サヴァタージ
サヴァタージ Savatage | |
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ドイツ・ヴァッケン公演 (2015年7月) | |
基本情報 | |
別名 | Avatar (1978-1983) |
出身地 | アメリカ合衆国 フロリダ州 |
ジャンル | ヘヴィメタル パワーメタル プログレッシブ・メタル |
活動期間 | 1978年 - 2002年 2014年 - 現在 |
レーベル | Par Records コンバット・レコード アトランティック・レコード ニュークリア・ブラスト |
共同作業者 | ポール・オニール トランス・シベリアン・オーケストラ |
公式サイト | www.savatage.com |
メンバー | ジョン・オリヴァ(Key/Vo) ザッカリー・スティーヴンス(Vo) アル・ピトレリ(G) クリス・キャファリー(G) ジョニー・リー・ミドルトン(B) ジェフ・プレイト(Ds) |
旧メンバー | 以下を参照 |
サヴァタージ(Savatage)は、アメリカ合衆国フロリダ州で結成されたヘヴィメタル・バンド。
ジョン・オリヴァ(Key/Vo)とクリス・オリヴァ(G)の兄弟を中心に結成され、1983年にデビュー。
来歴
[編集]結成〜デビュー
[編集]1978年、オリヴァ兄弟を中心としてサヴァタージの前身バンドであるアヴァター(Avatar)が結成された。その後スティーヴ・ワコルズ(Ds)が加入、1981年にはキース・コリンズ(B)が加入してラインナップが固まった。
アヴァターは、1982年に地元フロリダ州のラジオ局WYNFが発売したコンピレーション・アルバムに2曲を提供し、1983年にはデビューEP「City Beneath the Surface」を発表した[1]。しかし、同名のバンドがいたことから、アヴァターは「サヴァタージ」と改名し、デビュー・アルバム『サイレンズ』を発表。
1984年〜1993年
[編集]1984年、サヴァタージはメジャー・レーベルであるアトランティック・レコードとの契約を果たし、1985年にはマックス・ノーマンのプロデュースによる移籍第1弾アルバム『パワー・オブ・ザ・ナイト』を発表した。
キース(B)の脱退、ジョニー・リー・ミドルトン(B)の加入を経て、アルバム『ファイト・フォー・ザ・ロック』(1986年)を発表すると、サヴァタージのアルバムとしては初めてBillboard 200へのチャート・インを果たし、最高158位に達した[2]。しかし、同作はアトランティック・レコードからの圧力により商業的な内容となった作品で、ジョンは1994年に「自分もバンドもこのアルバムを好きだったことはない」とコメントしている[3]。同年にはモーターヘッドのオープニング・アクトとして初のヨーロッパ・ツアーを行った[1]。
1987年のアルバム『ホール・オブ・ザ・マウンテン・キング』のプロデュースを担当したポール・オニールは、その後も長年に渡ってサヴァタージとの共同作業を続けていくこととなる。同作に伴うツアーからクリス・キャファリー(G)が加入し、サヴァタージは5人編成となった。
『ガター・バレエ』(1989年)では、ジョンはピアノを多用するようになり、バンドの音楽性はプログレッシブ・メタル色が強まっていく。その後キャファリー(G)が脱退し、バンドは再び4人編成となって、初のロック・オペラ作品『ストリーツ・ア・ロック・オペラ』(1991年)を発表。
同作に伴うツアーが終了すると、ジョンはボーカリストとしての活動を休止することにして、新ボーカリストのザッカリー・スティーヴンスが加入。ジョンは作曲やキーボード演奏で引き続きバンドに籍を置き、1993年にはザッカリー(Vo)在籍時としては第1弾となるアルバム『エッジ・オブ・ソーンズ』発表。タイトル曲は、シングルとして『ビルボード』誌のメインストリーム・ロック・チャートで26位に達した[2]。
しかし、同年10月17日、クリス・オリヴァ(G)が交通事故で死去する。クリスの墓石には、『ストリーツ・ア・ロック・オペラ』収録曲「ビリーヴ」の歌詞の一節が刻まれた[4]。
1994年〜活動停止
[編集]ジョンはバンドの継続を決意し、新たなリード・ギタリストとして元テスタメントのアレックス・スコルニックを迎え、『ハンドフル・オブ・レイン』(1994年)を発表。レコーディング時には、まだサヴァタージがバンドとして機能していなかったため、実際の録音はジョン(Key)、アレックス(G)、ザッカリー(Vo)の3人だけで行われた[5]。収録曲「チャンス」は、日本人外交官の杉原千畝をテーマとしている。同作に伴うツアーではジョニー(B)が復帰し、新たにジェフ・プレイト(Ds)が加入した。日本公演の模様はライヴ・アルバム『ジャパン・ライヴ'94』として発表された。
アレックス(G)はツアー終了後にサヴァタージを脱退し、キャファリー(G)が復帰したのに加えてアル・ピトレリ(G)も加入し、バンドは6人編成となった。アル在籍時としては第1弾のアルバム『デッド・ウィンター・デッド』(1995年)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を題材としたコンセプト・アルバムで、ジョンも一部楽曲でリード・ボーカルを担当している。また、クリス(G)存命時のライヴ音源を収録した追悼盤『ゴースト・イン・ザ・ルーインズ (トリビュート・トゥ・クリス・オリヴァ)[6] 』もリリースされた。
1996年、盟友ポール・オニールがトランス・シベリアン・オーケストラ(TOS)というプロジェクトを立ち上げ、クリスマス・アルバム『Christmas Eve and Other Stories』を発表。同作にはサヴァタージの全メンバーが参加し、彼らは以後、サヴァタージとしての活動とトランス・シベリアン・オーケストラとしての活動を並行させていく。アルバム『ウェイク・オブ・マゼラン』(1997年)は、前作と同じ6人編成で制作され、ドイツのポップ・チャートで11位に達した[1]。
2000年にザッカリー(Vo)がバンドを脱退し、アル(G)もメガデスに引き抜かれる。ケビン・カーターをモチーフにしたコンセプト・アルバム『ポエッツ・アンド・マッドメン』(2001年)は、10年ぶりにジョンが全曲のリード・ボーカルを担当する形のアルバムとなった。同作に伴うツアーは、デイモンド・ジニヤ(Vo)とジャック・フロスト(G)を加えた編成で行われた[1]。なお、2002年にメガデスが一度解散してからは、アルは再びサヴァタージやトランス・シベリアン・オーケストラで活動している[7]。
2002年以降、バンドとしては表立った活動は行わなかったが、ジョンを中心としたサヴァタージのメンバーは、トランス・シベリアン・オーケストラのレコーディングやツアーで活動を共にしてきた。
活動再開以降
[編集]2014年、長い沈黙を経てようやく、バンドが本格的に活動を再開することが発表され、これに伴い、2000年に脱退していたザッカリー(Vo)とアル(G)の2人の復帰も発表された。2015年にライブ活動を再開し、トランス・シベリアン・オーケストラ(TOS)と再共演[8]。
メンバー
[編集]現メンバー
[編集]- ジョン・オリヴァ Jon Oliva - キーボード/ボーカル (1978年 - )
- ザッカリー・スティーヴンス Zachary Stevens - ボーカル (1993年 - 2000年, 2014年 - )
- アル・ピトレリ Al Pitrelli - ギター (1995年 - 2000年, 2002年 - )
- クリス・キャファリー Chris Caffery - ギター (1987年 - 1990年、1995年 - )
- ジョニー・リー・ミドルトン Johnny Lee Middleton - ベース (1985年 - )
- ジェフ・プレイト Jeff Plate - ドラムス (1994年 - )
旧メンバー
[編集]- クリス・オリヴァ Criss Oliva - ギター (1978年 - 1993年) R.I.P.
- キース・コリンズ Keith Collins - ベース (1981年 – 1985年)
- スティーヴ・ワコルズ Steve "Doc" Wacholz - ドラムス (1980年 - 1993年)
- アレックス・スコルニック Alex Skolnick - ギター (1994年)
- デイモンド・ジニヤ Damond Jiniya - ボーカル (2001年 - 2002年、ツアーのみ)
- ジャック・フロスト Jack Frost - ギター (2001年 - 2002年、ツアーのみ)
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- サイレンズ - Sirens(1983年)
- ダンジョンズ・アー・コーリング - The Dungeons Are Calling (1985年、ミニ・アルバム)
- パワー・オブ・ザ・ナイト - Power of the Night (1985年)
- ファイト・フォー・ザ・ロック - Fight for the Rock (1986年)
- ホール・オブ・ザ・マウンテン・キング - Hall of the Mountain King (1987年)
- ガター・バレエ - Gutter Ballet (1989年)
- ストリーツ・ア・ロック・オペラ - Streets: A Rock Opera (1991年)
- エッジ・オブ・ソーンズ - Edge of Thorns (1993年)
- ハンドフル・オブ・レイン - Handful of Rain (1994年)
- デッド・ウィンター・デッド - Dead Winter Dead (1995年)
- ウェイク・オブ・マゼラン - The Wake of Magellan (1997年)
- ポエッツ・アンド・マッドメン - Poets and Madmen (2001年)
ライヴ・アルバム
[編集]- ジャパン・ライヴ'94 - Japan Live '94 (1995年)
- ゴースト・イン・ザ・ルーインズ (トリビュート・トゥ・クリス・オリヴァ) - Ghost in the Ruins -Tribute to Christopher Michael Oliva- (1995年)
コンピレーション・アルバム
[編集]- From the Gutter to the Stage (1995年)
- ベスト・アンド・レスト - The Best and the Rest (1997年)
- ビリーヴ - Believe (1998年)
- Still the Orchestra Plays: Greatest Hits Vol.1 & 2 (2010年)
脚注
[編集]- ^ a b c d Savatage(サヴァタージ公式サイト内history、2009年12月24日閲覧)
- ^ a b “Savatage - Awards”. AllMusic. 2015年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月17日閲覧。
- ^ FAQ2(サヴァタージ公式サイト内、2009年12月24日閲覧)
- ^ FAQ1(サヴァタージ公式サイト内、2009年12月24日閲覧)
- ^ FAQ3(サヴァタージ公式サイト内、2009年12月24日閲覧)
- ^ 日本盤のオリジナル・タイトルは『ファイナル・ベル』
- ^ アル・ピトレリのバイオグラフィ(サヴァタージ公式サイト内、2009年12月24日閲覧)
- ^ サヴァタージが13年ぶりに再結成、<Wacken Open Air festival 2015>で復活ライヴを開催 - amass