アイモーネ・ディ・サヴォイア=アオスタ (1967-)
アイモーネ・ディ・サヴォイア=アオスタ Aimone di Savoia-Aosta | |
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サヴォイア=アオスタ家 | |
アオスタ公アイモーネ | |
全名 | 一覧参照
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称号 | サヴォイア公 |
出生 | 1967年10月13日(57歳) イタリア、フィレンツェ |
配偶者 | オルガ・ディ・グレチア |
子女 | ウンベルト アメデーオ イザベッラ |
父親 | アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ |
母親 | クラウディア・ドルレアンス |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
アイモーネ・ディ・サヴォイア=アオスタ(イタリア語: Aimone di Savoia-Aosta、1967年10月13日 - )は、イタリア王国の元王家であるサヴォイア家の一員。第4代アオスタ公アイモーネの孫にあたる。
2006年に父アメデーオ(第5代アオスタ公)がサヴォイア家家長・サヴォイア公を称するようになったことにより、それまでの称号プッリャ公(duca di Puglia)に代わり第6代アオスタ公(duca d'Aosta)を名乗るようになる。2021年のアメデーオの死去によりサヴォイア公の称号およびサヴォイア家の当主の地位を継承したが、これにはサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトとの間で争いがある。
略歴
[編集]アオスタ公アメデーオと、クラウディア・ドルレアンス(パリ伯アンリの娘)の長男として、フィレンツェで生まれた。ミラノのボッコーニ大学を卒業後、イギリスにあるJPモルガン・チェースの支店で働いた。また、イタリア海軍に少尉として在籍したこともある。2000年以降は、イタリア企業ピレリのロシア支社に勤務している。
2008年9月16日、駐モスクワ・イタリア大使館において、ギリシャ王子ミハイル(ゲオルギオス1世の孫)の娘オルガと法律婚を行った。アイモーネとオルガはともにギーズ公ジャンの曾孫にあたり、又従兄妹同士である。9月27日にギリシャ・パトモス島で行われた宗教婚においては、スペイン王妃ソフィア、ギリシャ元国王コンスタンティノス2世と元王妃アンナ=マリア(元ギリシャ王家側)、サヴォイア=アオスタ公家からは高齢のマルゲリータ・ディ・サヴォイア=アオスタ(オーストリア=エステ大公ローベルトの妻)以外は全員が出席した。また、サヴォイア家本流からはマリーア・ガブリエッラ・ディ・サヴォイア(ウンベルト2世王女)が出席した。
2018年には、ロシア政府から露伊関係向上の功績により有功勲章を受けた。2019年にはイタリア政府からイタリア共和国功労勲章のカヴァリアーレ号を受けた。同年には駐ロシア連邦マルタ騎士団大使にも任命されて2020年信任状を受けた。
子女
[編集]- ウンベルト(2009年 - ) - ピエモンテ公
- アメデーオ (2011年 - ) - アブルッツィ公[1]
- イザベッラ(2012年 - )
脚注
[編集]先代 アメデーオ | 〈名目上〉アオスタ公 2006年 - | 次代 (推定相続人:ウンベルト) |
先代 アメデーオ | サヴォイア家家長 〈名目上〉イタリア王 2021年 - | 次代 (推定相続人:ウンベルト) |
先代 アメデーオ | <名目>サヴォイア公 2021年- | 次代 (推定相続人:ウンベルト) |
サヴォイア=アオスタ家第6代当主(2021年 - ) | |
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カルロ・アルベルト以降 のサヴォイア家 | カルロ・アルベルト1831-1849 / ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世1849-1878 / ウンベルト1世王1878-1900 / ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世1900-1946 / ウンベルト2世王1946-1983 / ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ1983-2024 / エマヌエーレ・フィリベルト2024- |
分家・支流 | |
サヴォイア=ジェノヴァ家 | フェルディナンド1世1831-1855 / トンマーゾ1855-1931 / フェルディナンド2世1931-1963 / フィリベルト1963-1990 / エウジェーニオ1990-1996 / 断絶 |
サヴォイア=アオスタ家 |