ウィリアム・スタンホープ (初代ハリントン伯爵)
The Right Honourable ハリントン伯爵 PC | |
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ハリントン伯爵の肖像画、ゴドフリー・ネラー作。 | |
アイルランド総督 | |
任期 1746年11月15日 – 1750年12月15日 | |
君主 | ジョージ2世 |
前任者 | チェスターフィールド伯爵 |
後任者 | ドーセット公爵 |
枢密院議長 | |
任期 1742年2月13日 – 1745年1月3日 | |
君主 | ジョージ2世 |
首相 | ウィルミントン伯爵 ヘンリー・ペラム |
前任者 | ウィルミントン伯爵 |
後任者 | ドーセット公爵 |
個人情報 | |
生誕 | ウィリアム・スタンホープ 1683年頃[1]/1690年頃[2][3] |
死没 | 1756年12月8日 グレートブリテン王国、ロンドン |
国籍 | イギリス |
配偶者 | アン・グリフィス(Anne Griffith) |
親 | ジョン・スタンホープ ドロシー・アガード |
住居 | エルヴァストン城 |
職業 | 貴族、政治家、外交官 |
初代ハリントン伯爵ウィリアム・スタンホープ(英語: William Stanhope, 1st Earl of Harrington, PC、1683年頃[1]/1690年頃[2][3] - 1756年12月8日)は、グレートブリテン王国の政治家、外交官。
生涯
[編集]エルヴァストンのジョン・スタンホープの息子で、ジョージ1世の時期に活躍した政治家チャールズ・スタンホープの弟である[2]。先祖のサー・ジョン・スタンホープ(1638年没)は初代チェスターフィールド伯爵フィリップ・スタンホープの異母弟だった[2]。
イートン・カレッジで教育を受けた後、従軍してスペイン継承戦争に参戦、第2近衛歩兵連隊の中尉→大尉(1703年)、第3近衛歩兵連隊の大尉→中佐(1710年)、歩兵連隊の大佐(1711年 - 1712年)として参戦した。終戦後も竜騎兵連隊の大佐(1715年 - 1718年)、第13竜騎兵連隊の大佐(1725年 - 1730年)を務め、また1735年に少将に、1739年に中将に、1747年に大将にそれぞれ昇進した[1]。
その後はマドリードへの使節団に加わったり、イギリス代表としてトリノに出向したりして外交畑で活躍した[2]。1720年のハーグ条約でイギリスとスペインが講和すると、スタンホープはイギリス駐スペイン大使に任命され、英西関係が難しい状況にある時期によく務めた[2]。1727年3月に駐スペイン大使を退任した[2]。その後、1727年から1730年まで副宮内長官を務め、1727年5月31日に枢密顧問官に任命された[2]。1729年、イギリス、フランス、スペイン間のセビリア条約の交渉に関与、その貢献により1730年1月にハリントン男爵に叙された[2]。
同年、ウォルポール内閣で第2代タウンゼンド子爵の後任として北部担当国務大臣に就任したが、平和志向のウォルポールと違い、そして国王ジョージ2世と同じく、ポーランド継承戦争で神聖ローマ皇帝カール6世に味方して対仏宣戦しようとした[2]。最終的にはウォルポールの主張が通ったが、ハリントンは1742年にウォルポールが失脚するまで北部担当国務大臣に留まった[2]。その後は枢密院議長に任命され、ハリントンのハリントン伯爵とサリーのピーターシャム子爵に叙された[2]。
1744年、政治上の盟友であるヘンリー・ペラムと初代ニューカッスル公爵により北部担当国務大臣に戻されたが、国王の寵愛を失って1746年10月に退任した[2]。その後、1747年から1751年までアイルランド総督を務め、1756年12月8日にロンドンで死去した[2]。
家族
[編集]エドワード・グリフィス大佐の娘で相続人であるアン・グリフィスと結婚、双子の子供をもうけた[1]。
- ウィリアム・スタンホープ(1719年12月18日 - 1779年4月1日) - ハリントン伯爵
- トマス・スタンホープ大尉(1719年12月18日 - 1743年1月12日) - ジョージ・ウェード将軍の副官
脚注
[編集]- ^ a b c d “STANHOPE, William (c.1683-1756)”. History of Parliament Online. 11 May 2014閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 13 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 18.
- ^ a b Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
- ^ "Stanhope; William (c 1690 - 1756); 1st Earl of Harrington". Record (英語). The Royal Society. 2018年12月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、初代ハリントン伯爵ウィリアム・スタンホープに関するカテゴリがあります。
- "ウィリアム・スタンホープの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
- William Stanhope, 1st Earl of Harrington (1683?-1756) - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
グレートブリテン議会 | ||
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先代 エドワード・マンディー ナサニエル・カーゾン | 庶民院議員(ダービー選挙区選出) 1715年 - 1722年 同職:ジェームズ・キャヴェンディッシュ | 次代 ジェームズ・キャヴェンディッシュ トマス・ベイリー |
先代 ジョン・ガムリー カーナーヴォン侯爵 | 庶民院議員(ステニング選挙区選出) 1727年 同職:ジョン・ガムリー | 次代 初代ヴェーン子爵 トマス・ブレーデン |
先代 ジェームズ・キャヴェンディッシュ トマス・ベイリー | 庶民院議員(ダービー選挙区選出) 1727年 - 1730年 同職:ジェームズ・キャヴェンディッシュ | 次代 ジェームズ・キャヴェンディッシュ チャールズ・スタンホープ |
軍職 | ||
先代 サー・ロバート・リッチ | ハリントンの竜騎兵連隊隊長 1725年 - 1730年 | 次代 ヘンリー・ホーリー |
外交職 | ||
空位 最後の在位者 ジョン・チェットウィンド | イギリス駐スペイン大使 1721年 - 1727年 | 次代 ベンジャミン・キーン |
公職 | ||
先代 トマス・コーク | 副宮内長官 1727年 - 1730年 | 次代 第2代ハーヴィ男爵 |
先代 第2代デヴォンシャー公爵 | 北部担当国務大臣 1730年 - 1742年 | 次代 第2代カートレット男爵 |
貴族院院内総務 1730年 - 1742年 | ||
先代 初代ウィルミントン伯爵 | 枢密院議長 1742年 - 1745年 | 次代 初代ドーセット公爵 |
先代 第2代カートレット男爵 | 北部担当国務大臣 1744年 - 1746年 | 次代 第4代チェスターフィールド伯爵 |
貴族院院内総務 1744年 - 1746年 | ||
先代 第4代チェスターフィールド伯爵 | アイルランド総督 1746年 - 1751年 | 次代 初代ドーセット公爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | ハリントン伯爵 1742年 - 1756年 | 次代 ウィリアム・スタンホープ |
ハリントン男爵 1730年 - 1756年 |