ストーン・ジョンソン
| ||||
---|---|---|---|---|
先頭を走るストーン・ジョンソン(1960年) | ||||
選手情報 | ||||
フルネーム | ストーンウォール・エドワード・ジョンソン | |||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||
種目 | 短距離走 | |||
所属 | グランブリング州立大学 | |||
生年月日 | 1940年4月26日 | |||
生誕地 | アメリカ合衆国テキサス州ダラス | |||
没年月日 | 1963年9月8日(23歳没) | |||
死没地 | アメリカ合衆国カンザス州ウィチタ | |||
身長 | 188cm | |||
体重 | 79kg | |||
自己ベスト | 100m:10秒2(1960年) 200m:20秒5(1960年) | |||
編集 |
ストーン・ジョンソン(Stonewall Edward Johnson、1940年4月26日 - 1963年9月8日)は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手、アメリカンフットボール選手である。
経歴
[編集]ルイジアナ州のグランブリング州立大学に在学中だった1960年に、ローマオリンピックのアメリカ国内最終予選に出場して、200メートル走の準決勝で当時の世界記録に並ぶ20秒5の記録を出した。決勝ではレイ・ノートンに続いて2位となり、オリンピック代表に選出された。
ローマオリンピックでは200メートル走と4×100mリレーに出場した。200メートル走では決勝まで進んで5位となった[1]。4×100mリレーでは、第3走者を任されて決勝まで勝ち進んだ。アメリカ代表チームは決勝で39秒60(電気計時)の記録を出して1位となったものの、第1走者と第2走者がリレーゾーン外でバトンパスを行ってしまったために失格となった[2]。
その他の大会では、1960年に開催されたNCAA競技会の200メートル走で2位に入った実績がある。
1963年、カンザスシティ・チーフス[3] にランニングバックとして入団した。しかし、同年8月30日に開催されたオークランド・レイダースとのプレシーズンマッチ中に頚椎を骨折し、9月8日に死去した。ジョンソンはAFLの公式戦に出場することはできなかったが、彼の背番号33番はカンザスシティ・チーフスの永久欠番となった[4]。
脚注
[編集]- ^ Athletics at the 1960 Roma Summer Games:Men's 200 metres[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2010年11月27日閲覧
- ^ Athletics at the 1960 Roma Summer Games:Men's 4 × 100 metres Relay[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2010年11月27日閲覧
- ^ カンザスシティ・チーフスは、1960年のチーム発足から1969年のNFLとのリーグ統合までAFLに加盟していた。
- ^ Kansas City Chiefs Hall of Fame(インターネットアーカイヴ) 2010年11月27日閲覧
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ストーン・ジョンソン - Olympedia
- Stone Johnson, Gone But Not Forgotten