ステートジャガー

ステートジャガー
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1981年4月27日
死没 不明(1997年9月以降)
サンシャインボーイ
センゾクチカラ
母の父 アイアンリージ
生国 日本の旗 日本北海道新冠郡新冠町
生産者 八木常郎
馬主 安西茂人
→佐橋五十雄
→(株)ホースメンC
→近藤俊典
調教師 岡部猛(大井
→大倉護(笠松
中村好夫栗東
鈴木勝太郎美浦
→飯塚好次(美浦)
競走成績
生涯成績 16戦9勝
地方競馬13戦8勝)
中央競馬3戦1勝)
獲得賞金 1億3403万6400円
勝ち鞍
GII サンケイ大阪杯 1985年
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ステートジャガー(地方競馬時代の表記はステートジヤガー)は日本競走馬。おもな勝ち鞍は1985年サンケイ大阪杯。薬物による不正疑惑の渦中にあった馬としても知られている。

戦績

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当初は地方競馬南関東公営競馬でデビューし黒潮盃まで無傷の5連勝を果たすも、南関東三冠競走羽田盃東京ダービーではそれぞれ2着、3着とキングハイセイコーの後塵を拝した。そのあと笠松競馬場に移籍し、東海ゴールドカップを制するなど6戦3勝の成績を残した。

1985年古馬となって、中央競馬栗東トレーニングセンター)に移籍。移籍初戦となったのはマイラーズカップだった。前年の優駿社賞最優秀短距離馬ニホンピロウイナーのほか、ダイアナソロンシャダイソフィアといった新旧桜花賞優勝馬が出走するなどビッグネームが揃っていたが、ニホンピロウイナーから4分の3馬身差の2着に好走した。続くサンケイ大阪杯ではミスターシービーとの叩き合いをハナ差競り勝つという金星を挙げた[1][2]

天皇賞(春)を回避して臨んだ宝塚記念では、シンボリルドルフ出走を取り消したこともあり単勝1番人気に推された[3]が、第3コーナー過ぎからまくっていく積極的な競馬をみせるも最後の直線コースで伸びを欠き、4着に終わった[3]

ステートジャガー事件

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宝塚記念は単なる敗戦にとどまらなかった。競走後に行われたドーピング検査尿から禁止薬物であるカフェインが検出された[1][4]ため、一転失格、賞金没収[5]となったのである。競走前には、何者かからステートジャガーの薬物使用についての告発がなされていたとも報じられた[5]

この一件は「ステートジャガー事件」と呼ばれ、警察による捜査が行われ、騎手田原成貴にも事情聴取を実施したが犯人は特定されず、真相は藪の中であった[5]。結局、管理調教師中村好夫が管理責任を問われた形で日本中央競馬会によって6か月間の調教停止処分を科された[6][5]

事件後にも高松宮杯への出走が予定されていたが、ドーピング疑惑のある競走馬を出走させることに対する批判が起こったため、予定は取り消された[7][8]。その後美浦トレーニングセンターに転厩したが、脚部の故障で約2年間一走もできないまま引退に追い込まれた。

引退後

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引退後は地方競馬時代の馬主であった佐橋五十雄が引き取り[9]種牡馬となるも、地味な血統GI級競走優勝のない競走成績、薬物疑惑とあっては種付け頭数が増えようもなく、目立った活躍馬を出せないまま廃用。佐橋の計らいにより[9]愛知県にある乗馬クラブに預けられる[9][10]。ところが、残されたわずかな産駒から1993年にステートジョージが高崎競馬場で北関東菊花賞を勝ち、翌1994年にはメルシーステージが中央競馬で重賞を2勝するという活躍を見せる。これを受け、極めて大人しい性格であったため、乗馬となりながらも去勢されていなかったステートジャガーは、優駿スタリオンステーション社長・村田繁實の働きかけにより、奇跡的に種牡馬復帰の運びとなった[11]。しかし種付け数は伸び悩み、復帰初年度の産駒(1995年産)の血統登録頭数は7にとどまり[12]、新たな活躍馬を生み出すことはできなかった[13]

1995年、種付け中に負傷し骨折したカウンテスアップの代役として青森県八戸市にあるワールドファームに移った[14]が、1997年にふたたび供用停止となり、その後の転売先は不明となっている[15]

血統表

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ステートジャガー血統テスコボーイ系 / Bull Dog (Sir Gallahad) 4×5=9.38%) (血統表の出典)

サンシャインボーイ
1974 栃栗毛
父の父
*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
父の母
*ソーダストリーム
Soda Stream
1953 栃栗毛
Airbone Precipitation
Bouaquet
Pangani Fair Trial
Clovelly

センゾクチカラ
1971 鹿毛
*アイアンリージ
Iron Liege
1954 鹿毛
Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Iron Maiden War Admiral
Betty Derr
母の母
ハナコノミ
1965 鹿毛
カネチカラ *ゲイタイム
保友
ロンドンミドリ ミツハタ
マルミドリ F-No.6
兄弟・近親

脚注

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  1. ^ a b 『優駿』1995年8月号、p.99
  2. ^ 心に残る名勝負・名場面「ステートジャガー VS ミスターシービー 愛されて、優駿」”. 日本中央競馬会. 2011年5月1日閲覧。
  3. ^ a b 競走成績 第26回 宝塚記念(GI)”. データファイル. 日本中央競馬会. 2012年3月14日閲覧。
  4. ^ #木村1998、p.142
  5. ^ a b c d #木村1998、p.143
  6. ^ 「ニュース&インフォメーション『ステートジャガー薬物事件に裁定下る』」『優駿』、日本中央競馬会、1986年6月、176頁。 
  7. ^ 『優駿』1995年8月号、pp.99-100
  8. ^ #木村1998、p.144
  9. ^ a b c 『優駿』1995年8月号、p.98
  10. ^ 松永郁子『名馬は劇的に生きる』(2000年、講談社。ISBN 978-4062102803)p.253
  11. ^ 『優駿』1995年8月号、pp.98-99
  12. ^ 『名馬は劇的に生きる』p.258
  13. ^ 種牡馬情報:種牡馬成績 |ステートジヤガー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年5月22日閲覧。
  14. ^ 『優駿』1995年8月号、pp.101-102
  15. ^ 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル”. web.archive.org (2022年5月22日). 2022年5月22日閲覧。

参考文献

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  • 木村光男「ステートジャガー薬物疑惑事件」『競馬事件簿』ラジオたんぱ、1998年、140-146頁。ISBN 4931367380 
  • 畠山直毅「競作ノンフィクション・シリーズ 流浪の馬と呼ばれて」『優駿』、日本中央競馬会、1995年8月、97-102頁。 

外部リンク

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