グルーチョ・マルクス
グルーチョ・マルクス Groucho Marx | |||||||||
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1950年撮影 | |||||||||
本名 | Julius Henry Marx | ||||||||
生年月日 | 1890年10月2日 | ||||||||
没年月日 | 1977年8月19日(86歳没) | ||||||||
出生地 | アメリカ合衆国・ニューヨーク州・ニューヨーク | ||||||||
死没地 | アメリカ合衆国・カリフォルニア州・ロサンゼルス | ||||||||
職業 | 俳優・コメディアン・作家 | ||||||||
ジャンル | 映画・テレビ番組・舞台・ラジオ番組 | ||||||||
活動期間 | 1905年 - 1976年 | ||||||||
配偶者 | ルース・ジョンソン(1920年 - 1942年) ケイ・マーヴィス・ゴーシー(1945年 - 1951年) イーデン・ハートフォード(1954年 - 1969年) | ||||||||
著名な家族 | チコ(兄) ハーポ(兄) ガンモ(弟) ゼッポ(弟) | ||||||||
主な作品 | |||||||||
『我輩はカモである』 『オペラは踊る』 | |||||||||
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ジュリアス・ヘンリー・“グルーチョ”・マルクス(英語: Julius Henry “Groucho” Marx、1890年10月2日 - 1977年8月19日)は、アメリカの俳優・コメディアン・作家。Marxの英語としての発音をカタカナで表記すれば「マークス」が近いが、日本では慣例で「マルクス」と表記されることが多い。愛称の英語の発音は「グラウチョウ」[ˈɡraʊtʃoʊ]になるが、日本では「グルーチョ」と表記されることが多い。マルクス兄弟の三男として、舞台活動を経て多くの映画に出演、その後のコメディに大きな影響を与えた[注 1]。ソロ活動でも成功し、クイズ番組『You Bet Your Life』を初めとしたテレビ・ラジオ番組で活躍した。
来歴
[編集]1890年10月2日、ニューヨークのマンハッタンで、ユダヤ系移民の家庭に生まれる。家の貧しさのため12歳で学校を中退し、芸人を両親に持つ母ミニーのもとで歌唱などの訓練を積む。ミニーのプロデュースによって、やがて兄のチコ、ハーポ、弟のガンモと共に歌手グループ「ザ・フォー・ナイチンゲールズ」としてヴォードヴィルの舞台に立つようになり、アメリカ各地で公演を行う。次第に兄弟はみずからの喜劇の才能に目覚めていき、音楽中心のスタイルから喜劇へとシフトしていく。演技を続けるなか、第一次世界大戦が勃発し反ドイツ感情が高まったため、それまで演じてきたドイツ的なキャラクターを捨て、トレードマークである早口でまくしたてる人物像を創り出した。
やがて第一次世界大戦に弟のガンモが徴兵され、代わりに末っ子のゼッポが加わった4人体制の「マルクス兄弟」が生まれた。兄弟はブロードウェイで3つのヒット作を演じたのち、1929年にパラマウントに招かれ映画製作に乗り出す。パラマウントで5作品を制作したのちゼッポは俳優活動を離れ、グルーチョはチコ、ハーポとの3人体制で1935年からMGMで5作品を制作した。大ヒットした1935年公開作『オペラは踊る』の際には、兄弟の過剰なアドリブとふざけた態度に業を煮やした監督のサム・ウッドが「粘土細工に演技はできない」と嫌味を言ったのに対し、グルーチョが「木(ウッド)にも監督はできない」と返したというエピソードが残っている。兄弟の映画制作は1949年まで続いた。
兄弟としての活動が終わったのち、喋りの才能が卓越していたグルーチョは、ラジオ番組やテレビ番組のホストとしての活躍を始めた。特にラジオ番組として1947年に始まり、テレビ番組として1950年から11年間続いたクイズ番組『You Bet Your Life』では、番組の顔として人気を博した。また、自伝『Groucho and Me』(1959年)を初めとした多くの著作も残している。その後もテレビやラジオにコンスタントに出演を続けたが、1970年代に入ると体調を崩しがちになり、1977年8月19日、ロサンゼルスにおいて肺炎で死去した。晩年の1974年には、第46回アカデミー賞において、マルクス兄弟の功績を称えるため、存命のグルーチョにアカデミー名誉賞が授与されている。
キャラクター
[編集]「グルーチョ」という芸名の由来にはいくつかの説明が存在する。最も一般的なものは、グルーチョがいつも不機嫌であったことから、「ブツブツ文句を言う」ことを意味する「Grouch」の名が与えられたというものである。しかし、ハーポの伝記のなかでは、旅行者などが貴重品を隠すための財布「グラウチ・バッグ」に由来していると語られているほか、グルーチョ自身はコミック・ストリップ『Knocko the Monk』にちなんでいると述べている。
現在もグルーチョ眼鏡によって知られているように、眼鏡や口ひげといったグルーチョのトレードマークは観客に強い印象を残した。墨で太く口ひげと眉毛を描くメーキャップは、手間の掛かる付けひげの代わりとして、自然とヴォードヴィルで用いるようになった手法である。のちにテレビ出演が増えた頃には、メイクではなく本物の髭を伸ばしている。そのほか、上半身を前に大きく倒したオーバーな歩き方も特徴の一つに数えられる。芸風はナンセンスなジョークを間断なく語り続けるというもので、グルーチョの頭の回転の速さが遺憾なく発揮されており、このスタイルはのちのコメディアンに大きな影響を与えた。
主な出演作品
[編集]- ココナッツ The Cocoanuts(1929年)
- けだもの組合 Animal Crackers(1930年)
- いんちき商売 Monkey Business(1931年)
- 御冗談でショ Horse Feathers(1932年)
- 我輩はカモである Duck Soup(1933年)
- オペラは踊る A Night at the Opera(1935年)
- マルクス一番乗り A Day at the Races(1937年)
- ルーム・サーヴィス Room Service(1938年)
- マルクス兄弟珍サーカス At the Circus(1939年)
- マルクスの二挺拳銃 Go West(1940年)
- マルクス兄弟デパート騒動 The Big Store(1941年)
- マルクス捕物帖 A Night In Casablanca(1946年)
- 悩まし女王 Copacabana(1947年)
- ラヴ・ハッピー Love Happy(1949年)
- ダブル・ダイナマイト Double Dynamite(1951年)
- マルクスの競馬騒動 A Girl in Every Port(1952年)
- ミカド(1960年) - テレビ番組「The Bell Telephone Hour」で放映されたもので、グルーチョはココを演じた[1]。
- Skidoo(1968年)
- Doncella cigarのコマーシャル(リチャード・レスターの監督による)[2](時期未詳)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ "Mikado : M.Green, Voorhees / Telephon Orchestra, D.King, Groucho Marx, Traubel, etc (1960 Monaural)". HMV&BOOKS online (英語). 2024年2月2日閲覧。
- ^ Mackenzie Rough (2012-02-26), Doncella Cigars Groucho Marxs. 2024年12月25日閲覧。
関連項目
[編集]出典
- ^ “浅草情報何でもお任せ/浅草い~とこ/asakusa-e.com”. 浅草情報何でもお任せ/浅草い~とこ/asakusa-e.com. 2024年12月24日閲覧。 “永田キング(ながた きんぐ) グルーチョ・マルクスの扮装、メイク、動き、レトリックをそっくりそのまま真似て、「和製マルクス」を自称。”
外部リンク
[編集]- Groucho Marx - IMDb
- Groucho Marx - TCM Movie Database
- Groucho Marx - インターネット・ブロードウェイ・データベース
- Groucho Marx - Find a Grave
- Marx Brothers - Films - インターネットアーカイブ(英語)(マルクス兄弟主演作品、グルーチョ単独主演作品「悩まし女王」およびグルーチョが出演した「Skidoo」を収録)
- A Girl in Every Port(マルクスの競馬騒動) - インターネットアーカイブ(英語)