• 寺田 ヒロオ(てらだ ヒロオ、本名:寺田 博雄、1931年(昭和6年)8月4日 - 1992年(平成4年)9月24日)は、日本の漫画家。新潟県西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)生まれ、同県新発田市育ち。男性。新漫画党総裁。愛称は「テラ(寺)さん」。 伝説的な「トキワ荘」でのリーダー格で、特に藤子不二雄...
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  • 1981年10月3日19時30分 - 20時54分(JST) 石森章太郎 藤子不二雄 藤本弘 安孫子素雄 赤塚不二夫 寺田ヒロオ 森安なおや 鈴木伸一 よこたとくお 長谷邦夫 つのだじろう 園山俊二 水野英子 横山孝雄 スターシステムやクロスオーバーなどで同作者の別作品に...
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  • する。新メンバー加入については、党員のうち一人でも反対者がいれば認めない。1955年(昭和30年)1月の藤子の失態を機に合作を中止。4月解散。 寺田ヒロオ(総裁、会計責任者) 藤子不二雄(安孫子素雄、藤本弘) 坂本三郎 森安なおや 永田竹丸 1955年(昭和30年)5月結成。機関紙『ながれ』を発行...
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  • 8名の漫画家が居住し、またその仲間の漫画家も出入りするようになったため、「マンガ荘」というニックネームまで付けられた。 才能ある漫画家たちがトキワ荘に集まった背景には、寺田ヒロオの「空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の共同生活の場にしていきたい」「新人漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」と...
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  • 『COM』にも受け継がれた。後の1976年に創刊された朝日ソノラマ社の『マンガ少年』の誌名は本誌へのオマージュである。 投稿欄の担当は後に寺田ヒロオに代わり、寺田はこの投稿欄で優秀な成績を上げることをトキワ荘に漫画家を入居させる条件の一つにしていた。 雑誌の人気は手塚治虫の『ジャングル大帝』が連載さ...
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  • ロッテルダム国際映画祭招待作品。1996年キネマ旬報ベストテン第7位、読者選出第7位。 2021年にデジタルリマスター版が公開された。 寺田ヒロオが主人公であり、後に漫画の筆を折った寺田や、途中でトキワ荘を去った森安なおや、そしてなかなか売れずに苦悩の日々を過ごした赤塚不二夫らの運命を反映し、盛り上がりを抑え...
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  • 荒井悠 章太郎・利子夫妻の次男。 手塚治虫に憧れた漫画家たち。 赤塚 不二夫 演 - 林遣都 石森と同時期に上京してきたライバルであり友人。 寺田 ヒロオ(テラさん) 演 - 大野拓朗 藤本 弘(藤子・F・不二雄) 演 - 中田圭祐 安孫子 素雄(藤子不二雄Ⓐ) 演 - 佐久本宝 つのだ じろう(ゴロちゃん)...
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  • 、1950年代末から1960年代にかけての数々のヒット曲を作曲した。 兄の中村二大(1921 - 生死不明)はクラリネット奏者。妹の夫は漫画家の寺田ヒロオ。 1931年、青島にて誕生。父親は青島の日本人学校で校長を務めており、自宅にはピアノや蓄音機、レコードなどがあるという恵まれた音楽環境であった...
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  • 文化賞」に継承され、この一部門だった「児童まんが部門」が独立した賞として1977年(昭和52年)に「講談社漫画賞」となり、現在に至る。 第1回 寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」 永田竹丸「ピックルくん」 第2回 つのだじろう「ばら色の海」 第3回 ちばてつや「1・2・3と4・5・ロク」「魚やチャンピオン」...
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  • よしひこ(たけむら よしひこ、1952年4月10日 - )は、日本の漫画家。高知県南国市出身。高知県立高知工業高等学校建築科卒。本名は竹村芳彦。 寺田ヒロオ、藤子不二雄、一峰大二などのアシスタントを経て、1975年「ろぼっ子ビートン」(てれびくん連載)でデビュー。80、90年代は少年誌で活躍していた。現在は故郷の高知県で暮らしている。...
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  • と永島の起用は手塚の指名による。その他、松本零士も登場している。手塚治虫とトキワ荘に関わりのある石森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一、つのだじろう、寺田ヒロオ、藤子不二雄(藤本弘、安孫子素雄)、水野英子ら計12名の作家による競作漫画「トキワ荘物語」もこの雑誌で発表された。...
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  • 大桑記者 - ケーシー高峰 女子社員 - 加藤雅子 漫画家・川原 - 北詰友樹 藤野記者 - 頭師孝雄 鈴木記者 - 皆川衆 寺田ヒロオ - 渡辺寛二 浮浪者 - 及川ヒロオ 巡査 - 藤田啓而 守衛 - 神田正夫 原作 - 藤子不二雄(Ⓐ・Fコンビ解消前のため) 脚本 - 大久保昌一良 音楽 - 堀井勝美...
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  • 『暗闇五段』(くらやみごだん)は、寺田ヒロオによる日本の漫画、及びこれを原作にしたテレビ映画。 漫画は小学館の週刊少年サンデーにて1963年から1964年にかけて掲載された。 テレビ番組は千葉真一主演によるフィルム撮影で制作され、1965年から1966年に放映された。...
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  • 『陽気な仲間』、益子かつみ、全7回 / 1963年9月号-1964年3月号 『超人たち』、石森章太郎、全2回 / 1963年11月号、1963年12月号 『背番号0』、寺田ヒロオ、全8回 / 1964年4月号-1964年11月号 『こがらし一平』、岸本おさむ、全8回 / 1964年4月号-1964年11月号 『ファンキー・ボーイズ』、益子かつみ、全8回...
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  • グループの宣言「われわれは明日のジョーである」は当時の劇画の若者に対する影響力を物語っている。 劇画ブームに対して反発もあり、劇画嫌いで知られる寺田ヒロオはさいとう・たかをに批判文書を送りつけた。 1972年(昭和47年)のあさま山荘事件などの左翼の過激化で学生運動が退潮したと同時に、若者らに支持...
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  • NTT西日本中国野球クラブ(旧:NTT中国) - 統廃合の際にクラブチーム化。2003年に廃部。 NTT四国 - 統廃合の際に廃部。 NTTグループ九州野球クラブ(旧:NTT九州) - 統廃合の際にクラブチーム化。2001年に廃部。 寺田ヒロオ(漫画家) - 投手として在籍していた。 公式ウェブサイト 表示 編集...
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  • うしおそうじ ちばてつや 松本零士 牧美也子 木山シゲル 高井研一郎 大野豊 井上智 鈴木伸一 森安なおや よこたとくお つのだじろう 横山孝雄 寺田ヒロオ 園山俊二 高橋真琴 東浦美津夫 『まんがのカンヅメ―手塚治虫とトキワ荘の仲間たち』ほるぷ出版、1993年...
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  • なお中断中のアニメに関しては、 初作品は、開局して半年後に開始した江利チエミ初のテレビ出演番組『チエミのかわら版太平記』。その後は寺田ヒロオ原作の漫画をドラマ化した『もうれつ先生』や、坂本九主演の『にっこり捕物帳』、そして海外作品を放送するが、1962年9月終了の海外作品『ジェットパ...
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  • 手塚治虫 「スーパー太平記」 (1958年7月号-1959年6月号) 笹川ひろし 「探偵学校」 (1958年9月号-1959年3月号) 寺田ヒロオ 「わんぱく記者」 (1959年1月号-1960年6月号) ムロタニ・ツネ象 「そよ風吹之介」 (1959年4月号-1960年3月号) 笹川ひろし...
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  • を訪ねた。翌日、石森と二人で初めてトキワ荘を訪れ、寺田ヒロオや藤本弘(藤子・F・不二雄)、安孫子素雄(藤子不二雄A)の三人とも対面する。 同年、『漫画少年』の廃刊の知らせを受けて、赤塚と二人で学童社の編集部を訪ねる。そこで次号が出ていれば、寺田ヒロオ選考の『漫画つうしんぼ』への投稿が入選していた事実...
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  • なる。編集された『墨汁一滴』創刊号は小包として郵送され、北海道の会員を皮切りに順次南下。九州の後で東京都に送られ、『漫画少年』編集部や手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄(当時は同一ペンネーム)らを巡り、批評を仰いだ。翌年の春、手塚から電報でアシスタントを依頼されている。...
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  • 『漫画少年』の読者投稿からデビュー、井上一雄に憧れていた寺田ヒロオは初の本格連載作品として『野球少年』1956年1月号から『背番号0』の掲載を始める。井上が野球未経験なのに対し、寺田は都市対抗野球経験者であり『背番号0』は『バット君』の後継とも言える野球好きの少年たち...
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  • メ化がなされ、『鉄腕アトム』などが放送された。 同時代に幼児漫画を発表していた漫画家は、『おそ松くん』の赤塚不二夫、『ドラえもん』の藤子不二雄、寺田ヒロオらがいた。 男児向けの漫画はヒーローが小学生から中学生・高校生に移行しつつある。小学生主人公の漫画は少なくなり、藤子・F・不二雄作品や彼との関係...
    8 KB (1,127 words) - 13:00, 1 November 2023
  • 役 もりもりぼっくん(1986年) - 教師 じゃあまん探偵団 魔隣組(1988年) 銀河テレビ小説・まんが道(1986年・NHK総合) - 寺田ヒロオ 役 西田敏行の泣いてたまるか 第10話「ぼくの父さんはシェフ」(1986年、TBS / 国際放映、東阪企画) 金曜エンタテイメント 「おばさんデカ...
    9 KB (854 words) - 12:59, 27 November 2023
  • 少年誌への投稿漫画がきっかけで寺田ヒロオと知り合い、親交を深めた。電電公社(現・NTT)に勤めていた寺田をプロ漫画家に誘い、上京を勧めたのは棚下だという。しかし、上京後「トキワ荘」のリーダー的存在となった寺田に対し、棚下はそうした仲間意識や連帯感を好まず、「生きるため...
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  • 東京生まれで、三人兄弟の三男。1954年6月に福井英一が死去した後、『漫画少年』9月号の追悼特集に「思い出の訪問記」と題した漫画形式の回想を寄稿している。同年、藤子不二雄や寺田ヒロオとともに新漫画党を結成。トキワ荘などの漫画家仲間からは絵の上手さで一目おかれる存在だったが、編集者にケチをつけられたことから漫画家を引退しアニメーターに転身。...
    4 KB (476 words) - 23:59, 3 November 2023
  • 食うのにつらくても漫画一本で生きた方がよい」と思ったという。以降専業の漫画家として、児童漫画および大人漫画の連載作品を多数発表する。1961年、寺田ヒロオの紹介で、第2次新漫画党に参加。トキワ荘の漫画家たちと交流を深める。 1989年11月に手術のため入院(著書では「肝臓にできたコワイモノの除去」...
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  • 1968年から刊行が開始されたが、わずか5年後の1973年、虫プロ商事の倒産の関係で刊行が停止してしまった。虫プロダクション創設者の手塚治虫の作品だけではなく、トキワ荘の寺田ヒロオ、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫、つのだじろう等、全78作品・全188冊という非常に多くの作品を刊行した。...
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  • 堀田あきお(アシスタント) 清水文夫(アシスタント) とり・みき 鴨川つばめ 山下幸雄(元・漫画家(旧名:篠原幸雄)、現・編集プロダクション経営) 寺田ヒロオ 森安なおや 月岡貞夫(アシスタント) 古谷三敏(アシスタント) 平田昭吾(アシスタント、後に手塚プロダクションマネージャー) 谷岡ヤスジ 鈴木信一(アシスタント、現・歯科医師)...
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  • 田辺熊一(実業家、元衆議院議員、元巻町長) 深沢索一(版画家) 大島秀一(元衆議院議員、主婦と生活社創業者) 大久保政賢(実業家) 久保田成子(映像作家、彫刻家) 寺田ヒロオ(漫画家) 佐藤庄平(将棋棋士) 上原木呂(美術家、シュルレアリスト、パフォーマー、キーン誠己の実兄) ほんまりう(漫画家)...
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  • 『少年倶楽部名作選 熱血痛快小説集』講談社、1969年 『少年倶楽部名作選』(少年倶楽部文庫)講談社、1975年 手塚治虫:「加藤謙一氏と私」、所収は寺田ヒロオ編集『「漫画少年」史』、湘南出版社(1981年4月2日)。再録が「手塚治虫エッセイ集成 わが想い出の記」、立東舎、ISBN 978-4-8456-3190-2...
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