エゴール・ゴロフキン
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生誕 | 1983年12月9日(40歳) ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ | |||||||||||
身長 | 193 cm | |||||||||||
選手情報 | ||||||||||||
パートナー | ジェリコ・ボーリン | |||||||||||
ISUパーソナルベストスコア | ||||||||||||
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エゴール・アレクセーエヴィチ・ゴロフキン(ロシア語: Егор Алексеевич Головкин、ラテン翻字:Egor Alekseevich Golovkin、1983年12月9日 - )は、ロシア、モスクワ出身の男子フィギュアスケート選手。2005年世界ジュニア選手権3位。パートナーはタチアナ・ココレワ、マリア・ムホルトワなど。
経歴
[編集]モスクワに生まれ、4歳のころにスケートを始めた。マリア・ムホルトワとのペアを経て、タチアナ・ココレワとペアを結成し、2002-2003年シーズンからISUジュニアグランプリに参戦した。同シーズンにはロシア選手権ジュニアクラスで優勝を果たし、頭角を現した。
2003-2004年シーズン、ISUジュニアグランプリのJGPスケートスロバキアとJGPスケートブレッドで連続優勝したものの、初進出のJGPファイナルでは5位入賞、初出場の世界ジュニア選手権では4位入賞に留まった。翌2004-2005年シーズン、JGPハルギタ杯で優勝を飾り、2度目の出場となった世界ジュニア選手権で3位となり、さらなる飛躍が期待されたがシーズン終了後にペアは解散した。
その後、カナダのジェリコ・ボーリンとペアを結成し、カナダ国内大会に参加したが国際大会への出場はない。
主な戦績
[編集]- 戦績はタチアナ・ココレワとのペア時。
大会/年 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 |
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ロシア選手権 | 1 J | 3 J | 7 |
ニース杯 | 1 | 1J | |
世界Jr.選手権 | 4 | 3 | |
JGPファイナル | 5 | ||
JGPハルギタ杯 | 1 | ||
JGPベオグラード・スパロー | 4 | ||
JGPスケートブレッド | 1 | ||
JGPスケートスロバキア | 1 | ||
JGP北京 | 3 |
- J = ジュニアクラス
詳細
[編集]2004-2005 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2005年2月28日 - 3月6日 | 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(キッチナー) | 1 54.46 | 3 89.66 | 3 144.12 |
2004年11月4日 - 7日 | 2004年ニース杯 ジュニアクラス(ニース) | 1 | 1 | 1 |
2004年10月14日 - 17日 | ISUジュニアグランプリ ハルギタ杯(ミエルクレア=チュク) | 1 51.27 | 2 87.64 | 1 138.91 |
2004年9月23日 - 26日 | ISUジュニアグランプリ ベオグラード・スパロー(ベオグラード) | 1 47.98 | 6 74.37 | 4 122.35 |
2003-2004 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2004年2月29日 - 3月7日 | 2004年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ハーグ) | 4 | 4 | 4 |
2003年12月11日 - 14日 | 2003ジュニアグランプリファイナル(マルメ) | 5 | 6 | 5 |
2003年11月6日 - 9日 | 2003年ニース杯(ニース) | 2 | 1 | 1 |
2003年10月9日 - 12日 | ISUジュニアグランプリ スケートブレッド(ブレッド) | 2 | 1 | 1 |
2003年9月18日 - 21日 | ISUジュニアグランプリ スケートスロバキア(ブラチスラヴァ) | 3 | 1 | 1 |
2002-2003 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2002年10月17日 - 20日 | ISUジュニアグランプリ 北京(北京) | 2 | 4 | 3 |