アンディ・パーマー
アンディ・パーマー Andy Palmer | |
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日産自動車時代(2009年) | |
生誕 | Andrew Charles Palmer 1963年6月30日(61歳) イングランド ウォリックシャー州ストラトフォード=アポン=エイヴォン |
国籍 | イギリス |
教育 | ウォーリック大学 クランフィールド大学院 |
配偶者 | 日本人女性(2004年 - ) |
子供 | 4人 |
業績 | |
専門分野 | 機械工学 実業家 |
所属機関 | 英国機械学会 王立工学アカデミー SAE International 勅許マネジメント協会 ウェスト・ミッドランズ合同庁舎 |
勤務先 | UKAP(1979年 - 不明) ローバー・グループ(不明 - 1991年) 日産自動車(1991年 - 2014年) アストンマーティン(2014年 - 2020年) |
アンドリュー・チャールズ・パーマー(英:Andrew Charles Palmer、1963年6月30日- )は、イングランド出身の実業家、自動車技術者。
「ローバー・グループ」「日産」「アストンマーティン」など、自動車メーカーの重職を歴任。大学客員教授や、工業系の各機関・協会メンバーとしても活動している。
経歴
[編集]青年期
[編集]1979年、16歳でスタッフォードシャー州にある自動車用照明器具を扱う会社「UK Automotive Products Limited(UKAP)」に見習い待遇で入社し、成人後の1983年から正社員として勤務を開始。大学にも通い、製品工学の修士号やエンジニアリング・マネジメントの博士号を取得する。
その後同社を離れ、母国の自動車メーカー「ローバー・グループ」に移籍し、1991年からチーフエンジニアに昇進。
日産自動車時代
[編集]1991年、日本の自動車メーカー「日産自動車」の欧州法人に入社。1999年に日産自動車がルノー傘下に入った後も残留し、2002年に日産自動車本社に部長級で異動。以後、日本には13年間居住した。2004年には日本人女性と結婚している。
日産ライトトラックに出向して社長として実績を上げ、2006年に執行役員、2009年に常務、2011年に副社長兼チーフ・プランニング・オフィサーに昇格。一時はカルロス・ゴーンに次ぐナンバー2と目されるようになった[1]。
アストンマーティン時代
[編集]2014年、日産自動車を退社すると帰国し、母国の自動車メーカー「アストンマーティン」の最高経営責任者(CEO)に就任。社内体制の変革を行い、赤字を続けていた会社の立て直しを行った[2]。
2018年6月、F1チーム「アストンマーチン・レッドブル・レーシング」に来季からホンダ製エンジンが供給されることが決定されると、歓迎のコメントを述べるとともに「個人的には1980年代にホンダと協力して働いたことがある」ことを明かしている[3]。
出典
[編集]- ^ 丸山 尚文 (2014年9月3日). “なぜ日産から高級幹部の流出が相次ぐのか”. 東洋経済オンライン. 2018年6月27日閲覧。
- ^ “特別インタビュー|アンディ・パーマーの挟持と矜持”. OCTANE (2017年5月26日). 2018年6月27日閲覧。
- ^ “ホンダF1、レッドブルとアストンマーチンの契約継続に「何の問題もない」”. autosport web (2018年6月27日). 2018年6月27日閲覧。
- ^ “アストンマーティンのアンディ・パーマーCEOが辞任。メルセデスAMGトップのムアース氏が後任へ”. autosport web (2020年5月27日). 2020年5月28日閲覧。