国王秘書長官(こくおうひしょちょうかん、英:Secretary of State)は、かつてイングランド王国に置かれた役職。国務卿、国務大臣とも訳される。 王の政治的補佐が仕事だったが、17世紀に北部担当国務大臣(Secretary of State for the Northern...
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ウィリアム・セシル (初代バーリー男爵) (category 国王秘書長官)
国王秘書長官に任じられた。続くカトリックのメアリー1世の下では官職に就くのは避けた(→政界入り)。 1558年にプロテスタントのエリザベス1世が即位すると再び国王秘書長官に任じられた(→エリザベス女王の秘書長官に就任)。就任早々国王...
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派閥抗争は議会解散後も続き、ペンブルック伯・アボット・国王秘書長官ラルフ・ウィンウッド(英語版)らプロテスタント派はノーサンプトン伯と甥のサフォーク伯トマス・ハワードとサマセット伯ロバート・カーらカトリック派から国王を引き離すため、ジョージ・ヴィリアーズ(後のバッキンガム公)を国王に近付けさせた。国王...
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ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯) (category 国王秘書長官)
PC、1563年6月1日 - 1612年5月24日)は、イングランドの政治家、貴族。 テューダー朝最後の女王エリザベス1世とステュアート朝最初の国王ジェームズ1世に重臣として仕え、エリザベス朝後期からステュアート朝初期のイングランドの国政を主導した。国王秘書長官(在職:1596年 - 1612年)や大蔵卿(英語版)(在職:1608年...
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トマス・クロムウェル (category 国王秘書長官)
年には公的な手続きを経ずして閣僚(王室財宝部長官)となった。1533年には財務大臣、1534年には国王秘書長官、記録長官、1535年には最高首長代理、1536年には王璽尚書と出世を重ねていくことになる。 こうして王の信頼を得たクロムウェルは、イングランドの宗教改革において重要な役割を果たすこととな...
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ンドンのグレイズ・イン法学院に入学。 敬虔なプロテスタントであったため、強硬カトリックのメアリー1世が即位するとバーゼル大学など国外の大学へ逃れて法学の勉強を続ける。 エリザベス1世即位後の1558年に帰国。エリザベス女王の国王秘書長官...
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大法官 (category イングランドの歴史)
国王秘書官があり、政府の批判・監視を主張した議会の統制を嫌い寵臣政治に傾いたリチャード2世は宮廷財務室と国王秘書官室を活用、後者に属する国王秘書官は御璽で発行された王の意思表示である御璽令状作成に当たった。後にこの役職は国王秘書長官へと発達していった。...
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1660年に二人制だった国王秘書長官(国務大臣)が職務を分割されたのが始まりで、北部担当国務大臣と南部担当国務大臣が創設された。 1707年の合同法施行前、国務大臣の責務はイングランド政府に果たされており、スコットランドを含むグレートブリテン全域を覆っているわけでは無かった。スコットランド...
15 KB (390 words) - 14:35, 14 December 2023
とである。この直後にチャールズはハイドを召喚し、以降彼を側近として使うことにした。1654年には「国王秘書長官」、1658年には「大法官」に任じられた。 国王側近となったハイドは亡命宮廷がイングランド国民の心情から離反した独りよがりな存在にならないよう努めた。例えばチャールズが後見裁判所(英語版)...
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国王はイングランド北部のヨークへ逃亡し、そこを王党派の拠点にし始めた。 フォークランド子爵やハイドら穏健派も議会内で「国王に有害な助言を行っている陰謀家」と糾弾されるようになり、身に危険を感じた2人はロンドンを離れ、ヨークの国王のもとへ合流した。この際にフォークランド子爵は国王より国王秘書長官と枢密顧問官に任命された。...
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南部担当国務大臣 (category 17世紀のイングランド)
Southern Department)は、イングランド王国並びにグレートブリテン王国の内閣に設けられた役職。1782年、南部省(英語版)が外務省に移管されたために廃止され、職務は外務大臣が担当することとなった。 1660年に二人制だった国王秘書長官(国務大臣)が職務を分割されたのが始まりで、南...
28 KB (1,109 words) - 14:11, 14 December 2023
スティーブン・ガーディナー (聖職者) (category 国王秘書長官)
イングランドで主宰することを教皇に認めさせた。この裁判で離婚は成立せず、王に見限られたウルジーの王との面会要求を退け、国王秘書長官に就任して王の秘書に変わった。 翌1529年、エドワード・フォックス(英語版)と共に友人のトマス・クラン...
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ジョージ・ヴィリアーズ (初代バッキンガム公) (category イギリスの枢密顧問官)
国王秘書長官ラルフ・ウィンウッド(英語版)、侍従長(英語版)第3代ペンブルック伯ウィリアム・ハーバートら宮中内の改革派(プロテスタント強硬派)による後押しがあった。大蔵卿(英語版)初代ソールズベリー伯ロバート・セシルが死去した後、宮廷は親カトリック・親スペインのハワード家が取り仕切っており、国王...
52 KB (5,991 words) - 22:47, 13 December 2024
1603年3月にエリザベス1世が崩御、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位した。ベーコンは新国王がエセックス伯と親しかったため当初不安を感じていたが、国王への働きかけが成功して7月にナイトに叙され、1604年にエリザベス1世の時と同じ特命の学識顧問官に任命され国王...
78 KB (11,551 words) - 12:52, 10 December 2024
エドワード・ニコラス (category 国王秘書長官)
第一次イングランド内戦が始まる前の1641年にチャールズ1世がスコットランドへ行った時、ロンドンに残り議会の動向を知らせる役目を負い、国王が帰還するとナイトに叙任された。国王支持者を増やすべくエドワード・ハイド(後のクラレンドン伯爵)らと接触、議会寄りと見られた国王秘書長官ヘンリー・ベイン...
14 KB (1,431 words) - 08:17, 12 December 2024
ロバート・カー (初代サマセット伯) (category 国王秘書長官)
官に列するとともに国王秘書長官に就任。1613年にはイングランド貴族爵位サマセット伯に叙される。1614年から1615年にかけては宮内長官(英語版)、五港長官(英語版)、王璽尚書を務めた。 カーはジェームズ1世の宮廷内ではスコットランド...
12 KB (894 words) - 08:02, 3 June 2023
ロバート・デヴァルー (第3代エセックス伯) (category イギリスの枢密顧問官)
1646年9月14日)は、イングランドの貴族、軍人。清教徒革命(イングランド内戦)の際に、ニューモデル軍が登場する頃までの議会軍総司令官だった。 1591年1月22日、第2代エセックス伯ロバート・デヴァルーとその妻フランセス(英語版)(国王秘書長官フランシス・ウォルシンガムの娘)の長男としてロンド...
20 KB (1,772 words) - 11:37, 12 November 2024
ランダへ派遣、1630年に枢密顧問官に任じられる。1632年に海軍委員、1636年に植民委員も兼ね、1639年に起こった主教戦争の収拾に当たった。 1640年に王妃ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスの意向で国王秘書長官に任命、同年の短期議会で補助金承認を提議したが、長期議会では国王...
8 KB (320 words) - 08:02, 3 June 2023
トマス・ハワード (初代サフォーク伯) (category イギリスの枢密顧問官)
Howard, 1st Earl of Suffolk, KG, PC、1561年8月24日 - 1626年5月28日)は、イングランドの貴族、政治家。 ステュアート朝初代国王ジェームズ1世の時代の1614年から1618年にかけて大蔵卿(英語版)を務めたが、カトリックであったため、プロテスタント強硬...
17 KB (1,112 words) - 11:43, 29 June 2024
ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯) (category イギリスの枢密顧問官)
1590年に国王秘書長官ウォルシンガムが死去すると、国王秘書長官の実務はセシル親子が掌握し、一方ウォルシンガムの諜報網はエセックス伯が受け継いだ。さらに1593年2月には枢密顧問官に列した。 エセックス伯の周囲にはセシル親子に排除された人々が集うようになった。法律家・庶民院議員フラン...
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ヘンリー・ハワード (初代ノーサンプトン伯) (category イギリスの枢密顧問官)
プトン伯がその第一卿(英語版)として実質的な後任となった。ロンドンの商人ライオネル・クランフィールド(英語版)を抜擢して財政改革にあたらせた。 しかしカトリックだったノーサンプトン伯は、国王秘書長官ラルフ・ウィンウッド(英語版)や宮内長官(英語版)ペンブルック伯ウィリアム・ハーバートら宮中内のプロ...
13 KB (963 words) - 11:35, 29 June 2024
ステュアート朝初期の宮廷において国王秘書長官ラルフ・ウィンウッド(英語版)とともに強硬なプロテスタントとして知られ、カトリックの初代サフォーク伯トマス・ハワードらと鋭く対立した。特にサフォーク伯らが親スペイン政策を唱えることに警戒感を持っていた。その対抗としてジョージ・ヴィリアーズ(後の初代バッキンガム公)を国王...
12 KB (817 words) - 10:51, 29 June 2024
アラベラ・ステュアート (category 16世紀イングランドの女性)
から1593年春までの間に、影響力のあるセシル親子(エリザベス朝の大蔵卿(英語版)のバーリー卿とその息子で国王秘書長官のサー・ロバート・セシル)は、アラベラから彼女の従兄にあたるスコットランド王ジェームズ6世へと関心を逸らし、彼の方が好ましい継承者とみなした。...
23 KB (2,149 words) - 11:33, 15 June 2023
火薬陰謀事件 (category イングランドのキリスト教史)
イングランド人の多くは君主制には忠実であった。結果、議会改革や市民改革の道を歩まず、「17世紀のスウェーデン、デンマーク、ザクセン、プロイセンのようなピューリタン的な絶対王政」になっていた可能性がある。 当時の多くの人々は、国王秘書長官ロバート・セシルが国王...
146 KB (21,002 words) - 14:10, 11 December 2024
ヘンリー・ペラム (category イギリスの枢密顧問官)
国王への感謝動議を提出した。同1720年5月25日に国王私室財務官(英語版)に、1721年4月3日に下級大蔵卿(Lord of the Treasury)に任命され、2度の官職就任に伴う出直し選挙で無投票当選を果たした。その後、1722年3月に国王私室財務官から退任した。...
34 KB (3,640 words) - 21:45, 22 March 2024
財務大臣 (イギリス) (section イングランド財務大臣 (1221年頃-1646年))
首席裁判官は1834年のデンマン卿(英語版)である。 財務大臣はイングランド史、英国史の中でも三番目に古い大臣職であり、元々は中世のイングランド王室の財務をつかさどった財務府において歳入の確保と会計監査の役割を担っていた。しかし財務官として重要性を帯びるようになったのは16世紀後半の財務大臣サー・...
104 KB (1,952 words) - 06:50, 20 October 2024
メイン陰謀事件(メインいんぼうじけん、Main Plot)とは、1603年のイングランドにおいて、第11代コバム男爵ヘンリー・ブルック(英語版)が主導する王宮の廷臣らが、即位直後のイングランド国王ジェームズ1世の追放を企てて失敗に終わった政府転覆未遂事件。彼らは代わりにジェームズの従姉妹にあたるア...
8 KB (1,224 words) - 14:12, 11 December 2024
トマス・セシル (初代エクセター伯爵) (category リンカンシャー選出のイングランド庶民院議員)
KG、1542年5月5日 - 1623年2月8日)は、イングランドの貴族、政治家。 1598年に父ウィリアム・セシルからバーリー男爵の爵位を継承し、ついで1605年にエクセター伯爵に叙された。 1542年3月5日、エリザベス1世の国王秘書長官ウィリアム・セシル(後のバーリー男爵)とその先妻メアリー...
16 KB (871 words) - 21:05, 1 November 2024
トマス・ニヴィット (初代ニヴィット男爵) (category イギリスの枢密顧問官)
国王秘書長官ロバート・セシルに提出した。その後、11月1日に狩りよりロンドンに戻ってきたジェームズ1世に手紙が渡され、それを読んだジェームズはウェストミンスター宮殿の周りを探索するように命じた。 11月4日の深夜、ニヴィットはエドモンド...
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会が関わっているとは言わなかった)。特に1606年1月13日の尋問では11月7日にコートンコートでガーネットやテシモンドと会ったことなども明かした。これらベイツの自白は、国王秘書長官ロバート・セシルが火薬陰謀事件をイエズス会の仕業とするのに大いに役立った。しかし、計画の主要メンバーではなかったベイ...
12 KB (1,716 words) - 15:25, 14 January 2023
ロバート・ダドリー (初代レスター伯) (category イギリスの枢密顧問官)
1588年9月4日)は、イングランドの廷臣、貴族。 初代ノーサンバランド公ジョン・ダドリーの五男。テューダー朝最後の女王エリザベス1世の寵臣であり、一時は女王の愛人となり結婚も取り沙汰されていた。1564年にレスター伯に叙された。エリザベスの宮廷で初代バーリー男爵ウィリアム・セシルと勢力を二分した。対スペイン...
39 KB (4,852 words) - 04:28, 16 November 2024