アメリカン・バンクノート社

アメリカン・バンクノート社英語:American Bank Note Company)は、国家通貨切手の原版を作成する事で、世界的に有名な彫版工(エングレーバー)の会社である。現在では、株式や債券の証明書原版の彫刻と印刷を行っている。ニュージャージー州フォートリーを拠点としている。

歴史

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1795年、創業間もないアメリカ合衆国造幣局で最初の公式彫版家ロバート・スコットが、Murray, Draper, Fairham & Company (後にScot's three partnersとなる)を創業した。この会社は、建国間もない人口増加中のアメリカで金融機関の発達と共に繁栄した。

1857年恐慌後の1858年4月29日、国内で最も有名な機密印刷会社7社がアメリカン・バンクノート社に合併し、本社はニューヨーク市に置いた。それから2年もたたずに、別のいくつかの機密印刷会社も合併した。

最初の紙幣は南北戦争勃発時に、米国財務省によって発行された。議会は1861年7月17日と8月5日に「en:Demand Notes(要求紙幣)」60万ドルを認可する法案を可決した。政府との契約の下で、新しい紙幣、一般には「グリーンバックス」と呼ばれる紙幣が、ナショナル・バンクノート社とアメリカン・バンクノート社が製造することとなった。$ 5、$ 10と$ 20の紙幣が製造され、合計枚数は725万枚となった。

1862年の米国通貨の初期生産に続いて、アメリカン・バンクノート社は115か国の外国紙幣に販路を見出した[1]

1877年、連邦議会によって制定された法律に基づき、米財務省印刷局が発行する通貨のすべてをアメリカン・バンクノート社単独で生産を行うことが決定した。それによって他の機密文書印刷の仕事が減り、1879年に第二の大きな統廃合が行われ、ナショナル・バンクノート社とコンチネンタル・バンクノート社が吸収合併されることとなった。この時、コンチネンタルが持っていた郵便切手の生産契約は、アメリカン・バンクノートが引き継ぎで生産することとなった。

1891年、長年にわたる顧客であるアメリカン・エキスプレスの為に、新しい通貨形態であるトラベラーズチェックの製造を行った。初年度のアメリカン・エキスプレスのトラベラーズチェックの売り上げは9,120ドルであったが、2000年度の売り上げは24.6億ドルとなった。

1894年、切手の製造契約は終了し、1894年7月1日からはワシントンD.C.にある米財務省印刷局で生産が行われる事となった。

関連項目

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参考資料

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  1. ^ Hessler, Gene (1993). The Engraver’s Line – An Encyclopedia of Paper Money & Postage Stamp Art. BNR Press. pp. 19. ISBN 0-931960-36-3 

外部リンク

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