アグネス・フォン・ヴァイプリンゲン
アグネス・フォン・ヴァイプリンゲン Agnes von Waiblingen | |
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出生 | 1072年 |
死去 | 1143年9月24日 神聖ローマ帝国、クロスターノイブルク |
埋葬 | 神聖ローマ帝国、クロスターノイブルク修道院 |
配偶者 | シュヴァーベン大公フリードリヒ1世 |
オーストリア辺境伯レオポルト3世 | |
子女 | 本文参照 |
家名 | ザーリアー家 |
父親 | 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世 |
母親 | ベルタ・ディ・サヴォイア |
アグネス・フォン・ヴァイプリンゲン(ドイツ語:Agnes von Waiblingen、1072年 - 1143年9月24日)はザーリアー朝の皇族。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と、サヴォイア伯オッドーネの娘ベルタとの間に生まれた娘。ハインリヒ5世の姉。
子女
[編集]1089年、シュヴァーベン大公フリードリヒ1世と結婚し、11人の子女をもうけた。
- ハイリツァ(1088年 - 1110年) - エンスドルフ伯フリードリヒ・フォン・レンゲンフェルトと結婚
- ベルタ(1089年 - 1120年) - ラーフェンシュタイン伯アーダルベルト・フォン・エルヒンゲンと結婚、娘リウトガルトはマイセン辺境伯コンラート1世と結婚した。
- フリードリヒ2世(1190年 - 1147年) - 皇帝フリードリヒ1世の父親
- ヒルデガルト
- コンラート3世(1093年 - 1152年) - ローマ王
- ギーゼラ
- ハインリヒ(1102年没)
- ベアトリクス(1098年 - 1130年)
- クニグンデ(1100年 - 1120年/1126年) - バイエルン公ハインリヒ10世と結婚
- リヒルデ - ユーグ・ド・ルーシーと結婚
- ゲルトルート - ライン宮中伯ヘルマン・フォン・シュターレックと結婚
1105年にフリードリヒ1世が死んだあと、アグネスはオーストリア辺境伯レオポルト3世と再婚し、11人の子供をもうけた。
- ハインリヒ2世(1107年 - 1177年)
- レオポルト4世(1108年頃 - 1141年)
- アグネス(1111年 - 1157年) - ポーランド大公ヴワディスワフ2世と結婚、「当代最高の美人の1人」と言われていた
- エルンスト(1137年以後に没)
- ウータ(1154年没) - ルイトポルト・フォン・プラインと結婚
- オットー(1114年頃 - 1158年) - フライジング司教、甥である皇帝フリードリヒ1世の伝記を著す。
- ユディト(1110年代後半/1120年 - 1168年以後) - モンフェッラート侯グリエルモ5世と結婚
- コンラート2世(1120年 - 1168年) - パッサウ司教、ザルツブルク大司教
- ゲルトルート(1120年頃 - 1150年) - ボヘミア王ヴラディスラフ2世と結婚
- エリーザベト(1123年頃 - 1143年) - ヴィンツェンブルク伯ヘルマン2世と結婚
- ベルタ(1124年頃 - 1160年) - レーゲンスブルク城伯ハインリヒ3世と結婚
『クロスターノイブルク年代記』続編によれば、アグネスはこの他7人の子供を持ったが、死産ないし夭折によって亡くしている。