ザールルイ
紋章 | 地図 (州の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | ザールラント州 |
行政管区: | |
郡: | ザールルイ郡 |
緯度経度: | 北緯49度19分00秒 東経06度45分00秒 / 北緯49.31667度 東経6.75000度 |
標高: | 海抜 181 m |
面積: | 43.27 km2 |
人口: | 34,445人(2021年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 796 人/km2 |
郵便番号: | 66740(旧: 6630) |
市外局番: | 06831 |
ナンバープレート: | SLS |
自治体コード: | 10 0 44 115 |
市の構成: | 8 市区 |
市庁舎の住所: | Großer Markt 1 66740 Saarlouis |
ウェブサイト: | www.saarlouis.de |
市長: | ローラント・ヘンツ (Roland Henz) |
ザールルイ(ドイツ語: Saarlouis)は、ドイツザールラント州・ザールルイ郡の都市。ザール川沿いにあり、1680年に要塞として建設された。フランス王ルイ14世にちなんで名付けられた。フランス語読みではサールルイ(フランス語: Sarrelouis)。
歴史
[編集]1678年から1679年にかけてのナイメーヘンの和約により、ロレーヌ地方(ロートリンゲン地方)はフランスに帰した。1680年、ルイ14世はザール川右岸に防衛施設を建設するよう命令を下し、これをサールルイと呼んだ(新たに獲得したフランス領ザールを守るため)。フランスの高名な軍事技師ヴォーバンは、市とそれを取り囲む稜堡式要塞を建設した。その都市計画は、初代知事となったトマ・ド・ショワジーが担当した。
1683年、ルイ14世は要塞を訪れ、紋章を授けた。紋章には、朝日と3つのフルール・ド・リス(Fleur-de-lis)が描かれている。都市のモットーはDissipat Atque Fovet(太陽は雲と大地の熱を四散させる)である。
1697年、レイスウェイク条約により、ロレーヌの大部分がフランスから再度独立した。しかし、サールルイとその周辺地帯はフランスの飛び地として残った。
フランス革命の最中、王の名を冠した名を革命政府が嫌い、町はサール=リーブル(Sarre-Libre、Libreは自由の意)と改名されたが、1810年に再びサールルイの名に戻された。1815年のパリ条約により、サールルイ(地域全体はのちにザールゲビートSaargebietとして知られるようになる)はプロイセン王国領となった。
第一次世界大戦後、フランス軍がサールルイを占領した。ザール地方は、15年に渡り国際連盟の管理地域となった(ザール (国際連盟管理地域))。1933年、相当な人数の反ナチス・ドイツ人がザールへ逃げ込んだ。そこはドイツでありながら、唯一第三帝国の支配が及ばない地域であった。その結果、反ナチス・グループは、ヒトラーのドイツ支配と同様の長い期間、国際連盟保護下のザールラントで盛んに活動を続けたのである。しかし、フランスに対する長い間の愛着が浸食され、表だって親フランスである者は少数であった。15年間の管理時代が終わり、フランスへの帰属の是非を問う住民投票が1935年1月13日にザールラントで行われた。その結果、90.3%がドイツ帰属に賛成した。
1936年から1945年、ザールルイはザールラウテルン(Saarlautern、ラウテルンとはドイツ語で「町村」を示す言葉に通常使われる)と改名していた。これは、ナチスによる市名のドイツ語化の試みであった。
第二次世界大戦後、ザールラントと呼ばれていた地域は、再度フランスに占領された。1955年に住民投票が行われ、ザールラント州住民の多くがフランス支配からの解放、そしてドイツ連邦共和国への再編入を決定した。1957年1月1日、こうして西ドイツに10番目の州が誕生したのである。
1980年、ザールルイは市建設300周年を祝った。
要塞
[編集]今日ですら、17世紀の防衛施設(星形要塞)は市の6角形のかたちをした市街図の周囲を占めている。ヴォーバンによってつくられた建物に並行して、プロイセンがザールルイを獲得してから建てられた19世紀からの建物も一部見られる。1887年以降、要塞の一部は手入れされなくなった。しかし、砲郭、わずかな兵舎、司令官室のある大マルクト、ヴォーバン島、ミシェル・ネイを記念した元半月塁などが、今日も見られる。
経済とインフラストラクチャー
[編集]ザールルイは、鉄鋼生産、鉱物採掘業の生産地と近接していることで有名である。現在、フォード・モーターは市最大の雇用主で、フォード・フォーカス、フォードC-マックスを生産している。2009年度からはFord Kugaの生産が始まる。郊外のローダーベルクにあるフォード工場は、世界中にあるフォード工場の中で能率的なものの一つである。
ザールルイ=ローデンにある工業港は、ドイツ第8位の大規模内陸港である。
市はフランスから車でわずか20分の距離にある。そしてルクセンブルク市からは45分の距離である。州都ザールブリュッケンとはアウトバーンBundesautobahn 620でつながり、ルクセンブルクとはBundesautobahn 8でつながっている。
姉妹都市
[編集]著名な出身者
[編集]- ミシェル・ネイ - フランス元帥、ナポレオン側近の一人
- パウル・フォン・レットウ=フォルベック - 陸軍少将
- オットー・シュニーヴィント - 海軍上級大将
- オスカー・ラフォンテーヌ - 政治家、元ドイツ社会民主党(SPD)党首、ゲアハルト・シュレーダー政権蔵相
- フロリアン・ミュラー - サッカー選手
ギャラリー
[編集]- ドイツ門
- 砲郭
- 司令官執務室と大マルクト
- ヴォーバン島とミシェル・ネイ記念碑
- 市庁舎
- 第6兵舎(現在は博物館と公立図書館)
- フランス通り(Französische Straße)、現在は遊歩道
- ミシェル・ネイ生誕地、現在はイタリア料理レストラン
- 地理上のザールルイの中心を示す印
引用
[編集]外部リンク
[編集]- City of Saarlouis
- Fire Brigade of Saarlouis (Saarlouis has one of the oldest Volunteer fire departments of Germany)