バイジュ(モンゴル語: Baiǰu、? - 1259年?)は、13世紀中期に活躍したモンゴル帝国の将軍。『世界征服者史』『集史』ではバイジュ・ノヤン بايجو نويان Bāyjū Nūyān と呼ばれている。漢語資料では拝住。また『集史』ベスト部族誌、スニト部族誌などによるとバイジュ...
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しかし、この間の1243年にはアナトリア半島でキョセ・ダグの戦いがあり、チョルマグンから鎮戍軍の指揮権を継いだバイジュ・ノヤン率いるモンゴル軍がルーム・セルジューク朝軍を打ち破り、ルーム・セルジューク朝、アルメニア王国、グルジア王国などがモンゴル帝国に帰順した。イラン鎮戍軍と同時に進駐して来たイラン総督府と1250年代のフレグ...
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モンゴル部族出身のダヤン・ハーンの中興によってオイラトは打倒され、新たなモンゴル帝国が再構築された。 17世紀、ダヤン・ハーンの一族によって打倒されたオイラト部族連合はモンゴル西部~ジュンガル盆地におり、その盟主はドルベト部で、ドルベト部の左翼を担っていたのが、ジュンガル部...
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ジェリム盟 ホルチン部 ゴルロス部 ドルベト部 ジャライト部 ジョソト盟 ハラチン部 トゥメト部 ジョーオダ盟 アオハン部 ナイマン部 バアリン部 ジャルート部 アルホルチン部 オンリュート部 ケシクテン部 ハルハ左翼部 シリンゴル盟 ウジュムチン部 ホーチト部 スニト部 アバガ部 アバガナル部 ウランチャブ盟...
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サクト・ハーンであるワンシュクを殺害したことで、ハルハ部の内紛が始まり、オイラトのジューンガル部も巻き込んだために、ジューンガル部長ガルダン・ハーンの侵入を招いた。ガルダン・ハーンがモンゴル高原を席捲したため、数十万のハルハ部の人々は内モンゴルに逃れて清朝の康熙帝に臣従を誓い、康熙帝の親征によって...
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ジュンガル・ホンタイジ国 ᠵᠡᠭᠦᠨ ᠭᠠᠷ ᠤᠨᠬᠠᠭᠠᠨᠲᠣᠣᠯᠣᠰ Зүүнгарын хаант улс ジュンガルの最大版図(1688年頃)。 ジュンガル(モンゴル語: Зүүнгар、ᠵᠡᠭᠦᠨ ᠭᠠᠷ 転写:jegün γar、ロシア語: Джунга́ры、準噶爾)は、17世紀から...
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チンギス・カン (redirect from チンギス・ハーン (モンゴル帝国大ハーン))
モンゴル高原の北東部に落ち着いた。1084年、モンゴル部は契丹帝国に使者を派遣したため、『遼史』には「萌古国」という名前で記されている。 チンギス・カンの生涯を描いたモンゴルの伝説的な歴史書『元朝秘史』によれば、その遠祖は天の命令を受けてバイ...
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モンゴル部族のメネン・トドンの牧地を侵し、その妻のモヌルンや7人の子らを殺害したため、モンゴル部族の怒りを買い、後に征服された。以降、部族全体がモンゴル部族に隷属して「譜代の隷臣(オテグウ・ボゴル)」部族となり、チンギス・カン時代はウリャンカイ部族などと並んでモンゴル...
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オイラト (category モンゴルの歴史)
モンゴル系民族 > オイラト オイラト(モンゴル語: Ойрад Oirad、カルムイク語: Өөрд、中国語:瓦剌、衛拉特)は、モンゴル高原の西部から新疆の北部にかけて居住するモンゴル系民族。 オイラト人と呼ばれる人々は、15世紀から18世紀にモンゴルと並ぶモンゴル...
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バイ・グルン、dulimbai gurun) と呼ばれた。 藩部(tulergi golo)はホンタイジが最初に南モンゴルのチャハル部を服属させた時に蒙古衙門(monggo jurgan、もうこがもん)を置いてモンゴルの統治に当たらせたことに始まる。その後、蒙古衙門は理藩院(tulergi...
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部」「後元」「韃靼」など様々に記されている。 ハルハの起源は、元朝の左翼五投下であるジャライル部ムカリ国王家の所管にさかのぼり、その名称はハルハ川に由来する。1487年にモンゴルのバト・モンケ(Batu Möngke)がハーンの位に就いてダヤン・ハーン(Dayan Qaγan)と名乗ると、モンゴル...
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モンゴル帝国はアッバース朝のイラクとイスマーイール派の要塞をのぞくペルシアの大部分と、アフガニスタンおよぼカシミール全域を服属させた。モンゴルは1237年に北コーカサスの征服におよんだが、ここでは現地の人々による必死の抵抗に遭遇した。 1243年のキョセ・ダグの戦いののち、バイジュ...
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ベスト氏(ベストし、モンゴル語: Besüd)とは、モンゴル部に属する遊牧集団の名称。『元朝秘史』では別速惕、『集史』ではبسوت(Besūt)と記される。書籍によってはベスートとも表記される。 『元朝秘史』の伝える伝承によると、モンゴル部の中心氏族であるボルジギン氏の一族のカイドゥ・カンの息子チャ...
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タンマチ (category モンゴル帝国の軍事)
タンマチ(モンゴル語: Tammači)とは、第2代皇帝オゴデイの治世に編成・派遣されたモンゴル帝国の軍団の1つ。モンゴル本土の千人隊から抽出されたモンゴル兵と征服地において現地徴発された兵によって構成され、モンゴル帝国の征服戦争において前鋒軍としての役割を担い、征服戦争後は辺境に鎮戍した。前鋒軍、辺境鎮戍軍とも意訳される。...
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1620年にオイラトのトルグート部とジュンガル部がモンゴルのハルハ部を攻撃したことに端を発し、オイラトとモンゴルが戦闘状態となった。1623年に四(ドルベン)オイラト連合軍はハルハ部長でアルタン・ハーンであるウバシ・ホンタイジらを殺害し、モンゴルの従属下から独立を果たした。 1625年、ホシュート部...
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こうしてケレイト部族はテムジンのモンゴル部族によって征服された。 1206年にテムジンがチンギス・カンとして即位しモンゴル帝国が成立した後も、ケレイト部はチンギス一門の姻族とされ、モンゴル遊牧部族連合の有力部族のひとつとして存続した。 チンギス・カンの四男のトルイの夫人でカアンのモン...
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χan 〜 il qan > ايلخان īl-khān)やイルカンは「部衆の君長」「国民の主」を意味し、ほぼ同義のウルシュ・イディという称号とも併せて、モンゴル帝国を構成する諸ウルスにおいて、必ずしもイルハン朝の君主のみが用いた称号ではなかった。...
33 KB (3,663 words) - 10:07, 18 May 2024
1730年、小ジュズの集会は、ジュンガル部に対する軍事同盟をロシアと締結することをアブドゥル・ビーに要請した。ロシア帝国は、この要請を喜んで受け入れた。1731年、ロシアの使節団が到着し、アブドゥルは忠誠の宣誓を行った。 以下の3大部族が有力で、150万人以下。1930年代の飢餓により大損害を被った。 アリムル部族 バイウル部族...
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モンゴル軍によるアナトリア遠征は(おそらくは略奪を目的として)バイジュの独断で行われたものであり、戦後すぐにモンゴル軍がアナトリアに駐屯することは無かったが、モンゴルに臣従を誓ったルーム・セルジュークには毎年のモンゴル...
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トゥメト(モンゴル語: Түмэд,Түмд、ᠲᠦᠮᠡᠳ 中国語:土默特 Tǔmòtè、英語:Tümed,Tumad)は、モンゴルの一部族。トメト,トゥマト,トゥメド,トマトとも表記される。 別名をモンゴルジン、モンゴルジン・トゥメト、トゥメト・モンゴルジンともいい、トゥメトには「モンゴルジン」(「モンゴル...
21 KB (3,260 words) - 21:44, 30 November 2024
四駿四狗 (category モンゴル帝国の将軍)
モンゴルの左翼(東部)の万人隊長(トゥメン、万戸長)に任命され、チンギス・カンの金朝遠征でも活躍した。チンギスのホラズム遠征にあたっては東方に残され、太師・国王の称号を与えられるとともに「五投下」と呼ばれるモンゴル高原東南部の5部族(ジャライル部、コンギラト部、ウルウト部、モンクト部、イキレス部...
20 KB (2,309 words) - 15:33, 27 August 2022
ムカリ (category ジャライル部)
でも彼を祖とするムカリ国王家は、大元ウルス時代を含めモンゴル帝国東部でもっとも影響力の強かったモンゴル諸侯家のひとつであった。 『元朝秘史』『集史』などによれば、後のチンギス・カンことテムジンが一族のジュルキン氏(チンギス・カンらが属すモンゴル部族キヤト氏族うちキヤト氏族の祖カブル・カンの長男のオ...
19 KB (2,824 words) - 02:11, 19 May 2024
バイジュ(大徳2年(1298年) - 至治3年8月4日(1323年9月4日))は、大元ウルス中期の重臣。モンゴル・ジャライル部の出身。モンゴル帝国建国の功臣ムカリの子孫で、クビライ時代の右丞相アントンの孫にあたる。 『元史』などの漢文史料では拝住(bàizhù)と表記される。...
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Jebe)」とも呼ばれていた。トルイに幕僚( امير معتبر amīr-i mu‘tabar =ノコル)として仕えたモンケドゥ・セウル(モンゲド・サウル)という弟がいた。オゴデイ・カアンからモンケ・カアンの治世に征西に参加した将軍バイジュはジェベの親族にあたる。 1201年、ジルゴアダイはタイチウト氏の首領タルグタイ・キリル...
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スニト (category モンゴルの部族と氏族)
してイラン方面へ派遣された人物で、ホラズム・シャー朝の残党を追ってイラン西北部・アゼルバイジャン・グルジア・東部アナトリア一帯を平定し、モンゴルによる西アジア征服に大きな功績を挙げた。タンマチ司令官の地位はバイジュ・ノヤンを経てチョルマグンの息子シレムンに受け継がれたが、シレムンの諸子はフレグ・ウル...
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ジョチ・チャウルカン (category ジャライル部)
『集史』「ジャライル部族志」によると、かつて強大であったジャライル・ウルスはある時モンゴル・ウルスと戦争になってメネン・トドンら主立った者を殺したが、唯一生き残ったメネン・トドンの息子カイドゥ(チンギス・カンの先祖)がモンゴル・ウルスを再興し、更にジャライル・ウルスを征服してモンゴル...
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モンゴル高原に広大な領土と兵力を有し、モンゴル高原の遊牧民諸部族を代表する立場に置かれた。その後、帝位はテムルとそのすぐ上の兄のダルマバラの子孫の間で推移し、イェスン・テムルはモンゴル高原に駐留してそれに関わることはなかった。 至治3年(1323年)、御史大夫のテクシが英宗シデバラと丞相バイジュ...
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バイスハルに与えられた。バイスハルはクンドゥレン・ハーンと称して兄のアルタン・ハーンらとともに明朝へ侵攻し、隆慶和議が成立すると明朝より都督同知に任ぜられた。しかし右翼モンゴルの中でハラチン部は最も東に位置していたこともあり、隆慶和議以後もチャハル部...
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投下(とうか)とは、モンゴル帝国における王族・功臣自身、もしくは彼らの有する領民・領地を指す用語である。「投下」という語は宋代に用いられた「軍や賊の首領」を意味する 「頭項」という漢語が契丹語を介してモンゴル帝国に入ったもので、漢文史料上では「頭下」「投項」とも表記される。対応するモンゴル...
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部)から中国北半にかけての地域を支配した女真(ジュシェン)族の征服王朝。 国姓は完顔氏(ワンヤン し、女真語:)。12世紀に勃興し、契丹(キタン)人王朝の遼、漢族王朝の北宋を滅ぼし、タングートの西夏を服属させ、中国南半の南宋と対峙したが、13世紀にモンゴル...
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オルドス部(モンゴル語: Ордос、ラテン文字表記:Ordos、ᠣᠷᠳᠤᠰ、中国語:鄂爾多斯 Èěrduōsī)は、近世以降にあらわれるモンゴル遊牧民の部族集団。この集団が明代以降、中国の黄河屈曲部(「河套」)に居住したことからこの地域は現在オルドス高原と呼ばれ、内モンゴル自治区のオルドス市が置かれている。...
17 KB (2,633 words) - 05:00, 24 January 2024