• ティグリス川、またはチグリス川は、西アジアでユーフラテス川とともにメソポタミアを形作る大河。ユーフラテス川の東側を流れている。このは南東トルコの山岳地帯から南に流れ、シリア、イラクを通過してユーフラテス川と合流し、シャットゥルアラブとしてペルシア湾に注ぎ込む。 古代ギリシア語名のティグリス...
    20 KB (2,021 words) - 15:04, 25 March 2024
  • ユーフラテス川(ユーフラテスがわ、英語: Euphrates、[juːˈfreɪtiːz] ( 音声ファイル))は、西アジア最長のである。ティグリス川と共にメソポタミア(の間の土地、の意)を形作っている。源流は東トルコにあり、シリアとイラクを通過した後ティグリス川と合流し、シャットゥルアラブとしてペルシア湾に注ぐ。...
    79 KB (9,540 words) - 22:08, 9 February 2024
  • イラク南部ティグリス・ユーフラテス川合流部は、中東で最も水の豊かな地域である。イラク人は合流部付近を沼に因んでマーシュと呼ぶ。1970年代以降水利が完備される以前は、ティグリス川の東に数kmから10 km離れ、の流れに並行した湖沼群とユーフラテス川...
    98 KB (13,234 words) - 18:03, 4 June 2024
  • バグダードは、イラク共和国の中央やや東寄りにあり、メソポタミア平原のほぼ中央、ティグリス川中流の河畔に位置する。その西を流れるユーフラテス川は同市付近でもっとも接近し、バグダードの南西約40キロメートルを南東方向にむけ流下している。 バグダードの市街地は、蛇行するティグリス川の両岸にひろがっている。左岸(東岸)にはラシード通...
    72 KB (9,427 words) - 23:36, 4 July 2024
  • て南メソポタミアが文明の揺籃の地となった。 ティグリス川はユーフラテス川に対して河況係数が大きく、源流山地からの距離が短くて勾配が急であるため、洪水を起こしやすい暴れであった。それに対しユーフラテス川はやや山地からの距離が長く勾配が緩やかで、ティグリス川よりも高地を流れていたため、シュメールの諸都...
    40 KB (6,056 words) - 10:50, 22 May 2024
  • 2017年7月10日、イラクのハイダル・アル=アバーディ首相は「モスルを完全に奪還した」と発表した。 市内をティグリス川が流れており、支流のコスル(英語版)が合流する。ティグリス川上流にモスルダムがある。東に約80kmの位置にアルビールの町がある。シリア国境まで北西約100kmである。...
    39 KB (5,144 words) - 20:03, 30 May 2024
  • ス川にはさまれたメソポタミア区域も同じく「アル=ジャズィーラ」の名で通っている。 なお中世に刊行されたアラビア語辞典やクルアーン注釈書における定義によると、アラビア半島は「アラビア湾(ペルシア湾)と紅海、大河川ティグリス川・ユーフラテス川という水域によって各方角が囲まれた土地」となっている。...
    15 KB (1,800 words) - 01:21, 9 June 2024
  • 旧・鉄道道路併用橋。 アユーブ・ブリッジ - 鉄道橋。 メヘラン鉄道橋 - 鉄道橋。 コトリ・ブリッジ - 鉄道道路併用橋。 インダス川流域の平原はティグリス・ユーフラテス川、ナイル、黄河と並んで、世界四大文明の礎となった大河として有名。 [脚注の使い方] ^ 玄奘 著、水谷真成 訳『大唐西域記』 1巻、平凡社東洋文庫、1999年、27...
    44 KB (5,965 words) - 14:33, 9 December 2023
  • グリス座またはティグリス座(チグリスざ、ティグリスざ、River Tigris または Tigris)は、現在は使われていない星座の1つ。 チグリス川をモチーフとした星座で、オランダのペトルス・プランシウスが1612年に作成した地球儀上でヨルダン座と共に公表した。星図上のチグリス川...
    2 KB (190 words) - 07:41, 14 October 2016
  • トラヤヌス自身は西側の部隊を率いて、ユーフラテス川沿いに南進。セレウキアとクテシフォンの北の両大河の間隔が狭くなっている地点で、船をユーフラテス川からティグリス川へと陸上を通して渡らせた。この遺構は、363年のペルシア遠征時にユリアヌスが利用している。116年夏、準備が整うと、まずティグリス川...
    43 KB (5,611 words) - 21:02, 4 June 2024
  • - 1932年)が起きた。 1932年にイラク王国はイギリスの保護領(委任統治領)ではなくなり、主権国家として独立した。 メソポタミアは、「のあいだの地方」(メソ=間、ポタモス=)を意味し、地域名としてはティグリス川・ユーフラテス川の流域全体を言う。歴史上は、一般にイラクの首都バグダードより...
    6 KB (578 words) - 08:42, 2 July 2024
  • シャットゥルアラブ(シャット・アル=アラブ)(シャット・アル=アラブがわ、アラビア語: شط العرب‎、Šaṭṭ al-ʿArab)またはアルヴァンド(ペルシア語: اروندرود‎、Arvandrūd)は、ティグリス川とユーフラテス川の合流によって形成され、イランとイラクの国境地帯を流れながらペルシャ湾に注ぐ...
    14 KB (1,995 words) - 02:06, 17 October 2023
  • 現在の日本で流通している麻製品のほとんどは亜麻から作ったリネンであり、家庭用品品質表示法の「麻」と呼べる繊維にヘンプは含まれていない。 紀元前8000年頃のティグリス川・ユーフラテス川に亜麻が生えていたことが確認でき、紀元前3500年頃の古代エジプトの交易品に、すでに「リネン」が金・銀、穀物、パピルス、ロープ、陶器、彩色瓦、牛皮などに混じって登場する。...
    7 KB (938 words) - 03:36, 15 May 2024
  • 首都とされたニシビスは植民市に昇格した。 トラヤヌス期のユーフラテス川ティグリス川間全域を包含したメソポタミア属州とは異なり、この時の新属州の領域は、南はオスロエネ、北はユーフラテス川ティグリス川、東はカボラス川 (現ハブール)という範囲に限られた。 メソポタミアには属州の存在こそ残ったもの...
    10 KB (1,187 words) - 11:25, 12 August 2023
  • バビロニア(古希: Βαβυλωνία、英: Babylonia)、またはバビュロニアは、現代のイラク南部、ティグリス川とユーフラテス川下流の沖積平野一帯を指す歴史地理的領域である。南北は概ね現在のバグダード周辺からペルシア湾まで、東西はザグロス山脈からシリア砂漠やアラビア砂漠までの範囲に相当する。...
    208 KB (27,099 words) - 03:23, 19 May 2024
  • フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス (category コンスタンティヌス家)
    ティグリス川から南下してくるはずの援軍は到着せず、シャープールの軍も接近しつつあり、情勢は芳しくなかった。クテシフォン近郊に留まることを断念したユリアヌスは、艦隊を焼き、撤退に移った。プロコピウスとセバスティアヌスの部隊を目指してティグリス...
    38 KB (5,695 words) - 04:15, 17 December 2023
  • ス川の東の全てがアンティオコス1世の所管で、帝国の中枢部であったバビロニアをも含んでいたとするアッピアノスや、ティグリス川以東、主としてイラン高原地域をその領域として列挙するシケリアのディオドロスなどがある。いずれにせよ、セレウコス1世の存命中、アンティオコス1世はメディアやバクトリアで多くの時を費やしていた。...
    44 KB (4,672 words) - 04:37, 14 March 2024
  • と呼ばれた。ウラルトゥ王国はメヌア(メヌアシュ)からサルドゥリ(サルドゥリシュ)2世の時代が最盛期で、最盛期にはアルメニア高原の全域を含み、東は現在のタブリーズを越え、南はティグリス川、西はユーフラテス川の上流域にまで至った。 紀元前714年には、ウラルトゥの王ルサ1世 (Rusa) がサルゴン2世率いるアッシリア軍に大敗して王は自殺に...
    8 KB (687 words) - 09:35, 15 November 2021
  • アムダリヤ(アフガニスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン/アラル海) - パンジ〔ピャンジ〕†2 シャットゥルアラブ(イラク、イラン/ペルシャ湾)†5 ユーフラテス川(トルコ、シリア、イラク/シャットゥルアラブ)†2,3,4 ティグリス川(トルコ、イラク/シャットゥルアラブ)†3...
    13 KB (1,079 words) - 20:56, 12 April 2024
  • 市モスルに位置する。近代にあってはコウユンジクとも呼ばれた。ティグリス川の東岸に位置し、新アッシリア帝国の首都にして最大の都市であり、紀元前612年までの約50年間において、世界最大の都市でもあった。現在では、都市モスルのうち、ティグリス川の東岸側の半分を指す一般的な地名であり、イラクのニーナワー県の名前はこの都市に由来する。...
    88 KB (12,245 words) - 08:58, 1 June 2024
  • ディヤルバクル(トルコ語: Diyarbakır, クルド語: Amed / ئامەد)はトルコ南東部の都市。ティグリス川に臨む。ディヤルバクル県の県都で、2012年以降のディヤルバクル大都市自治体とディヤルバクル県は同一の範囲である。人口は589,000人(2003年)。ただし、町をとりまくスラ...
    12 KB (844 words) - 16:07, 11 April 2024
  • イラク北東部にフルリ人のアラプハ王国が成立する。 ティグリス川北東のヌジ(英語版)遺跡(ヨルガン・テペ)はこの時代のもの。 ヌジ遺跡からはこの時代を代表する「ヌジ文書」が大量に出土している。 カッシート王ブルナ・ブリアシュ1世(英語版)とアッシリア王プズル・アッシュル3世が国境確定の条約を結ぶ。 オクサス川...
    11 KB (1,178 words) - 11:20, 2 November 2023
  • كاريز‎ 転写:kāriz)といい、北アフリカではフォガラ(foggara)という。 イラン高原を中心に各時代に出現したペルシア帝国が、ティグリス川・ユーフラテス川沿岸の古代メソポタミア文明を凌駕した点の一つにこのカナートという灌漑施設があったといわれる。現在に至るまで古代に起源を持つこの水路が使われている地域も多い。...
    7 KB (827 words) - 04:38, 27 December 2023
  • イッソスの戦いのあとの2年間にアレクサンドロスは地中海沿岸地方とエジプトを制圧した。その後彼はシリアからペルシア帝国の心臓部に攻め入り、ユーフラテス川ティグリス川を抵抗なしに渡った。ダレイオスは帝国中から軍勢を集め、大軍を編成。数でアレクサンドロスを打ち破ろうとし、現代の歴史家の推定では、ペルシア軍の...
    10 KB (1,373 words) - 14:17, 25 April 2022
  • オーセージ族は短期間バーディグリス川を境界として保とうとした。バーディグリス川モンゴメリー郡の中央を北から南に流れている。エルクがバーディグリス川に合流する地点が郡の地理的重心のやや北西にある。1867年フランクとフレッドのバンカー兄弟がバーディグリス川西岸、合流点の南に牛の原始的な集積地を設立した。...
    15 KB (1,111 words) - 22:25, 6 October 2023
  • たディヤルバクル旧市街を培ってきたのが、都市とティグリス川をつなぐヘヴセル庭園である。これらが一体となった文化的景観は、肥沃な三日月地帯に属する地域で時代ごとに中心的な役割を果たしてきた城塞都市の発展段階をよく伝えている。 ディヤルバクルはティグリス川上流域に位置し、肥沃な三日月地帯に含まれる。「...
    16 KB (2,067 words) - 13:01, 5 July 2023
  • (英語版)に対する外征にも勝利して、ローマ領を東方へ拡大した。 体制を固めたセウェルスはより大胆な外征を計画、パルティア戦争で敵国の首都クテシフォンを占領するなど大勝を得て、ティグリス川沿いまで領土を拡張した。同時に属州アラビア・ペトラエアに建設されていた城壁「リメス・アラビクス(英語版)」の補強を...
    28 KB (3,472 words) - 03:50, 17 December 2023
  • ティオキアで過ごし、116年春に遠征を再開した。ユーフラテス川を下って進軍し、アディアベネの主要都市を占領した後、ドゥラ・エウロポス、そして首都クテシフォンとセレウキアを占領し、更にカラケネを服属させた。こうしてティグリス川とユーフラテス川の河口部までがローマの占領下に入り、オスロエス1世は逃走した。...
    207 KB (26,588 words) - 15:11, 27 April 2024
  • 征を断念する。アンティオコスは代わりにモロンに進軍し、アポロニアの戦いで、ティグリス川の土手でモロンとその兄弟のアレクサンドロスを打ち破り、殺害する。アンティオコスはさらにメディア北西部のアトロパテネ王国を征服する。 アンティオコス3世とラオディケ2世(ポントス王ミトリダテス2世の娘)の間に息子が誕...
    7 KB (860 words) - 04:01, 30 August 2022
  • ポタミア南部地域の中の南部(現在のイラク南部地方)に住んでいた人々、その地域の名、およびその人々が築いた文明や文化の名称である。 ユーフラテス川ティグリス川に挟まれた地域は、考古学や古代史研究などでは現在、メソポタミアと呼ばれている。このメソポタミアの北部はアッシリアと呼ばれ、南部はバビロニアと...
    74 KB (10,376 words) - 23:35, 21 May 2024
  • サーマッラー(سامراء Sāmarrāʾ)はサラーフッディーン県に属するイラクの都市。 チグリス川に面しており、メソポタミア文明以来の歴史を持つ。 4世紀のローマ皇帝ユリアヌスが死去した街である[要出典]。 836年、アッバース朝の8代カリフであるムウタスィムは、マムルーク軍団とアッバース朝正規...
    10 KB (1,048 words) - 10:51, 22 January 2023