シンコーミュージック・エンタテイメント

株式会社シンコーミュージック・エンタテイメント
SHINKO MUSIC ENTERTAINMENT CO., LTD.
種類 株式会社
略称 シンコーミュージック(旧社名)
本社所在地 日本の旗 日本
101-8475
東京都千代田区神田小川町二丁目1番
シンコーミュージック・プラザビル
設立 1950年(昭和25年)10月4日
(株式会社新興音楽出版社として設立)
業種 情報・通信業
法人番号 6010001019999 ウィキデータを編集
事業内容 雑誌・書籍発行事業、著作権管理事業、アーチストマネジメント事業など
代表者 代表取締役社長:草野夏矢
資本金 4億2000万円(2007年3月31日現在)
売上高 21億円(2022年3月期実績)
純利益 ▲1690万5000円
(2021年03月31日時点)[1]
総資産 41億7008万4000円
(2021年03月31日時点)[1]
従業員数 85人(2022年4月現在)
決算期 毎年3月31日
関係する人物 草野昌一チューリップ甲斐バンドレベッカプリンセス・プリンセス
外部リンク www.shinko-music.co.jp ウィキデータを編集
テンプレートを表示

株式会社シンコーミュージック・エンタテイメントは、日本出版社。音楽を中心とした雑誌・書籍の発行、楽譜出版、楽曲の著作権管理、アーティストマネジメントなどを業務としている。

ポピュラー音楽を取り上げる出版ではさきがけであり、「ミュージック・ライフ」はロック、「BURRN!」はヘヴィメタルを取り上げた雑誌の先行誌である。また、「blast」は日本唯一のヒップホップ専門誌であった。(blastに代わりWoofin'がB-boyの服装を専門にファッション&音楽の雑誌としてヒップホップ系の流れを継承している)

歴史

[編集]
1932年1月20日
草野貞二が「新興音楽出版社」創業。ピアノ楽譜出版から出発。
1938年
「歌の花籠」創刊。
1942年
第1次統合により音楽雑誌『国民の音楽』創刊。

   「歌の花籠」「ハーモニカの友」「アコーディオン」「ハーモニカ研究」の四大雑誌を用紙統制令に基づき統合し、国民音楽社の名前で出版。

1943年
「国民の音楽」終刊。
1946年
ミュージック・ライフ」を創刊し、その後休刊。
1950年
株式会社改組
1951年
「Music Life」復刊。
1959年
海外音楽著作権のサブ・パブリッシャーとしての業務を開始。
1965年
「ML」8月号で、日本のメディアとしては初めてビートルズにインタビューを行う[2]。その後「ML」はビートルズ初来日時をピークに、記録的な売上を上げる。
1969年
YOUNG GUITAR」創刊。
1977年
「ROCK SHOW」創刊。
1983年
社名を「シンコー・ミュージック」に改称。
1984年
BURRN!」創刊。
1985年
バックステージ・パス」創刊。
1988年
クロスビート」創刊。
1989年
月刊ギグス」創刊。
1991年
社員の酒井康が子会社『バーン・コーポレーション』を設立。
1993年
音楽と人」創刊。
1997年
WOOFIN'」創刊。
1998年
「ML」休刊。
2004年
社名を「シンコーミュージック・エンタテイメント」に改称。
2007年3月
blast」休刊。
2013年9月
『バーン・コーポレーション』閉鎖。

出版状況

[編集]

雑誌(定期刊行物)

[編集]
発行中の雑誌
  • YOUNG GUITAR
  • B-PASS
  • BURRN!」(1991年から2013年まで発行はバーン・コーポレーションだったが、2013年11月号でシンコー本体に移っている)
  • 新曲歌謡ヒット速報」 - 旧誌名は「新曲レコード速報」、第38号から発行元がブレンデュースに移行し、シンコーミュージックは販売元[3]
  • 「シンコー・ミュージック・ムック」
    • レーベル内レーベルとして、「THE DIG」「ロックジェット」「MASSIVE」「ヘドバン」など。
休刊した主な雑誌
過去に販売を請け負っていた雑誌

書籍

[編集]

アーティスト本、教則本、写真集、生活実用書を発行。

楽譜

[編集]

ビートルズ関連は過去、大量に出版されていたが、その著作権原盤管理の移行とともに、ほぼ無くなる。 現在は邦楽の楽譜が大量に出版され、出版業務の屋台骨を支えている。

シンコーミュージック・エンタテイメント iPhone・iPad・電子書籍

[編集]
  • ロックの名言

その他

[編集]

前社長・草野昌一は、「漣健児」のペンネームでカバーポップスの訳詞を手掛け、代表作「可愛いベイビー」「ヴァケイション」「すてきなタイミング」「ルイジアナ・ママ」など約400曲の作品を遺した。

2004年にはフジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)とフジパシフィック音楽出版が設立した任意組合「フジ・ミュージックパートナーズ」に洋楽出版部門の営業を譲渡している[4]。またそれに伴い、音楽出版業務を扱う子会社であるシンコーミュージック・パブリッシャーズの全株式もフジ・ミュージックパートナーズに譲渡している。

かっては、音楽プロダクション機能も有し、ピーター・バラカンチューリッププリンセス・プリンセス甲斐バンド斉藤和義本田恭章THE WILLARDらが在籍していた。

脚注

[編集]
  1. ^ a b 株式会社シンコーミュージック・エンタテイメント 第76期決算公告
  2. ^ 篠原章『日本ロック雑誌クロニクル』太田出版、2005年、56-67頁。ISBN 4-87233-897-9 
  3. ^ 新曲歌謡ヒット速報 | 書誌詳細”. 国立国会図書館オンライン. 2023年5月16日閲覧。詳細書誌情報の「継続前誌」欄、「出版事項」欄、および「出版者変遷」欄をそれぞれ参照。
  4. ^ Musicman編集部 (2004年11月11日). “フジテレビ、フジパシフィック音楽出版「フジ・ミュージックパートナーズ」設立〜シンコーミュージック・グループ保有の洋楽音楽出版事業営業を譲受”. Musicman-NET. エフ・ビー・コミュニケーションズ株式会社. 2007年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月14日閲覧。

外部リンク

[編集]