アンドレス・ガララーガ

アンドレス・ガララーガ
Andrés Galarraga
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 首都地区 ミランダ州カラカス
生年月日 (1961-06-18) 1961年6月18日(63歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
プロ入り 1979年
初出場 1985年8月23日
最終出場 2004年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

アンドレス・ホセ・パドヴァニ・ガララーガAndrés José Padovani Galarraga , 1961年6月18日 - )は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手一塁手)。右投右打。

現役時代は「ビッグ・キャット」という愛称で親しまれた。

経歴

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エクスポズ時代

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1978-79シーズンにベネズエラのウィンターリーグでデビュー。当時モントリオール・エクスポズの監督だったフェリペ・アルーの推薦で、1979年1月にドラフト外でエクスポズと契約[1]1984年にはマイナーリーグの2AでMVPを受賞。

1985年には3Aでルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、メジャーに昇格。8月23日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビューを果たす。同年、24試合に出場し、打率.187、2本塁打を記録している。

1986年は105試合の出場で、打率.271、10本塁打、42打点を記録。

1987年は打点を90の大台に乗せ(90) 、打率も3割を記録した(.305) 。

1988年はデビュー3年間の通算本塁打25本を上回る、シーズン29本塁打を記録。オールスターゲームに初めて出場した。打撃面での活躍が評価されて、この年にシルバースラッガー賞を受賞。

1989年から1990年の2年間は打撃面では打率が2割5分台だったが、守備面での活躍を評価され、2年連続でゴールドグラブ賞に選出されている。

1991年は本塁打が2桁に届かず、打率も2割2分を下回った。ルーキーイヤーを除いたデビュー以来、自己最低の数字に終わってしまう。

カージナルス時代

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1991年11月25日にケン・ヒルと交換で、セントルイス・カージナルスへとトレード移籍。

1992年シーズン2試合目4月7日のニューヨーク・メッツ戦で、死球により右手首を骨折[1]。この故障で44日間故障者リスト入りしたため、前年よりも少ない出場試合数となったが、前年より多い本塁打と打点を記録。シーズン終了後FAとなった。

ロッキーズ時代

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1992年オフにコロラド・ロッキーズと契約した。

ロッキーズ在籍時のガララーガ(1996年)

ロッキーズ移籍1年目の1993年は120試合の出場で、本塁打22、打点98を記録。更に打率.370を記録し、首位打者のタイトルを獲得。右打者ではジョー・ディマジオが1939年に打率.381を記録して以降最高だった。また、ベネズエラ出身選手として初の打撃タイトル獲得となった[1]。そしてカムバック賞も受賞。

1994年1994年から1995年のMLBストライキのあった年だったが、ガララーガは打率.319、31本塁打、85打点という成績を残した。

1995年には自身初の100打点を突破(106)。

1996年は自己最高の159試合に出場で、打率.304、47本塁打、150打点を記録し、自身初の本塁打王打点王のタイトルを獲得。更に、シルバースラッガー賞にも選出された。

1997年は154試合に出場で、打率.318、41本塁打、140打点と前年より本塁打・打点の数字が落ちたものの、2年連続で打点王のタイトルを獲得している。

ブレーブス時代

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1997年シーズン終了後、ロッキーズはガララーガに対し2年契約を提示したが、ガララーガはワールドチャンピオンになるため、フレッド・マグリフの後釜としてアトランタ・ブレーブスへ3年総額2480万ドルでFA移籍した[1][2]

1998年は打率.305、44本塁打、121打点を記録。

1999年非ホジキンリンパ腫というの告知を受ける。その為、癌の治療に専念。

2000年に癌細胞が消え去ったため復帰し、2度目のカムバック賞を受賞した。オフにFAとなった。

レンジャーズ時代

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2000年オフにテキサス・レンジャーズへ入団した。

ジャイアンツ時代

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2001年7月24日にチーフ・マグルダーエラスモ・ラミレストッド・オジアスの3選手と交換にサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。打率.256、17本塁打、69打点の成績を残したが、オフにFAとなり、NPB中日ドラゴンズマーク・マグワイアホセ・カンセコらとともに新外国人候補としてガララーガをリストアップしていたものの[3][4]、獲得はならなかった。

エクスポズ復帰

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2002年3月7日にモントリオール・エクスポズと契約を結んだ。この時はレギュラーポジションを確保するには至らなかったものの、104試合に出場。

ジャイアンツ復帰

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2002年オフに再びサンフランシスコ・ジャイアンツに入団した。

2003年は2000年以来となる打率.300を記録。しかし11月に癌が再発し、入院する事になってしまった。ガララーガは再入院となった時、この事を外部へは一切知らせなかった[要出典]

エンゼルス時代

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2004年8月6日、復活したガララーガはアナハイム・エンゼルスと契約を結んだ。7試合に出場して本塁打1を記録。通算本塁打を399本とした。同年の11月1日にFAとなった。

ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。しかし、翌2005年の春季キャンプ中の3月29日、若手にチャンスを与えるため引退を発表した[要出典]

ベネズエラ出身選手としての最多本塁打記録を保持していたが、2015年5月16日にミゲル・カブレラに更新された。

2009年3月に第2回WBCベネズエラ代表コーチを務めた。

2013年3月に第3回WBCのベネズエラ代表コーチを務めた。

選手としての特徴

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詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1985 MON 24 79 75 9 14 1 0 2 21 4 1 2 0 0 3 0 1 18 0 .187 .228 .280 .508
1986 105 356 321 39 87 13 0 10 130 42 6 5 1 1 30 5 3 79 8 .271 .338 .405 .743
1987 147 606 551 72 168 40 3 13 253 90 7 10 0 4 41 13 10 127 11 .305 .361 .459 .821
1988 157 661 609 99 184 42 8 29 329 92 13 4 0 3 39 9 10 153 12 .302 .352 .540 .893
1989 152 636 572 76 147 30 1 23 248 85 12 5 0 3 48 10 13 158 12 .257 .327 .434 .761
1990 155 628 579 65 148 29 0 20 237 87 10 1 0 5 40 8 4 169 14 .256 .306 .409 .715
1991 107 400 375 34 82 13 2 9 126 33 5 6 0 0 23 5 2 86 6 .219 .268 .336 .604
1992 STL 95 347 325 38 79 14 2 10 127 39 5 4 0 3 11 0 8 69 8 .243 .282 .391 .673
1993 COL 120 506 470 71 174 35 4 22 283 98 2 4 0 6 24 12 6 73 9 .370 .403 .602 1.005
1994 103 449 417 77 133 21 0 31 247 85 8 3 0 5 19 8 8 93 10 .319 .356 .592 .949
1995 143 604 554 89 155 29 3 31 283 106 12 2 0 5 32 6 13 146 14 .280 .331 .511 .842
1996 159 691 626 119 190 39 3 47 376 150 18 8 0 8 40 3 17 157 6 .304 .357 .601 .958
1997 154 674 600 120 191 31 3 41 351 140 15 8 0 3 54 2 17 141 16 .318 .389 .585 .974
1998 ATL 153 648 555 103 169 27 1 44 330 121 7 6 0 5 63 11 25 146 8 .305 .397 .595 .991
2000 141 548 494 67 149 25 1 28 260 100 3 5 0 1 36 5 17 126 15 .302 .369 .526 .895
2001 TEX 72 271 243 33 57 16 0 10 103 34 1 0 0 1 18 1 9 68 9 .235 .310 .424 .734
SF 49 174 156 17 45 12 1 7 80 35 0 3 0 2 13 1 3 49 3 .288 .351 .513 .863
'01計 121 445 399 50 102 28 1 17 183 69 1 3 0 3 31 2 12 117 12 .256 .326 .459 .784
2002 MON 104 334 292 30 76 12 0 9 115 40 2 2 0 3 30 6 9 81 8 .260 .344 .394 .738
2003 SF 110 293 272 36 82 15 0 12 133 42 1 3 0 0 19 1 2 61 9 .301 .352 .489 .841
2004 ANA 7 11 10 1 3 0 0 1 6 2 0 0 0 0 0 0 1 3 1 .300 .364 .600 .964
MLB:19年 2257 8916 8096 1195 2333 444 32 399 4038 1425 128 81 1 58 583 106 178 2003 179 .288 .347 .499 .846
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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一塁(1B) 三塁(3B)
























1985 MON 23 173 22 1 14 .995 -
1986 102 805 40 4 59 .995 -
1987 146 1300 103 10 96 .993 -
1988 156 1464 103 15 124 .991 -
1989 147 1335 91 11 97 .992 -
1990 154 1300 94 10 93 .993 -
1991 105 887 80 9 68 .991 -
1992 STL 90 777 62 8 71 .991 -
1993 COL 119 1018 103 11 88 .990 -
1994 103 953 65 8 90 .992 -
1995 142 1299 120 13 129 .991 -
1996 159 1528 116 14 154 .992 1 0 0 0 0 ----
1997 154 1458 117 15 176 .991 -
1998 ATL 149 1218 81 11 114 .992 -
2000 132 1105 61 14 98 .988 -
2001 TEX 25 195 16 1 26 .995 -
SF 41 288 13 5 38 .984 -
'01計 66 483 29 6 64 .988 -
2002 MON 89 629 59 13 55 .981 -
2003 SF 69 503 29 3 56 .994 -
2004 ANA 1 9 1 0 2 1.000 -
MLB 2106 18244 1376 176 1648 .991 1 0 0 0 0 ----

タイトル

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表彰

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記録

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コーチ歴

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脚注

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  1. ^ a b c d Eckhouse, Morris A.. “The Ballplayers - Andres Galarraga” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年6月13日閲覧。
  2. ^ 水次祥子「30球団マンスリー・リポート アトランタ・ブレーブ/ドラマチックな移籍劇を連発! 四番を放出し打点王ガララーガを獲得」『月刊メジャー・リーグ』1998年1月号、ベースボールマガジン社、1998年、雑誌 08625-1、76頁。
  3. ^ 中日 獲得候補にマグワイア」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2001年12月12日。オリジナルの2002年2月13日時点におけるアーカイブ。
  4. ^ 中日がマグワイアを候補に/ガララーガ、カンセコも」『四国新聞』四国新聞社、2002年12月11日。オリジナルの2024年4月21日時点におけるアーカイブ。2024年4月21日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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