キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー
キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー | |
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生誕 | 1901年11月6日 グレートブリテン及びアイルランド連合王国 イングランド グレーター・マンチェスター リー |
死没 | 1957年9月14日 (55歳没) グレートブリテン及びアイルランド連合王国 イングランド マンチェスター |
居住 | イギリス |
国籍 | イギリス |
研究分野 | 藻類学 |
研究機関 | イギリス藻類学会 |
出身校 | マンチェスター大学 |
主な業績 | 海苔の糸状体世代の発見 |
影響を 与えた人物 | 瀬川宗吉、太田扶桑男 |
配偶者 | ヘンリー・ライト=ベーカー |
プロジェクト:人物伝 |
キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー(Kathleen Mary Drew-Baker、1901年11月6日 - 1957年9月14日)はイギリスの藻類学者である。海苔(ノリ)養殖に必要な「人工採苗」技術の開発に大きな貢献をし、日本の海苔産地では「海苔養殖の母」などと呼ばれている。
ランカシャーのリー(Leigh)で生まれた。マンチェスター大学で海藻の研究を行った。1922年から1957年の間、マンチェスター大学で植物学の講師を務めた。イギリス藻類学会(British Phycological Society)の創立者の一人で、初代会長を務めた。
ドリューはノリの生活史研究において、海岸でノリの糸状体をカキの貝殻の中に発見し、それまで知られていなかったノリが夏をどのように過ごすのかを明らかにした[1]。親交のあった藻類学者、九州大学瀬川宗吉に手紙で知らせ、それをヒントに瀬川や、熊本県水産試験場研究員の太田扶桑男らが研究を進め、1953年頃までに海苔の人工養殖技術を完成させた。ノリはウェールズでも伝統的な食材として使われていた(en:Laverbread参照)。
ドリューの功績を顕彰するために海苔養殖業者は寄付を集め、有明海を望む宇土市の住吉神社に1963年に漁民たちの少額の寄付の積み重ねによって顕彰碑が建てられた。碑の除幕式には、福岡県や佐賀県からの来訪者も含め45人が参集。以後、毎年4月14日に碑の前でドリュー祭(ドゥルー祭)が開かれている。この日取りは、住吉神社大祭期間中で、ドリューの月命日である14日を選んだものである[2]。
2001年には、彼女の生誕100周年ということで、彼女の息子と娘がこの式典に招待された[3]。
脚注
[編集]- ^ Drew, Kathleen M. (1949). “Conchocelis-phase in the life-history of Porphyra umbilicalis (L.) Kütz”. Nature 164 (4174): 748–749. doi:10.1038/164748a0 .
- ^ 山本文市「海苔養殖の母 英国学者◇戦後日本の食卓支えた功労者顕彰、後世に伝える◇」『日本経済新聞』朝刊2018年5月28日(文化面)。
- ^ マイケル・ブース『英国一家、日本をおかわり』角川書店 2018年 p.73-76
参考文献
[編集]- 知られざる歴史37話・ドリュー女史 日本の海苔漁民を救った英国人女性科学者 - ウェイバックマシン(2014年5月17日アーカイブ分)
- 宇土探訪~歴史と文化の薫るまち~
外部リンク
[編集]- “人工採苗の母・ドリュー女史”. 海苔ジャーナルエクスプレス. 海苔産業情報センター. 2014年5月17日閲覧。
- 徳田廣 (2007年4月). “第3回 「藻類の変わり者(その1、2)」〔[藻類の変わり者]その2 : 貝殻に潜る海藻〕”. 徳田先生の部屋. 日本エヌ・ユー・エス株式会社. 2017年5月26日閲覧。