カルロ・アツェリオ・チャンピ
カルロ・アツェリオ・チャンピ Carlo Azeglio Ciampi | |
カルロ・アツェリオ・チャンピ(1999年撮影) | |
任期 | 1999年5月18日 – 2006年5月15日 |
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首相 | マッシモ・ダレマ ジュリアーノ・アマート シルヴィオ・ベルルスコーニ |
任期 | 1993年4月28日 – 1994年5月11日 |
大統領 | オスカル・ルイージ・スカルファロ |
出生 | 1920年12月9日 イタリア王国、トスカーナ州リヴォルノ県 リヴォルノ |
死去 | 2016年9月16日(95歳没) イタリア、ローマ |
政党 | 無所属 |
配偶者 | フランカ・チャンピ |
カルロ・アツェッリョ・チャンピ(イタリア語: Carlo Azeglio Ciampi, イタリア語発音: [ˈkarlo adˈdzeʎʎo ˈtʃampi] ( 音声ファイル), 1920年12月9日 - 2016年9月16日)は、イタリアの政治家、銀行家。
概要
[編集]1920年、イタリア王国生まれ。1941年にイタリアを代表する最高学府ピサ高等師範学校で文学を修め、1946年にピサ大学で法学を修めた。同年に中央銀行であるイタリア銀行に就職し、1976年同行専務理事、1978年同行副総裁、1979年10月にはイタリア銀行総裁に任命され、1993年まで務めた。ドイツ・ライプツィヒ大学にも留学経験がある。
1993年4月から1994年5月までタンジェントポリ後の政界再編のさなか、第二次世界大戦後初めて非議員・無所属でありながらイタリア首相を務め、選挙制度改革・財政再建を果たした。その後、1996年5月からプローディ内閣とダレマ内閣で国庫相を務めた。そして1999年5月13日、イタリア大統領に選出され同月18日に大統領就任の宣誓を行った。イタリアをヨーロッパ経済通貨同盟(EMU)第三段階(単一通貨ユーロの導入など)の第一陣に導いたのはチャンピの業績による所が大きい。
2016年夏頃よりローマ市内の病院に入院し、9月16日に95歳で死去した[1][2]。
脚注
[編集]- ^ “イタリアのチャンピ元大統領が死去、95歳 ユーロ導入に貢献”. ロイター (ロイター). (2016年9月16日) 2016年9月16日閲覧。
- ^ “カルロ・チャンピ氏死去=伊首相、大統領を歴任”. 時事通信. (2016年9月16日) 2016年9月16日閲覧。
関連項目
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