イエローホーマー
イエローホーマー | |
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現役期間 | 1992年 - 1999年[1] |
品種 | アングロアラブ(アラブ血量32.43%)[1] |
性別 | 牡[1] |
毛色 | 栗毛[1] |
生誕 | 1990年3月28日[1] |
死没 | 不明 |
抹消日 | 2001年4月1日[2] |
父 | ローゼンホーマ[1] |
母 | ゴールドスカレー[1] |
母の父 | スカレー[1] |
生国 | 日本(北海道静内町)[1] |
生産者 | 原忠夫[1] |
馬主 | 石見正明 →高橋文枝 →岡田一彦[1] |
調教師 | 鋤田久(福山) →水野清貴(高崎) →平澤芳三(盛岡) →村山二男(中津)[1] |
競走成績 | |
生涯成績 | 107戦24勝[1] |
獲得賞金 | 7028万2000円[1] |
勝ち鞍 | ヤングチャンピオン(1992年) キングカップ(1993年) 福山菊花賞(1994年) |
イエローホーマー(1990年3月28日 - 不明)は、日本の競走馬。1992年のヤングチャンピオン、1993年のキングカップ、1994年の福山菊花賞の勝ち馬である。主戦騎手は福山競馬時代は鋤田誠二、高崎競馬時代は水野貴史、盛岡競馬時代は三野宮通、中津競馬時代は高山伸一。
福山競馬史上最高の名馬と称されるローゼンホーマの初年度産駒の一頭で、父に重賞初勝利を届けた馬である。また、福山競馬時代は福山アラブ二冠馬オールセンプーとミスタージヨージの最高傑作と称されたナタリージョージ、クラシック路線の影に隠れた名脇役イムラッドホマレとともに「四強」を形成していた。
経歴
[編集]1992年9月28日、福山競馬場でデビューし1着。福山にはデビューから1996年4月まで在籍し、重賞3勝含む17勝を挙げた。以降は高崎競馬場へ移籍。高崎では4戦し、1着1回2着2回3着1回という好成績を残し盛岡競馬場へ移籍した。盛岡では1996年9月から1998年10月まで在籍、A級戦線にて活動するも重賞勝利を挙げることはなかった。1998年10月4日のアラ系一般にてライジングトウザイの4着を最後に中津競馬場へ移籍。中津では1999年1月から活動するも1勝を挙げたのみで後は人気薄の競馬となった。結局この年の9月に行われた日本農業新聞杯での7着を最後に現役を引退。その後の動向は不明。
競走成績
[編集]- 1992年(6戦5勝) ヤングチャンピオン
- 1993年(11戦4勝) キングカップ
- 1994年(15戦8勝) 福山菊花賞、新春賞2着
- 1995年(16戦0勝) 福山菊花賞3着
- 1996年(18戦3勝) シルバー賞3着
- 1997年(17戦3勝)
- 1998年(10戦0勝)
- 1999年(14戦1勝)
通算成績107戦24勝
血統表
[編集]イエローホーマーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父 ローゼンホーマ 1983 青鹿毛 | 父の父 タイムライン1969 栗毛 | タガミホマレ | ミネフジ | |
バイオレツト | ||||
リユウエイ | シユンエイ | |||
タツリユウ | ||||
父の母 ヒダカローゼン1970 鹿毛 | エルシド | Nithard | ||
Farida IV | ||||
ミスローゼン | カンダオー | |||
スズエース | ||||
母 ゴールドスカレー 1980 栗毛 | スカレー 1969 鹿毛 | エルシド | Nithard | |
Farida IV | ||||
トモスカツプ | トモスベビー | |||
カツプフオード | ||||
母の母 スミノホマレ1971 鹿毛 | センジユ | 方景 | ||
イースタン | ||||
アヤヒシ | ヒシリユウ | |||
ウイルソン | ||||
出典 |
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ