クルト・ベック
クルト・ベック | |
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生年月日 | 1949年2月5日(75歳) |
出生地 | 連合国軍占領下のドイツ ラインラント=プファルツ州 バート・ベルクツァーベルン |
所属政党 | ドイツ社会民主党 |
在任期間 | 1994年10月26日 - 2013年1月15日 |
ドイツ社会民主党党首 | |
在任期間 | 2006年4月10日 - 2008年9月7日 |
クルト・ベック(Kurt Beck、1949年2月5日 - )は、ドイツの政治家。ドイツ社会民主党(SPD)所属。2006年5月から2008年10月まで、SPD党首を務めた。1994年から2013年までラインラント=プファルツ州首相。
経歴
[編集]技師から政治家に
[編集]ラインラント=プファルツ州バート・ベルクツァーベルン(Bad Bergzabern)生まれ。父は煉瓦職人で、カトリックの家庭。国民学校を卒業したのち1963年から1968年に電気技師の職業訓練を受ける。1968年に結婚して一男をもうける。1969年に兵役を終了。軍の施設で電信技術者として働きながら、1969年から夜間学校に通い、1972年に中等教育修了資格を取得。労働組合の個人相談役などをする。
当時の首相ヴィリー・ブラントの人柄やドイツ社会民主党(SPD)の党綱領に共感し、1972年にSPDに入党[1]。1974年に南ヴァインシュトラーセ(「ワイン街道」)郡の郡議会議員に初当選。1979年にはラインラント=プファルツ州議会議員に初当選。1982年に州議会SPD社会政策担当広報官。1985年、州議会SPD議員団事務局長。1989年、住所のあるシュタインフェルトの区長を兼任(1994年まで)。1991年、州議会SPD院内総務。
州首相
[編集]1993年、同州首相で州代表のルドルフ・シャーピングがSPD党首となったため、SPDのラインラント・プファルツ州代表に就任。ドイツ連邦議会議員に転じたシャーピングはベックを後継の州首相候補に指名。SPDは1994年の州議会選挙で勝利し、ベックは10月26日に州首相に選出された。自由民主党(FDP)との連立を維持することで1996年、2000年、2006年の州議会選挙を勝ち抜き、州首相として長期政権を維持している。2003年には党の実力者としてSPD副党首に就任。2006年の州議会選挙でSPDは単独で過半数を獲得。ベックはそれでもFDPとの連立維持を申し出たが、FDP側が拒否して単独政権となっている。2007年10月にバイエルン州のシュトイバー州首相が退任したため、ベックはドイツ各州の首相の中で最古参となった。2011年の州議会選挙では、得票率を10%近く減らし、11議席を減らしたが、第一党を維持した。SPDは議席0から躍進した緑の党と連立した。ベックの州首相在職中、終日校や無料保育所の整備が推進され、また州の失業率はドイツ各州では3番目に低い7%に抑えられた。
SPD党首
[編集]2005年の連邦議会選挙でSPDは第一党から転落、ゲアハルト・シュレーダー政権は退陣し、フランツ・ミュンテフェーリング党首も責任をとって辞任した。後任には唯一立候補したブランデンブルク州首相のマティアス・プラツェックが選出されたが、健康不安を理由に翌年4月に辞任。後任として副党首のベックが推され、2006年5月14日に95%の得票で正式にSPD党首に選ばれた[2]。SPDは連邦議会第一党のキリスト教民主同盟CDUとアンゲラ・メルケル内閣で大連立を組んでいるが、政策面で食い違いが多く、党首としてベックが連立パートナーに苦言を呈する場面が多い。一方でSPD党内でもメルケル内閣の副首相を務める調整役のミュンテフェーリングとのさや当てが囁かれた。2007年11月、ミュンテフェーリングが副首相辞任を表明した際も、連立与党党首として当然求められた入閣を即日拒否して「私は閣外で批判的立場にいるほうが良い」と述べたことにもその姿勢が窺える。
ベックは2007年の党大会で、新自由主義的とも批判されていたシュレーダー前首相の新中道路線をやめ、SPDの左回帰に舵を切った。しかし世論調査の度にベックの個人的人気のなさが報じられ、ミュンテフェーリングやフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー外相(SPD副党首)とのすれ違いが目立つようになった。2008年9月7日、翌2009年に予定されている次期総選挙では知名度・人気の高いシュタインマイヤーを首相候補に立て、自らは身を引くと表明。同時にマスコミによる情報のミスリードが多く党首としての権威を保てないとして、突如党首辞任を表明した[3]。
政界引退
[編集]2012年9月、長年務めた州首相を辞任する意志を表明し、後任に自身の内閣からマル・ドライヤー社会・労働・保健・人口相を指名した。翌2013年1月に州首相と辞任し、ドライヤーが後継州首相に選出された[4]。直後の自身の64歳の誕生日である2月5日には州議会議員も辞職して政界を引退した。2013年5月から地元の企業であるベーリンガーインゲルハイムの相談役を務める。2015年12月に脳卒中で治療を受けた[5]。
表彰・その他
[編集]1999年からZDF顧問委員会委員長。その他ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字星大綬章、レジオン・ドヌール勲章(士官級)受賞。福建省名誉市民。2006年11月7日から社会主義インターナショナル副議長を務める。
脚注
[編集]- ^ "Kurt Beck zum 70. Geburtstag" (ドイツ語). 2021年4月15日閲覧。
- ^ "SPD-Parteitag: Kurt Beck zum SPD-Chef gewählt". Tagesspiegel. 14 May 2006. 2017年12月28日閲覧。
- ^ im (7 September 2008). "Beck-Rücktritt: Die persönliche Erklärung im Wortlaut". Focus Online. 2017年1月6日閲覧。
- ^ Armin Lehmann (13 March 2016). "Landtagswahl Rheinland-Pfalz: Wenige Stimmen werden entscheiden". tagesspiegel.de. 2017年1月6日閲覧。
- ^ "Früherer SPD-Chef: Kurt Beck erleidet Schlaganfall". Spiegel Online. 9 January 2016. 2017年1月6日閲覧。
外部リンク
[編集]- ホームページ(ドイツ語)
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