ソロモン・ミホエルス
ソロモン・ミハイロヴィチ・ミホエルス ロシア語: Соломон Михайлович Михоэлс | |
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本名 | シュロイメ・ヴォーフシ Шло́ймэ Во́вси |
生年月日 | 1890年3月4日 |
没年月日 | 1948年1月13日(57歳没) |
出生地 | ロシア帝国、ダウガフピルス |
死没地 | ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
国籍 | ソビエト連邦 |
ソロモン・ミハイロヴィチ・ミホエルス(ロシア語: Соломо́н Миха́йлович Михо́элс, 1890年3月4日 - 1948年1月13日)は、ソ連の舞台監督、俳優。ソ連人民芸術家。ユダヤ人反ファシスト委員会(EAK)議長。本名は、シュロイメ・ヴォーフシ(Шло́ймэ Во́вси)。
経歴
[編集]1919年から舞台に立つ。1925年、モスクワ国立ユダヤ人劇場を設立、1929年にその芸術指導官となった。ミホエルスの最も有名な役名は、リール(Кроль Лир)、牛乳屋(Тевье-молочник)だった。1941年、モスクワ劇場学校の教授。
1942年2月、「全世界のユダヤ人人民大衆のファシズムとの闘争への参加」のために創設されたユダヤ人反ファシスト委員会(EAK)の初代議長となった。同委員会には、ピョートル・カピッツァ、セルゲイ・エイゼンシュテイン、サムイル・マルシャーク、イリヤ・エレンブルグ等も参加した。全露劇場協会幹部会議員、芸術職員労働組合中央委員会委員。同時に国家保安機関の職員でもあった。
戦後、EAKの他のメンバーと共に、イスラエル建国に関する情報を収集した。しかし、情報は誤っており、ソ連の軍事援助を得たイスラエルには、親米政権が誕生した。この後、EAKは解散され、その指導者達は弾圧された。ミホエルスは、舞台評論家のV.ゴルベフ=ポタポフと共に、ソビエト連邦国家保安省のエージェントにより事故を装って暗殺された。