アルフレド・アングロ
基本情報 | |
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本名 | アルフレド・アングロ・ロペス |
通称 | Perro(狂犬) |
階級 | スーパーミドル級 |
身長 | 177cm |
リーチ | 175cm |
国籍 | メキシコ |
誕生日 | 1982年8月11日(42歳) |
出身地 | バハ・カリフォルニア州メヒカリ |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 31 |
勝ち | 24 |
KO勝ち | 20 |
敗け | 7 |
獲得メダル | ||
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メキシコ | ||
男子 ボクシング | ||
パンアメリカン競技大会 | ||
銅 | 2003 サントドミンゴ | ウェルター級 |
アルフレド・アングロ(Alfredo Angulo、1982年8月11日 - )は、メキシコの男性プロボクサー。バハ・カリフォルニア州メヒカリ出身。 元WBO世界スーパーウェルター級暫定王者。
来歴
[編集]最初はボクシングが好きではなかったが、暇をもてあましていたのでボクシングジムへ入会した。そして1ヶ月後には試合に出場するようになり、1年半後にはオリンピック代表に選ばれた。5歳の時に父親が亡くなっている[映像 1]。
アマチュア時代
[編集]2004年、オリンピックアメリカ大陸予選にミドル級(75kg)で出場、準決勝でジャン・パスカルから勝利を挙げるが、決勝でアンドレ・ディレルに敗退した[1]。
2004年、メキシコ代表としてアテネオリンピックボクシングミドル級(75kg)に出場し、1回戦でアンディ・リー(アイルランド)に敗北した[2]。
プロ時代
[編集]2008年5月17日、WBOインターコンチネンタルスーパーウェルター級王座決定戦でリチャード・グティエレス(コロンビア)と対戦し、5回TKO勝ちで王座を獲得した。
2009年5月30日、全勝(15戦15勝)のままWBC世界スーパーウェルター級王座挑戦者決定戦でカーミット・シントロン(プエルトリコ)と対戦し、0-3の判定負けを喫しプロキャリア初黒星となった。
2009年11月7日、WBO世界スーパーウェルター級暫定王座決定戦でハリージョー・ヨルギイ(アメリカ)と対戦し、3回KO勝ちを収め暫定王座を獲得した。
2010年4月24日、 ジョエル・フリオ(コロンビア)と対戦し、11回TKO勝ちを収め暫定ながら初防衛に成功した。
2010年7月17日、ジョアシャン・アルシーヌ(ハイチ)とWBCアメリカ大陸スーパーウェルター級王座及び WBC世界スーパーウェルター級挑戦者決定戦を行い、1回TKO勝ちを収め同王座への挑戦権を獲得した。
2011年2月、WBCコンチネンタルスーパーウェルター級王座を返上した。
2011年8月11日、自身の誕生日にゴールデンボーイ・プロモーションズと契約する事が発表された[3]。
2011年8月20日、返上したWBCコンチネンタルスーパーウェルター級王座を再度獲得するために、ジョセフ・ゴメス(アメリカ)と決定戦を行い1回KO勝ちを収め同王座の再獲得に成功した[4]。
2011年11月5日、ジェームス・カークランド(アメリカ)を迎え撃つが、6回TKO負けを喫し初防衛に失敗し王座から陥落した。
2012年11月10日、1年振りとなる試合でラウル・カサレス(アメリカ)と対戦し、初回56秒KO勝ちを収めで再起戦を白星で飾った[5]。
2012年12月15日、ホルヘ・シルバ(メキシコ)と156ポンド契約(70.76キロ)12回戦で戦い3-0の判定勝利[6]。
2013年6月8日、米国・カリフォルニア州カーソンのスタブハブ・センター・テニスコートにてマルコス・マイダナ対ホセシート・ロペスの前座で、WBA世界スーパーウェルター級1位のエリスランディ・ララ(キューバ)とWBA世界スーパーウェルター級暫定王座決定戦を行った。序盤はララに先制されるがアングロは4回に左フックでダウンを奪う。中盤はララの華麗なフットワークに翻弄されポイントを奪取されるが、9回に左フックでララから2度目のダウンを奪った。9回までのスコアは2-1と僅差でララにリードを許していたが2度ダウンを奪っていたことで試合はまだ分からない展開であった。しかしこれまで蓄積されたダメージは大きくアングロの左目はグロテスクに腫れあがっていた、そして10回にアングロがララに対して背を向けたところでレフェリーが試合がストップ10回TKO負けで王座獲得は失敗した。試合後にアングロは試合をやめるつもりは無かったと話した「決して試合をやめるつもりは無かった。ララにサミングで目を2度突かれたからトレーナーに言おうと思ってコーナーの方へ振り返ったんだ。そしたらレフェリーが状況も確認しないで試合をストップしてしまったのさ。」ただしアングロが言い訳をしているだけでダメージにより背を向けたというのが大方の見方である。またアングロがララのグローブに不正があると訴えたため、コミッションがララのグローブを回収し調査したが細工などの不正は確認されなかった[7]。
2014年3月8日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで元WBA・WBC世界スーパーウェルター級スーパー王者サウル・アルバレスとスーパーウェルター級の規定体重を1ポンド上回る155ポンド契約ウェイトの12回戦で対戦。スーパーウェルター級(154ポンド)で行われることになっていたが、アルバレスが減量を失敗したため計量直前の土壇場で10万ドルの罰金をアングロに支払い155ポンドのキャッチウェイトで試合が行われることに変更となった [8]。試合は初回から一方的な展開となりレフェリーが試合を止め10回47秒TKO負けを喫しアングロは再起に失敗し2連敗となったが、一方的であったもののアングロはダウンを1度もしておらず試合終了まであと2回であったことなどから試合をとめたレフェリーに対して早すぎたストップだとして観客から大きなブーイングが飛ばされた[9]。
2014年9月13日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでフロイド・メイウェザー・ジュニアVSマルコス・マイダナ第2戦の前座でジェームズ・デ・ラ・ロサと162ポンドのキャッチウェイトで対戦[10]。試合は2回に左フックでダウンを喫し、8回にはローブローで減点をされ、10回0-3の大差判定負け。格下相手に痛い負けを喫し、3連敗となった。
2015年1月9日、ゴールデンボーイ・プロモーションズからプロモート権を破棄されたことで、同プロモーションを離脱した。離脱後アル・ヘイモンに信頼関係がある大口マッチメーカーのトム・ブラウン率いるTGB・プロモーションズと契約を交わした。
2018年4月7日、ザ・ジョイントにてセルヒオ・モラと8回戦を行い、判定負けを喫した。
獲得タイトル
[編集]- WBOインターコンチネンタルスーパーウェルター級王座(防衛0=返上)
- WBO世界スーパーウェルター級暫定王座(防衛1=返上)
- WBCコンチネンタルスーパーウェルター級王座(防衛0=返上)
- WBCアメリカ大陸スーパーウェルター級王座(防衛0)
脚注
[編集]- ^ “American Olympic QualifierTijuana, Mexico March 13-20, 2004”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ “28.Olympic Games Athens, Greece August 14-29, 2004”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ 狂犬アングロがGBPと契約 20日復帰戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年8月13日
- ^ カネロの脅威アングロ初回KOで復帰 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年8月21日
- ^ マレスがモレノ撃退 サンタクルスKO防衛 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年11月12日
- ^ カーンTKOで再起 ワイルダーは一撃KO勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2012年12月16日
- ^ “Did Alfredo Angulo Quit Against Erislandy Lara?”. Yahoo.Sports.com (2013年6月11日). 2013年12月11日閲覧。
- ^ “Canelo vs. Angulo Weigh In: Results, Top Takeaways and More”. Bleacher Report (2014年3月7日). 2014年3月14日閲覧。
- ^ カネロが再起、アングロを10回TKO Boxing News(ボクシングニュース) 2014年3月9日
- ^ サンタクルスら豪華布陣 メイvsマイダナ前座発表 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年8月16日
関連項目
[編集]映像資料
[編集]- ^ All Access: Canelo vs. Angulo: Episode 1 (試合). YouTube. 2014年3月3日閲覧。
外部リンク
[編集]- アルフレド・アングロ (@ElPERRO82) - X(旧Twitter)
- アルフレド・アングロの戦績 - BoxRec
暫定王座決定戦 対戦者 ハリージョー・ヨルギイ | WBO世界スーパーウェルター級暫定王者 2009年11月7日 - 2010年6月(返上) | 次暫定王者 返上により消滅 |