カート・ランビス
ミネソタ・ティンバーウルブズHC時のランビス (2011年) | |
ロサンゼルス・レイカーズ | |
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役職 | チームアドバイザー |
所属リーグ | NBA |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 ギリシャ |
生年月日 | 1958年2月25日(66歳) |
出身地 | インディアナ州テレホート |
身長(現役時) | 203cm (6 ft 8 in) |
体重(現役時) | 97kg (214 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | サンタクララ大学 |
NBAドラフト | 1980年 / 3巡目 / 全体58位[1] |
ニューヨーク・ニックスから指名 | |
プロ選手期間 | 1980年–1995年 |
ポジション | PF |
背番号歴 | 30, 31, 18 |
指導者期間 | 1994年–現在 |
選手経歴 | |
1980-1981 1981-1988 1988-1989 1989-1992 1992-1993 1993-1995 | AEKアテネBC ロサンゼルス・レイカーズ シャーロット・ホーネッツ フェニックス・サンズ サクラメント・キングス ロサンゼルス・レイカーズ ※(1994-95シーズンはコーチ兼任) |
指導者経歴 | |
1994-1999 1999 2001-2004, 2005-2009 2009-2011 2013-2014 2014-2016 2016 2016-2018 | ロサンゼルス・レイカーズ(AC) ロサンゼルス・レイカーズ(暫定HC) ロサンゼルス・レイカーズ(AC) ミネソタ・ティンバーウルブズ ロサンゼルス・レイカーズ(AC) ニューヨーク・ニックス(AC) ニューヨーク・ニックス(暫定HC) ニューヨーク・ニックス(AC) |
受賞歴 | |
選手時代 コーチ時代
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Stats Basketball-Reference.com | |
ダレル・カート・ランビス (Darrell Kurt Rambis , 1958年2月25日 - )は、アメリカ合衆国・インディアナ州テレホート生まれ、カリフォルニア州クパチーノ出身の元バスケットボール選手、指導者。現役時代はNBAのロサンゼルス・レイカーズ等で活躍した。
来歴
[編集]カート・ランビスは1958年にインディアナ州テレホートで生まれたが、一家はランビスの幼少の頃にカリフォルニア州クパチーノに引っ越した。ランビスはクパチーノで育ち、大学も地元のサンタクララ大学に進学。背番号 "34" が永久欠番になるなど同大学のスター選手として活躍し、1980年のNBAドラフトではニューヨーク・ニックスから指名されるも、開幕ロースターに残ることは出来ず、ギリシャのAEKアテネでプロキャリアをスタート。ギリシャ名の"Kyriakos Rambidis"という選手名でプレーし、カップ戦優勝を経験。翌1981年にロサンゼルス・レイカーズと契約。マジック・ジョンソン、カリーム・アブドゥル=ジャバー、ジェームズ・ウォージーを中心とした "ショータイム・バスケットボール" の中で、ランビスは体を張った "武闘派" のロールプレーヤーとして、80年代のレイカーズの黄金期を支え、4度のNBAチャンピオンを経験。1988年にレイカーズを離れ、数チームを渡り歩いた後に1993年にレイカーズに復帰。1994年以降はコーチ兼任となり、1995年に現役を退き、コーチ業に専念した[1]。
コーチ歴
[編集]1995-96シーズンから正式のアシスタントコーチに専念し、1998-99シーズン途中にデル・ハリスヘッドコーチ解任を受け暫定ヘッドコーチに昇格。24勝13敗の成績を残しチームを立て直したが、プレーオフでは2ndラウンドでサンアントニオ・スパーズに4戦全敗を喫し、シーズン終了後にフィル・ジャクソンヘッドコーチ就任に伴い退任。2001年に再びアシスタントコーチに復帰し、2002年と2009年のNBAチャンピオンに貢献した[2]。
2009年夏にミネソタ・ティンバーウルブズのヘッドコーチに就任。長年低迷に苦しむウルブズの再建に期待が高まったが、2シーズンで32勝132敗という惨憺たる成績に終始し、2010-11シーズン終了後に解任された[3]。
2013-14シーズンはレイカーズでアシスタントコーチを務め、2014年7月にニューヨーク・ニックスのアソシエイトコーチに就任[4]。2016年2月8日には、デレック・フィッシャーヘッドコーチ解任に伴い、暫定ヘッドコーチに昇格し、シーズン終了まで暫定コーチを務めた。一旦退任となったが、新任のジェフ・ホーナセックヘッドコーチの要望により、アソシエイトコーチに復職した。