ジグミ・ワンチュク
ジグミ・ワンチュク | |
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ブータン龍王 | |
ジグミ・ワンチュク(1926年) | |
在位 | 1926年8月21日 - 1952年3月30日 |
戴冠式 | 1927年3月16日 |
全名 | ジグミ・ワンチュク |
出生 | 1905年 |
死去 | 1952年3月30日 |
配偶者 | プンツォ・チョデン |
ペマ・デチェン | |
王朝 | ワンチュク朝 |
父親 | ウゲン・ワンチュク |
母親 | アシ・ツェンデュ・ラモ |
宗教 | チベット仏教 |
ジグメ・ワンチュク(ゾンカ語: , ラテン文字転写: Jigme Wangchuk, ワイリー方式: 'Jigs med dBang pyug)は第2代ブータン国王。
生涯
[編集]1905年 、父ウゲン・ワンチュクと母アシ・ツェンデュ・ラモの間に長男として誕生。1921年、17歳でトンサ・ドニェに親任され、18歳でブムタンのワンデュチョリン宮殿のアシ・プンツォ・チョデンと成婚し、1926年に21歳の若さで即位した。
1933年には大英博物館の植物学者2人にブータン東部への入域を許可するなど、鎖国政策を緩和し、1947年にはニューデリーで開かれたアジア関係会議への参加、1948年にはインドの独立に伴う対ブータン関係協議のために代表団を派遣した。 ブータン・インド両国はプナカ条約を継承するかたちで1949年8月8日にダージリンでインド・ブータン条約に調印した。この条約には「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」という文言も継承されたため、ブータンはインドとの特殊な依存関係を構築することになった。後に両国関係は経済発展関係へも拡大した。