カプィリ
カプィリ Капыль | |
---|---|
カプィリ (2017) | |
座標 : 北緯53度09分00秒 東経27度05分30秒 / 北緯53.15000度 東経27.09167度 | |
歴史 | |
年代記初出 | 1274年 |
マクデブルク法採用 | 1652年 |
市 | 1984年 |
行政 | |
国 | ベラルーシ |
州 | ミンスク州 |
区 | カプィリ地区 |
市 | カプィリ |
人口 | |
人口 | (2016年現在) |
市域 | 9620[1]人 |
その他 | |
等時帯 | FET (UTC+3) |
郵便番号 | 223927 |
市外局番 | +375 1719 |
位置図 | |
公式ウェブサイト : http://kopyl.gov.by/ru |
カプィリ(ベラルーシ語: Капыль)はベラルーシ・ミンスク州の市(горад / ホラド)である。カプィリ地区(ru)の行政中心地であり、人口は2009年の時点で10500人。市内にはチーズ工場があり、付近にはチョークの鉱床がある。
歴史
[編集]年代記における初出は、『ガーリチ・ヴォルィーニ年代記』の1274年の、「ルーツク公ムスチスラフが、カプィリからパレッセへ軍を進めた」という主旨の記述である[2]。ただし歴史学者・考古学者は、11世紀には既に都市が建設されていたという説を述べている。また、都市はドレゴヴィチ族の街を基礎としているとされている[3]。
カプィリの城丘は、歴史学者の調査によって、古代の聖地として重要な役割を担っていたと推測されている。また、カプィリ(ベラルーシ語: Капыль)という名は異教の神殿(例:ロシア語: капище)という言葉に由来するという説があり、カプィリの人々の間には、この説の裏づけとなるロマンチックな伝説が伝わっている[3]。
カプィリはスルツク公国領を経て、14世紀にはリトアニア大公国領となった。1395年よりヴラディミラス・アルギルダイティスが統治し、以降はスルスカス(スルツク)・オレリコ家(ru)[注 1][訳語疑問点]のナメストニクによって統治された。
1612年、オレリコ家の最後の統治者となった公女ソフィヤ(ru)(スルツク公女・コプィリ公女)が死去すると、コプィリはラジヴィウ家の所領となった。1652年、マクデブルク法を採用し、また黄金色の地に猟師の角笛(ru)を描いた市章と、定期市に関する法を定めた[4]。16世紀には織物業が行われ、ビロード、キッド革(ru)製品が生産されていた。6つの手工業者ギルドがあった。
1793年、第2次ポーランド分割によって帝政ロシアに属することとなった。1832年からはヴィトゲンシュタイン家の所領となった。
19世紀には、ビール工場、2つの水車(製粉所)、6つの小さな店、3つの学校、2つのユダヤ教の祈祷の祈りの家[訳語疑問点]と、教会、カトリック寺院(Костёл / カスチョール(ru))、カルヴァン派大聖堂(собор / サボール)が1つずつあった[注 2]。1924年にカプィリ地区の中心自治体となった。
第二次世界大戦中の1941年6月29日、ドイツ国防軍に占領された。大戦前の1939年の人口調査によれば、カプィリには1435人のユダヤ人が住んでおり、カプィリの総人口の27.96%を占めていた[7]。このユダヤ人のほぼ全てが、ナチスによってカプィリ・ゲットー(ru)(参照:ゲットー)に送られ、殺害された。
1984年に市制が敷かれ、現在に至る。
ゆかりの著名人
[編集]- メンデレ・スフォリム(1836年 - 1917年) - 作家
姉妹都市
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Численность населения на 1 января 2016 г. и среднегодовая численность населения за 2015 год по Республике Беларусь в разрезе областей, районов, городов и поселков городского типа
- ^ Справочная информация. Город Копыль.
- ^ a b Седые легенды древнего Копыля / История и люди / Газета «Інфа-Кур’ер» / «Инфо-Курьер».
- ^ KOPYL-REGION.NAROD.RU/ История Копыльщины
- ^ 井桁貞義『露和辞典』p406
- ^ 井桁貞義『露和辞典』p383
- ^ Distribution of the Jewish population of the USSR 1939. Editor: Mordechai Altshuler. — Jerusalem, 1993. — P. 38. 4.
- ^ "International Relations"
参考文献
[編集]- 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年。