ソンガイ帝国 全盛期のソンガイ帝国の版図。領土の北に突き出た部分には、テガーザの塩鉱が位置する。 ソンガイ帝国(ソンガイていこく、Songhay、1464年–1590年)は、15世紀後半から16世紀にニジェール川湾曲部を中心に西スーダンのほぼ全域を事実上支配した黒人王国である。ソンガイ帝国...
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マリ共和国 (section マリ帝国とソンガイ帝国)
ソンガイ族のソンガイ帝国がこの地域の覇者となった。ソンガイ帝国はソンニ・アリ(-1492年)やアスキア・ムハンマド1世(1493年 - 1528年)といった優れた統治者の下で大いに繁栄した。 16世紀末になるとソンガイ帝国...
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なお、多くの西アフリカ諸国がその領域内にサヘル地域を擁する。 8世紀以前からガーナ王国をはじめとしてマリ帝国、ソンガイ帝国など強力な王朝が、ニジェール川流域に16世紀まで次々と興亡を遂げた。これらの強力な王朝は、世界遺産にもなっているモーリタニアのシンゲッティ、...
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縁関係にあり、言語・文化も共通しているため、総称してジェルマ・ソンガイ人と呼ばれることもある。 ナイル・サハラ語派に属するソンガイ語(英語版)を話す。 1464年にソンガイ帝国を建国し、トンブクトゥを中心としてイスラムの文化が繁栄した。 ミレット、稲、麦、コーラなどの栽培のほか、牛、羊、ヤギ、ラク...
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マリ帝国が14世紀中期より弱体化し始めると、ソンガイ族はそれに乗じて独立し、ガオを首都と定めた。ソンガイ族は西サヘルで拡張を続けて帝国を築き、1420年にはマシーナ(英語版)から年貢をせしめることに成功した。14世紀末と15世紀には衰退していたマリ帝国と拡張していたソンガイ帝国が共存したが、15世紀末にはソンガイ帝国がより進んだ技術を有し、トンブクトゥをも支配した。...
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トンブクトゥ (category ソンガイ帝国)
市である。またトンブクトゥ州の州都である。ティンブクトゥ(Timbuktu)とも呼ばれる。人口は54,629人(2009年国勢調査)。 マリ帝国、ソンガイ帝国時代に繁栄し西欧では「黄金郷」として知られるほどであった。アラブ・ムスリムの学者たちも往来し学問研究も盛んであったが、16世紀以降は次第に衰退する。...
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ガオ (都市) (category ソンガイ帝国)
1009年、ツァーコッソイ(Za Kossoi)がイスラムに改宗した後、交易はさらに盛んになった。 1325年、ガオはマリ帝国に制圧されるが、アリ・ゴロン (Ali Golon) によって奪回されソンガイ帝国の支配下に戻る。このころ、サハラの北東端に位置する大国エジプトがサハラ交易を再開させたことで交易ルートの東...
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サアド朝 (section テガーザ塩鉱問題とソンガイ帝国の攻略)
ソンガイ軍を打ち破った。3月21日の会戦でソンガイ王イツハーク2世は、大敗し逃走した。翌1592年4月に殺され、ソンガイ帝国は完全に滅亡することになる。モロッコ軍は、1591年4月25日に待望のトンブクトゥ入城を果たすが、トンブクトゥは廃れた極貧の町になっていた。実は、ソンガイ帝国...
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(薔薇戦争)ヘクサムの戦い、ランカスター派残党壊滅。 (寛正5年11月25日) - 将軍足利義政の弟義尋(足利義視)、還俗して将軍後継者となる。 西アフリカでソンガイ帝国がマリ帝国を倒して建国。 4月23日 - ジャンヌ・ド・フランス、フランス王ルイ12世の最初の王妃(+ 1505年) 5月6日 -...
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サハラ交易 モディボ・ケイタ - マリ帝国の王家の子孫とされる。 サリフ・ケイタ - マリ帝国の王家の子孫とされる。 ソンガイ帝国 植民地化以前のアフリカ諸国 ウィキメディア・コモンズには、マリ帝国に関連するカテゴリがあります。 African Kingdoms Mali...
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その後、ワヒグヤを首都とする北モシ王国と、ワガドゥグーを首都とする中部モシ王国が独立した。 このモシ諸王国)はマリ帝国やソンガイ帝国から独立を保っていた。 19世紀後半、フランスが北モシ王国を滅ぼした。 残る2つの王国も間を置かず滅ぼされ、保護国とされた。...
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ソンガイ族は農耕を、そしてボゾ語(fr:Bozo (langue))話者(ソニンケ族)は漁業を営んでいる。 グンダムには空港があり、国道は東にはトンブクトゥ州の中心域へ、南東にはモプティ州へ通じている。 ソンガイ帝国治世下においてグンダムは繁栄する地域であった。ソンガイ帝国...
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匈奴 フン エフタル 突厥 モンゴル帝国 ティムール帝国 ムガル帝国 マラーター同盟 マリ帝国 ソンガイ帝国 カネム・ボルヌ帝国 トンガ帝国 大元帝国(元王朝) 大明帝国(明王朝) 大清帝国(清王朝) 中華帝国 - 中華民国大総統であった袁世凱が皇帝就任を宣言し、国体を帝...
60 KB (8,154 words) - 13:21, 2 May 2024
1492年)は、かつて西アフリカに存在していたスンニ朝ソンガイ帝国(ガオ帝国)の君主(在位:1464年 - 1492年)。「スンニ」は「王」を意味する。スンニ・アリ・ベル(Sunni Ali Ber)の名前でも知られる。 スンニ・アリの治世にソンガイ帝国は最盛期を迎える。...
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アザワド (section ガオ帝国、マリ帝国とソンガイ帝国)
、アスキア・ムハンマド1世は効率的な中央・地方行政を確立し、商業中心地が繁栄するために十分な行動の自由を与えたことで、ソンガイ帝国とトンブクトゥ両方にとっての黄金時代を築いた。帝国はガオを首都とし、トンブクトゥは比較的自立した立場を享受する。ガダミス、アウジラ(英語版)、その他北アフリカの非常に多...
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アスキア・ムハンマド1世 (category ソンガイ帝国の君主)
帝国の支配下に入る。アスキア・ムハンマドは権力の基盤を都市部に置き、厳格なイスラム教徒として振る舞った。彼の治世のソンガイではヨーロッパ・アジアとの貿易の急速な促進、多数の学校の建設が起こり、国家の体制にはイスラム教が不可欠なものになっていた。 アスキア・ムハンマドの布いた政策によってソンガイ帝国...
11 KB (1,344 words) - 17:28, 13 April 2022
帝国やソンガイ帝国といった覇権国家の治下にありながら自治を保った。 1280年にコイ・コウンボロ (Koi Koumboro) 王がイスラームに改宗し、ジェンネに壮麗なモスクを建てた。この13世紀のうちに、マリ帝国に併合された。1443年にはトゥアレグに、1470年にはソンガイ帝国...
17 KB (1,641 words) - 06:06, 28 May 2024
ソンガイ帝国が力をつけ、1468年にはトンブクトゥを支配下に収めて流域に覇を唱え、16世紀初頭にはアスキア・ムハンマド王の下で最盛期を迎えた。しかし、1591年にモロッコのサアド朝の遠征軍によってソンガイ王国は滅亡した。 ソンガイ王国滅亡後、この地域に流域を束ねる巨大帝国...
45 KB (6,356 words) - 09:43, 7 May 2024
その覇権は崩壊し、以後は再び諸国分立の状態に戻った。 また、16世紀(1520年前後)にはアスキア・ムハンマド大王が差し向けたソンガイ帝国の軍の侵入を受けた。しかしソンガイが1592年に滅亡すると、西からの圧迫を受けなくなったハウサ諸王国は勢力を大きく伸張させた。...
8 KB (1,013 words) - 08:03, 25 March 2024
は、平坦なステップや砂漠地帯になった。金と岩塩を交換するサハラ超えの交易のラクダ=キャラバンは数千頭規模に及んで、スーダンのガーナ王国、マリ帝国、ソンガイ帝国の繁栄の基礎となった。 一方でラバは、荷物の積載量はラクダの1頭あたり130kgに比べ80kgとやや劣るものの、高低差の激しい地形には強いこ...
8 KB (1,195 words) - 22:35, 4 November 2023
9世紀ごろ、ニジェール川流域に現在のマリ東部のガオを首都とするソンガイ帝国が興り、ニジェール川流域地方を支配した。ソンガイは早くから北アフリカとのサハラ交易で結ばれ、イスラム化が進んでいた。東部のチャド湖周辺はカネム王国が支配していた。ソンガイ帝国は14世紀にはマリ帝国の属国となったものの14世紀後半には再独立し、...
51 KB (6,820 words) - 10:06, 26 May 2024
アフマド・マンスール・ザハビー (section ソンガイ帝国への遠征)
ーロッパ赤字を解消するため、マンスールは金の獲得を目的としたソンガイ帝国とのトランス=サハラ貿易にのめり込まざるを得なかった。 当時、サハラを越えたサヘル地帯にはソンガイとボルヌという二つの国家が栄えていた。アスキア朝ガオ帝国(ソンガイ帝国)は、ニジェール川大湾曲部の東部の交易都市がガオを首都として...
15 KB (1,954 words) - 23:28, 25 February 2024
商貿易(サハラ交易)の中継地として栄え、14世紀 - 15世紀に繁栄したマリ帝国、ソンガイ帝国(ガオ帝国、1464年 - 1590年)も同じようにして繁栄した。また同時期の中部スーダン・チャド湖北岸には、カネム・ボルヌ帝国が繁栄した。 これらスーダンの王国の繁栄ぶりは、北アフリカのアラブ商人やイス...
5 KB (667 words) - 06:16, 17 November 2022
南米 - インカ帝国のチムー王国征服 北アフリカ -ハフス朝強勢 中南アフリカ - ソンガイ帝国全盛、ジンバブエのモノモタパ王国 ヨーロッパ - 宗教改革、オスマン帝国の第一次ウィーン包囲、スペイン黄金時代、マニエリスムと北方ルネサンス 重商主義 西アジア - オスマン帝国最盛期、サファヴィー朝建国...
61 KB (6,362 words) - 04:50, 17 March 2024
帝国がニジェール川上流のニアニを首都とし湾曲部のトンブクトゥを版図に含んで13-15世紀前半まで繁栄、ソンガイ帝国が15世紀後半から16世紀にかけて、ニジェール川湾曲部を中心にナイジェリア北部のハウサ諸国を従え、マリ帝国...
96 KB (12,004 words) - 20:02, 17 May 2024
帝国が力を持つようになり、西アフリカの覇者となった。マリはニジェール川流域を支配下に置き、やはりサハラ交易によって栄え、マンサ・ムーサ王がサハラ砂漠を越えてメッカへと巡礼に向かうなどしたが、15世紀には衰えた。 マリのあとに西アフリカを支配したのはソンガイ帝国...
45 KB (6,546 words) - 14:54, 26 May 2024
たと考えられている。11世紀にはカネム・ボルヌ帝国のカヌリ人からイスラム教を伝えられた。 13世紀ごろになると、ハウサ人はハウサ諸王国と呼ばれる7つの都市国家を建設し、サハラ交易に従事するようになった。15世紀にはソンガイ帝国に従属したものの、ソンガイが滅亡すると自立性を回復し、サハラ交易ルートの...
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アスキアの墓 (category ソンガイ帝国)
アスキアの墓は、マリ共和国ガオ州のガオにある15世紀末の遺跡で、ソンガイ帝国最盛期の皇帝アスキア・ムハンマドの墓地と考えられている。 西アフリカのサヘル地帯における伝統的な泥の建造物群の優れた例証として、2004年にユネスコの世界遺産に登録された。この遺跡には、ピラミッド状の墓、2つのモスク、墓地と...
3 KB (501 words) - 07:08, 5 May 2023
伝説によれば、イフェを建国したオドゥドゥワ王の末子であるオラニヤン王が建国したとされる。1400年ごろにはすでに建国されており、ハウサ諸王国やソンガイ帝国に近いという地の利を生かしてサハラ交易に参加し、勢力を蓄え、さらにヨーロッパ人がやってくると奴隷貿易によってさらに力をつけ、富を蓄えていった。そ...
4 KB (307 words) - 20:10, 1 September 2023
し付けようとする試みに抵抗した。1591年、サアド朝モロッコがソンガイ帝国を征服すると、モシ諸王国は再独立した。 18世紀までに、モシ諸国は地域の経済力と軍事力を大幅に上昇させた。対外貿易はアフリカ全域で大きく増加し、フラニ諸国やマリ帝国と大きなつながりを持つようになった。こうした対外関係には、モシ...
13 KB (1,973 words) - 01:07, 23 December 2023
1492年のレコンキスタによるグラナダ陥落後、家族とモロッコのフェズに移住し、叔父から教育を受け17歳で伴われて1509年から1513年にかけてソンガイ帝国を訪れた。数年後、再びこの地を訪れエジプトまで旅をした。1518年ごろトルコ旅行の帰途、シチリアのジェルバ島の近くで海賊に捕えられる。ローマに送...
5 KB (529 words) - 09:22, 1 October 2022