インド共産党マルクス主義派

インドの旗 インド政党
インド共産党マルクス主義派
Communist Party of India (Marxist)
党旗
成立年月日 1964年11月7日
本部所在地 インドの旗 インドニューデリー
ローク・サバー議席数
4 / 543   (1%)
(2024年6月22日[1]
ラージヤ・サバー議席数
6 / 245   (2%)
(2021年4月)
政治的思想・立場 左翼[2][3] - 極左[4]
共産主義
マルクス・レーニン主義
反資本主義
反帝国主義
公式サイト Communist Party of India (Marxist) web site
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インド左派共産党(मार्क्सवादी कमयुनिस्त पार्टी, MaKaPa; Communist Party of India-Marxist, CPI-M)は、インド政党共産主義政党。元々はインド共産党であったが、党の修正主義派閥主義に反対した急進派が1964年インド共産党から離脱、インド共産党マルクス主義派を結成し、同党は2つに分裂した(ただし現在、双方の党は左翼戦線を組み選挙協力関係にある)。以降この党はインド共産党マルクス主義派または便宜的にインド左派共産党と呼ばれることとなる。2002年時点で約81万4,400人(インド共産党マルクス主義派発表)の党員を抱えるとされる。

書記長は、シタラム・イェチュリ英語版

党名

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党名は原語に忠実に訳せばインド共産党マルクス主義派となるが、日本語では党名が長くなるためインド左派共産党とされることがある。これとは別にインド共産党という政党もあるが、これは1925年12月25日設立とされるインド共産党が、1964年穏健派と急進派に分裂し、穏健派がインド共産党(CPI)として残り、急進派がインド共産党マルクス主義派(CPI-M)となったことで、CPIとCPI-Mを区別する必要が出たからである。党名については、インド共産党において詳しく述べる。

現況

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2006年5月の議会選挙ではインド共産党マルクス主義派を中心とする「左翼戦線」がケーララ州(ここでは「左翼民主戦線」を名乗った)で98議席を得て政権を奪還し、西ベンガル州では235議席を獲得し、政権を維持した。長らくローク・サバー(連邦下院)では国民会議派とインド人民党の二大政党のあいだでキャスティング・ボートを握り続け、党から下院議長にソームナート・チャタルジーも輩出していた。インド国民会議を中心とする統一進歩同盟閣外協力するなど、大きな影響力を有していたが、2008年7月に米印原子力協力に反対して閣外協力を解消した。

2009年連邦下院選挙では議席を大きく後退させて第三党ではなくなり、16議席の獲得にとどまった。また、1977年から34年も政権を握り続けた西ベンガル州ではタタ・ナノの工場誘致をめぐる強引な土地収用への反発から全インド草の根会議派が台頭して2011年の州議会議員選挙で敗北し、さらに西ベンガル州と並ぶ地盤であったケーララ州でも負け、両州の政権を失った。2014年連邦下院選挙でも退潮に歯止めをかけることはできず、ついに一桁の9議席まで後退し、2019年連邦下院選挙では更に後退して、3議席となった。

一方で、2013年トリプラ州議会選挙では政権を維持し、2016年ケーララ州議会選挙ではインド国民会議から政権を再び奪取した。2016年現在ではトリプラ州、ケーララ州において州政権を握っている。

選挙結果

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党首 獲得議席数 増減 得票率
1967 Puchalapalli Sundarayya
19 / 520
- 4.28 %
1971
25 / 518
増加 6 5.12 %
1977
22 / 542
減少 3 4.29 %
1980 E・M・S・ナンブーディリパド英語版
37 / 542
増加 15 6.24 %
1984
22 / 533
減少 15 5.72 %
1989
33 / 545
増加 11 6.55 %
1991
35 / 545
増加 2 6.14 %
1996 ハルキシャン・シン・スルジート
32 / 545
減少 3 6.12 %
1998
32 / 545
増減なし 5.16 %
1999
33 / 545
増加 1 5.40 %
2004
43 / 543
増加 10 5.66 %
2009 プラカーシュ・カラート英語版
16 / 543
減少 27 5.33 %
2014 シタラム・イエチュリ英語版
9 / 543
減少 7 3.24 %
2019 シタラム・イエチュリ
3 / 543
減少 6 1.77%
2024
4 / 543
増加 1 1.76%

脚注

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外部リンク

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