限定的であったため、激戦地の名を冠して刀根坂の戦い(とねざかのたたかい)とも呼ばれる。 織田信長と対立した室町幕府15代将軍足利義...
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前田利家 (category 独自研究の除去が必要な節のある記事/2013年1月-6月)
の逸話が残る。この時、利家は矢を抜くことなく戦後の首実検にも参加したという。 稲生の合戦の後、浮野の戦いでも槍先による功を挙げ、この戦いの際に槍の又左の異名がついたとも言われる。 姉川の浅井攻めでは浅井助七郎なる者を討ち取るなどの...
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津田盛月 (category 織豊政権の大名)
の戦いでは、坂井五郎を討ち、弘治2年(1556年)の信長と織田信行(信勝)の争った稲生の戦いでは、柴田勝家配下の鎌田勘之丞を討ったと伝わる。これらの功績により黒母衣衆の一員となった。永禄12年(1569年)からは信長の命令で足利義昭の守備を任されている。 ところが、兄の重政と長光寺城主の...
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槇島城の戦い(まきしまじょうのたたかい)は、元亀4年(1573年)7月に織田信長と室町幕府の将軍・足利義昭との間で行われた戦い。この戦いで義昭が敗れた結果、京都から追放され、室町幕府は事実上滅亡した。 永禄11年(1568年)9月、織田信長に擁されて上洛し、室町幕府の...
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織田信安 (category 室町・安土桃山時代の僧)
討たれると、信安は義龍と呼応し信長と表立って敵対するようになり、同年の稲生の戦いで信長の弟で末森城主・織田信勝(信行)が信長に反乱を起こした際は信勝に味方した。 弘治元年(1555年)に織田大和守家当主・織田信友が守護・斯波氏への謀反で信長に討たれ、永禄元年(1558年)に信勝が謀殺された後も勢力...
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前田長定 (category 尾張国の人物)
の与力として織田家に仕えた。 弘治2年(1556年)、稲生の戦いにおいて林通具が討死すると、織田信長により荒子城一帯の領地は没収され前田利春に与えられた。 前田長定は織田家重臣・佐久間信盛に仕え、本能寺の変ののちは、信盛の子・佐久間信栄のもと織田信雄に仕えた。 天正12年(1584年)の...
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森可成 (category 織豊政権の大名)
同年9月には信長とその弟・織田信行の家督争いである稲生の戦いにも参陣し信長軍の勝利に大いに貢献した。 永禄元年(1558年)の浮野の戦い、永禄3年(1560年)の今川義元との桶狭間の戦いなどにも参加した。 美濃攻略においても武功をあげ、斎藤勢のみならず、信濃か...
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萱津の戦い(かやづのたたかい)は、天文21年8月16日(1552年9月4日)に尾張国萱津で行われた戦いである。萱津合戦、海津の戦いとも呼ばれる。 尾張下四郡を支配する守護代、清洲織田家(織田大和守家)の重臣で、清洲三奉行の一人織田信秀(織田信長の父)はその勢力を伸ばし、主家の...
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観音寺城の戦い(かんのんじじょうのたたかい)は、永禄11年(1568年)9月12日、足利義昭を奉じて上洛の途にあった織田信長と近江守護である六角義賢・義治父子との間で行なわれた戦い。支城の箕作城が主戦場だったため、箕作城の戦いともいわれている。 信長の天下布武が実践された最初の戦いであり、直後の...
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馬廻 (category 織豊政権の政策制度)
の氏親時代にはなかった、有力武将の子を組織し親衛隊として馬廻衆を創設し、今川家当主の権力強化を図った。織田信長の馬廻衆は、小姓と並んで信長が選抜し訓練した土豪の次男・三男などから編成され、信長の側近として活躍した。稲生の戦いや桶狭間の戦いで信長の自在に動く軍事部隊として頭角を現した。信長の...
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東十三塚町 (category 瀬戸市の町名)
の塚を建てて弔った。 1482年(文明14年)今村赤津村郷主松原下総守広長は桑下城主長江民部少輔と相争い、合戦になった。松原勢は利なく西方へ敗走した。その時多数の軍兵が死に、この地に塚を築いて埋めた。その塚の数が13であった。 1556年(弘治2年)8月、稲生の戦い...
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利家とまつ〜加賀百万石物語〜 (category 日本の戦国時代を舞台としたテレビドラマ)
稲生の戦いで手柄を挙げ、早々に信長の親衛隊である赤母衣衆の筆頭になる。しかしその直後、信長の同朋の拾阿弥を斬り、信長から勘当される。2年間の放浪の末、美濃の猛将・足立六兵衛を討ち取り帰参が叶うが、出世競争では秀吉や明智光秀などに遅れをとる。賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家に味方した利家だが、秀吉の...
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天王寺の戦い(てんのうじのたたかい)は、石山合戦の一環として天正4年5月7日(1576年6月3日)に摂津天王寺(現在の大阪府大阪市)で行なわれた織田信長と一向一揆との戦いである。天王寺砦の戦いともいう。 元亀元年(1570年)9月、石山本願寺の門跡・顕如は織田信長との対決を決意した。石山合戦の始まりである。...
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戦いが始まった。 天正3年(1575年)5月には三河の長篠城を巡って武田勝頼軍と織田・徳川連合軍との間で長篠の戦いが発生した。この戦いで、武田軍は大敗北し、主要な家臣たちを多く失って、武田家領国は動揺した。 長篠合戦の後、武田氏の外戚である木曾義昌(武田信玄の娘で勝頼の妹・真理姫の...
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西十三塚町 (category 瀬戸市の町名)
の塚を建てて弔った。 1482年(文明14年)今村赤津村郷主松原下総守広長は桑下城主長江民部少輔と相争い、合戦になった。松原勢は利なく西方へ敗走した。その時多数の軍兵が死に、この地に塚を築いて埋めた。その塚の数が13であった。 1556年(弘治2年)8月、稲生の戦い...
15 KB (1,182 words) - 21:50, 16 February 2024
姉川の戦い(あねがわのたたかい)は、戦国時代の元亀元年6月28日(1570年7月30日/グレゴリオ暦8月9日)に近江国浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町及び三田町一帯)で、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍の間で行われた合戦である。 「姉川の戦い」「姉川合戦」という呼称は元々は徳川氏によるもの...
17 KB (2,582 words) - 12:15, 26 May 2024
有岡城の戦い(ありおかじょうのたたかい)は、天正6年(1578年)7月から翌天正7年(1579年)10月19日にかけて行われた籠城戦。織田信長に帰属していた荒木村重が突然謀反を起こしたことに端を発する。伊丹城の戦いとも呼ばれている。 天正6年(1578年)7月、三木合戦に参戦し、羽柴秀吉の...
38 KB (6,194 words) - 13:40, 14 September 2024
柴田勝家 (category 織豊政権の大名)
000人を率いて戦うが、信長との戦いに敗れて、降伏した(稲生の戦い)。この時は信長・信勝兄弟の生母・土田御前の強い願いで赦免され、信勝・勝家・津々木蔵人は、墨衣で清州城に上り土田御前とともに、信長に礼を述べた(『信長公記』首巻)。以後は信長の実力を認め、稲生の敗戦後、信勝が新参の...
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小坂雄吉 (category 尾張国の人物)
の傅役を務め、信雄より「雄」の1字を拝命し、小坂孫九郎尉雄吉と改名した。 弘治2年(1556年)の稲生の戦いの際には、比良城主の佐々氏らと共に奮戦し、信長からも高く評価されたといわれている。永禄5年(1562年)、小口城攻めの際は犬山城の反撃に対する守備の...
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上条城 (尾張国) (category 日本の歴史関連のスタブ項目)
の遠縁である小坂雄吉に跡を継がせ、上条城(この頃、林盛重が上条城の領地を信長に献上し帰農した)と吉田城城主を任ぜられた。雄吉は信長の命令で家臣の佐久間氏ら約500人とともに上条城に向かい、城域の拡張のため大改修を行なった。 同年、稲生の戦いの際に小坂雄吉は佐久間氏や家臣に上条城と吉田城の周辺の...
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丹羽長秀 (category 独自研究の除去が必要な記述のある記事/2022年1月-6月)
天文22年(1553年)、梅津表の合戦にて19歳で初陣を飾った。 弘治2年(1556年)、稲生の戦いでは信長方に付いた。 永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いでは今川義元の攻撃部隊には入っていないものの、従軍はしている。 『信長公記』などから斎藤龍興との美濃国における戦い...
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西区 (名古屋市) (category 日本の市町村のスタブ項目)
名古屋市の行政区 北区 中区 中村区 他の市町村 清須市 北名古屋市 朝日遺跡や西志賀遺跡などの弥生時代の遺跡が見つかる。 戦国時代 1556年(弘治2年8月24日)9月27日 - 稲生の戦い 安土桃山時代 織豊時代になると、織田信長の重臣である丹羽長秀や佐々成政などの有力な大名となった人物も現れる。...
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の説、などがある。 1181年:墨俣川の戦い、 平家軍(平重衡) × 源行家 1552年:赤塚の戦い、織田信長 × 山口教吉 1554年:村木砦の戦い、織田信長・水野信元 × 今川義元 1556年:稲生の戦い、織田信長 × 織田信行 1558年: 石ヶ瀬川の戦い、松平元康 × 水野信元 浮野の戦い、織田信長...
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