UCサンプドリア

UCサンプドリア
原語表記 Unione Calcio Sampdoria S.p.A.
愛称 I Blucerchiati (青い円)
La Samp
Il Doria
クラブカラー    
   
創設年 1946年
所属リーグ セリエB
所属ディビジョン 2部(2023-24
昨季リーグ順位 20位(2022-23
ホームタウン リグーリア州 ジェノヴァ
ホームスタジアム
スタディオ・ルイジ・フェッラーリス
収容人数 41,917人
代表者 イタリアの旗 マルコ・ランナ
監督 イタリアの旗 アンドレア・ピルロ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ウニオーネ・カルチョ・サンプドリア: Unione Calcio Sampdoria S.p.A.)は、イタリアリグーリア州ジェノヴァをホームタウンとするプロサッカークラブ。愛称「サンプ(La Samp)」や「ドリア(Il Doria)」、または「ブルチェルキアーティ(I Blucerchiati、青に囲まれしもの)」。1990-91シーズン、セリエA優勝の古豪。

歴史

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1946年にサンピエルダレネーゼとアンドレア・ドリアが合併して誕生。

1980年代にはパオロ・マントバーニ会長による積極経営の下で、セリエAを代表するチームに成長し、名将ヴヤディン・ボシュコヴの下で、1982年に移籍してきたロベルト・マンチーニと、1984年加入のジャンルカ・ヴィアリのツートップ、1986年より加入のトニーニョ・セレーゾなどを擁してクラブの黄金期を迎える。1989-90シーズン、初のヨーロッパの舞台でのタイトルとなる、カップウィナーズカップ優勝。

1990-91シーズンには初のセリエA優勝を果たし、1991-92シーズンにはチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝に進出、決勝では、FCバルセロナと互角に戦うが、エースのヴィアリが決定的チャンスを決め切れず、延長の末クーマンに直接FKを決められ敗れた。

1992-93シーズン開幕前ににヴィアリがユベントスへ移籍、スヴェン=ゴラン・エリクソンが新監督に就任した。1993-94シーズンにはルート・フリットやデビット・プラット、アルベリゴ・エヴァーニ ら新戦力が活躍、旧戦力との融合で一時首位に立つなどセリエA優勝争いを演じたが、3位に終わった。一方のコッパ・イタリアでは優勝を果たした。1994-95シーズン終了後に長年チームを支えたピエトロ・ヴィエルコウッドが移籍した。

1996-97シーズン、新加入のヴィンチェンツォ・モンテッラフアン・セバスティアン・ベロン、マンチーニらの活躍もあって一時は優勝争いを演じるが、UEFAカップ出場権に終わった。シーズン終了後には15年間プレーしたクラブの顔とも言えるマンチーニが移籍、エリクソンも退任した。1998-99シーズン、アリエル・オルテガが加入したが、 セリエBに降格。

2003-04シーズンにはセリエAに復帰し、安定した経営により中堅クラブとして地位を確立していたが、2010-11シーズンはリカルド・ガッローネ会長がアントニオ・カッサーノと喧嘩となり、冬の移籍でカッサーノがミランに移籍し、ジャンパオロ・パッツィーニもインテルに移籍したこともあり、決定力不足が顕著に表れて18位となり8シーズンぶりにセリエBへの降格となった[1]。2011-12シーズンは6位になり、プレーオフでASヴァレーゼ1910に勝利してセリエA復帰を決めた。

2021年12月6日、クラブの会長であるマッシモ・フェレーロが経営面で関わっていた企業の詐欺破産、企業犯罪がカラブリア州のパオラ地検の捜査により、明らかにされ、同日に身柄を拘束された。事件発覚後、フェレーロ会長は辞任を表明し、クラブの首脳陣はクラブ経営権の譲渡を決めた[2]

2023年、賃金未払いなどの問題も表面化したうえに、シーズンを通して降格圏から抜け出せず4試合を残した状態で2010-11シーズン以来の12年ぶりとなるセリエB降格となった[3]

なお、2003-04シーズンには日本の柳沢敦、2020年1月からは吉田麻也が所属していた。

同じくジェノヴァを本拠地とする古豪ジェノアCFCとはライバル関係にあり、両クラブの対戦はデルビー・デッラ・ランテルナ灯台ダービー)と呼ばれる。

タイトル

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国内タイトル

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国際タイトル

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ユース

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過去の成績

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シーズン リーグ戦 コッパ・イタリア
ディビジョン 順位
1946-47 セリエA 38 14 8 16 56 52 36 11位
1947-48 38 13 10 17 68 63 36 14位
1948-49 38 16 9 13 74 63 41 5位
1949-50 38 13 7 18 62 70 33 13位
1950-51 38 12 9 17 51 76 33 12位
1951-52 38 16 9 13 48 40 41 7位
1952-53 34 9 13 12 37 43 31 12位
1953-54 34 11 12 11 38 40 34 8位
1954-55 34 11 12 11 54 44 34 9位
1955-56 34 12 11 11 51 54 35 7位
1956-57 34 12 11 11 59 56 35 7位
1957-58 34 9 12 13 54 62 30 14位 準々決勝敗退
1958-59 34 15 8 11 50 44 38 5位 ベスト16
1959-60 34 11 13 10 41 46 35 8位 ベスト16
1960-61 34 17 7 10 54 51 41 4位 準々決勝敗退
1961-62 34 9 12 13 32 40 30 10位 2回戦敗退
1962-63 34 11 8 15 41 50 30 11位 準々決勝敗退
1963-64 34 10 7 17 38 50 27 15位 2回戦敗退
1964-65 34 9 11 14 19 30 29 14位 2回戦敗退
1965-66 34 9 9 16 27 47 27 16位 1回戦敗退
1966-67 セリエB 38 20 14 4 47 19 54 1位 3回戦敗退
1967-68 セリエA 30 6 15 9 27 34 27 10位 1回戦敗退
1968-69 30 5 13 12 21 27 23 12位 GS敗退
1969-70 30 6 12 12 22 37 24 13位 GS敗退
1970-71 30 6 13 11 30 34 25 12位 GS敗退
1971-72 30 8 12 10 23 28 28 9位 GS敗退
1972-73 30 5 14 11 16 25 24 12位 GS敗退
1973-74 30 5 13 12 27 34 20 13位 GS敗退
1974-75 30 4 16 10 21 35 24 13位 GS敗退
1975-76 30 8 8 14 21 32 24 12位 2回戦敗退
1976-77 30 6 12 12 28 42 24 14位 GS敗退
1977-78 セリエB 38 12 14 12 41 37 38 8位 GS敗退
1978-79 38 9 18 11 37 39 36 9位 GS敗退
1979-80 38 10 21 7 33 27 41 7位 GS敗退
1980-81 38 11 21 6 39 33 43 5位 GS敗退
1981-81 38 17 13 8 41 25 47 3位 準決勝敗退
1982-83 セリエA 30 8 15 7 31 30 31 7位 GS敗退
1983-84 30 12 8 10 36 30 32 7位 準々決勝敗退
1984-85 30 12 13 5 36 21 37 4位 優勝
1985-86 30 8 11 11 27 25 27 11位 準優勝
1986-87 30 13 9 8 37 21 35 6位 1回戦敗退
1987-88 30 13 11 6 41 30 37 4位 優勝
1988-89 34 14 11 9 43 25 39 5位 優勝
1989-90 34 16 11 7 46 26 43 5位 3回戦敗退
1990-91 34 20 11 3 57 24 51 1位 準優勝
1991-92 34 11 16 7 38 31 38 6位 準決勝敗退
1992-93 34 12 12 10 50 48 36 7位 2回戦敗退
1993-94 34 18 8 8 64 39 44 3位 優勝
1994-95 34 13 11 10 51 37 50 8位 3回戦敗退
1995-96 34 14 10 10 59 47 52 8位 ベスト16
1996-97 34 14 11 9 60 46 53 6位 2回戦敗退
1997-98 34 13 9 12 52 55 48 9位 ベスト16
1998-99 34 9 10 15 38 55 37 16位 ベスト16
1999-00 セリエB 38 17 11 10 45 40 62 5位 2回戦敗退
2000-01 38 16 16 6 60 38 64 5位 ベスト16
2001-02 38 12 12 14 42 46 48 11位 ベスト16
2002-03 38 17 16 5 53 31 67 1位 ベスト16
2003-04 セリエA 34 11 13 10 40 42 46 8位 ベスト16
2004-05 38 17 10 11 42 29 61 5位 準々決勝敗退
2005-06 38 10 11 17 47 51 41 12位 準々決勝敗退
2006-07 38 13 10 15 44 48 49 9位 準決勝敗退
2007-08 38 17 9 12 56 46 60 6位 準々決勝敗退
2008-09 38 11 13 14 49 52 46 13位 準優勝
2009-10 38 19 10 9 49 41 67 4位 4回戦敗退
2010-11 38 8 12 18 33 49 36 18位 準々決勝敗退
2011-12 セリエB 42 17 16 9 53 34 67 6位 3回戦敗退
2012-13 セリエA 38 11 10 17 43 51 42 14位 3回戦敗退
2013-14 38 12 9 17 48 62 45 12位 ベスト16
2014-15 38 13 17 8 48 42 56 7位 ベスト16
2015-16 38 10 10 18 48 61 40 15位 ベスト16
2016-17 38 12 12 14 49 55 48 10位 ベスト16
2017-18 38 16 6 16 56 60 54 10位 ベスト16
2018-19 38 15 8 15 60 51 53 9位 ベスト16
2019-20 38 12 6 20 48 65 42 15位 4回戦敗退
2020-21 38 15 7 16 52 54 52 9位 4回戦敗退
2021-22 38 10 6 22 46 63 36 15位 ベスト16
2022-23 38 3 10 25 24 71 19 20位 ベスト16
2023-24 セリエB 38

欧州の成績

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歴代会長

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ローマ出身。サンプドリア黄金期を創出した会長。

サンプドリアにおけるこの会長の功績は絶大であり、2021年現在でもパオロの誕生日には肖像画弾幕がホームのマラッシに掲げられる。 1979年に自身が所有する船舶の一部を売却し、セリエBに低迷していたサンプドリアを買収。 1982年にセリエA昇格を成し遂げ、ボローニャより40億リラでロベルト・マンチーニを獲得。 1984年には当時代表でもコンビを組んでいたジャンルカ・ヴィアリを30億リラでクレモネーゼより獲得。 その後も積極的にクラブへ投資し、トニーニョ・セレーゾジャンルカ・パリュウカアッティリオ・ロンバルドなど優秀な選手を集める事に成功。

特にロベルト・マンチーニジャンルカ・ヴィアリはじめとする攻撃陣はセリエA随一といわれ、1980年度後半から1990年は数々のタイトルを奪取した。

そして1990-91のスクデットを頂点とする「サンプ・ドーロ」と呼ばれる黄金期を創出した。 1993年、持病の心臓病が悪化し逝去。 葬儀の際にパオロの棺をマンチーニをはじめとするサンプの選手達が運んだ映像はジェノバ市民のみならず多くの人の涙を誘った。

パオロ・マントバーニの息子。パオロの死後、会長に就任。

在任中はシニシャ・ミハイロヴィチクラレンス・セードルフクリスティアン・カランブーフアン・セバスティアン・ベロンなど、

優秀な選手を集めたもののクラブの財政状況の悪化から長く引き留めることはできなかった。 父パオロとは異なりクラブの財政悪化により財政優先のクラブ経営を優先させたため、優秀な選手は集めるもののチーム強化には至らなかった。 更にチームの象徴であるマンチーニとのマントバーニ一族との確執も表面化。 96-97シーズンを最後にマンチーニは、監督であったスヴェン=ゴラン・エリクソンとともにラツィオへ去った。 翌シーズン後もアリエル・オルテガヴィンチェンツォ・モンテッラなど優秀な選手を要したものの、チームとしてはうまく機能しなかった。 更に監督の解任-再任騒動などフロントの対応の不手際も露呈し、最終節を待たずにセリエBに陥落した。

そして3年後の2002年にクラブは深刻な経営危機に陥り、マントバーニ一族はクラブの経営から手を引いた。

ガッローネは石油精製業を経営するイタリア有数の大富豪であり、2002年財政破綻寸前のサンプドリアをマントバーニ一族より買収した。チームをセリエC1降格の危機より救い、ジュゼッペ・マロッタをGM(ジェネラル・マネージャー)に招聘、小規模予算ながら堅実かつ強力なチームづくりに成功した。2002-03シーズンにはワルテル・ノヴェッリーノ監督の下でセリエA昇格を果たした。

2009-10シーズンはルイジ・デルネーリ監督の下、ジャンパオロ・パッツィーニ、前任者ワルテル・マッツァーリ監督の下で再生を果たしたアントニオ・カッサーノの2トップが機能し、4位という大躍進を遂げ、UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11のプレーオフからの出場権を獲得した。

2010-11シーズンにはセリエB降格を経験し、2011-12シーズンは苦しみながらも途中就任したジュゼッペ・イアキーニ監督の下でプレーオフを経て、セリエA昇格を果たした。しかし晩年は、デルネーリ退任以降は相次ぐ監督解任と2012-13シーズンには昇格の功労者イアキーニを切り、インテルを率いた経験を持つラファエル・ベニテス招聘を検討するなど、一貫性のないチーム作りが露呈しまう結果となった。

2013年1月21日、癌により76歳で死去。

元サンプドリアの選手でサンプドリア黄金期のメンバーの一人である[4]

現所属メンバー

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セリエB 2023-24シーズン 開幕フォーメーション

2023年8月11日現在[5]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK セルビア フィリップ・スタンコビッチ
2 DF イタリア ルイジ・アキーノ
3 DF イタリア アントニオ・バッレーカ
4 MF イングランド ロナウド・ヴィエイラ
5 MF ノルウェー クリストファー・アスキルドセン
6 MF イタリア シモーネ・パナダ
9 FW イタリア マヌエル・デ・ルカ
10 MF イタリア ヴァレリオ・ヴェッレ
11 FW スペイン エスタニス・ペドロラ
13 DF イタリア アンドレア・コンティ
14 FW イタリア マッテオ・ストッパ
16 FW イタリア ファビオ・ボリーニ
17 MF イタリア ロレンツォ・マラグリダ
18 FW イタリア ロレンツォ・ディ・ステファノ
20 FW イタリア アントニーノ・ラ・グミーナ
21 DF イタリア シモーネ・ジョルダーノ
No. Pos. 選手名
22 GK イタリア ニコーラ・ラヴァーリア
23 DF イタリア ファビオ・デパーオリ
24 DF ポーランド バルトシュ・ベレシンスキ
25 DF イタリア アレックス・フェッラーリ
28 MF スペイン ジェラール・イエペス
29 DF イタリア ニコラ・ムッル
30 MF イタリア マッティア・ヴィターレ
36 MF イタリア フラヴィオ・パオレッティ
37 MF アルジェリア メディ・レリス ()
77 MF イタリア マルコ・デッレ・モナチェ
80 MF イタリア レオナルド・ベネデッティ
87 DF イタリア ダニエレ・ギラルディ
-- DF イタリア ロレンツォ・カンパネル
-- MF イタリア マッテオ・リッチ
-- MF イタリア ステファノ・ジレッリ
-- MF イタリア マルコ・ボンテンピ

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍選手

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in 注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK セルビア フィリップ・スタンコビッチ (インテル)
6 MF イタリア シモーネ・パナダ (アタランタ)
No. Pos. 選手名
11 FW スペイン エスタニス・ペドロラ (バルセロナ)
87 DF イタリア ダニエレ・ギラルディ (ヴェローナ)

out 注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- GK イタリア エミル・アウデロ (インテル)
-- DF アルバニア エルティオン・ゲガ (アレッサンドリア)
No. Pos. 選手名
-- FW イタリア エリク・ゲルビ (ルメザン)

歴代監督

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歴代所属選手

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注釈

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  1. ^ 内部分裂で降格のサンプドリア 会長息子 チーム運営の失敗認める(2011年5月17日スポーツニッポンより) 2011年5月22日閲覧
  2. ^ サンプドリア、会長が詐欺などで逮捕。混乱の中で前進できるのか”. footbalista (2021年12月11日). 2021年12月13日閲覧。
  3. ^ La Samp perde a Udine, la retrocessione è matematica” (イタリア語). U.C. Sampdoria (2023年5月8日). 2023年5月10日閲覧。
  4. ^ Sampdoria, Marco Lanna è il nuovo presidente: "Ho il cuore blucerchiato”. SKYSPORTS (2021年12月27日). 2023年4月26日閲覧。
  5. ^ Prima squadra” (イタリア語). U.C. Sampdoria. 2022年1月17日閲覧。

外部リンク

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