ティボー5世 (ブロワ伯)
ティボー5世 Thibaut V | |
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ブロワ伯 | |
アッコ攻囲戦 | |
在位 | 1152年 - 1191年 |
出生 | 1130年 |
死去 | 1191年1月20日 エルサレム王国、アッコン |
配偶者 | シビーユ・ド・シャトー=ルナール |
アリックス・ド・フランス | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ブロワ家 |
父親 | ブロワ伯ティボー4世 |
母親 | マティルド・ド・カランティ |
ティボー5世(Thibaut V de Blois, 1130年 - 1191年1月20日)は、ブロワ伯・シャルトル伯・シャトーダン伯(在位:1152年 - 1191年)。ブロワ伯ティボー4世と妃マティルド・ド・カランティの次男。ティボー善良伯(Thibaut le Bon)と呼ばれた。フランス王ルイ7世の3番目の王妃アデル・ド・シャンパーニュの次兄。シャンパーニュ伯アンリ1世は兄。
生涯
[編集]中世ユダヤ史資料によれば、1171年に起きたヨーロッパ大陸最初の血の中傷を組織だてて指示した。教会主催の裁判の結果、ユダヤ人共同体の30人から31人が火あぶりにされた[1]。
ティボー5世はシャルトルを第一の居住地とし、市の城壁を修繕した。実兄アンリ1世や他の貴族たちと共に甥のフランス王フィリップ2世に対する反乱に加わった後、彼は王と和解し、第3回十字軍では王を支えた。彼は1190年夏に聖地に到着し、1191年1月20日、アッコ包囲戦のさなかに亡くなった。
子女
[編集]最初シビーユ・ド・シャトー=ルナールと結婚。しかし1164年にルイ7世と最初の王妃アリエノール・ダキテーヌの次女アリックスと再婚(同年にティボー5世の兄アンリ1世とアリックスの姉マリーも結婚)し、7人の子をもうけた。
- ティボー(? - 1187年) - 夭折
- ルイ1世(1172年 - 1205年) - ブロワ伯
- アンリ(? - 1185年) - 夭折
- フィリップ(? - 1202年) - 夭折
- マルグリット(1170年 - 1230年) - ブロワ女伯。ルクセンブルク伯・ブルゴーニュ伯オトン1世と結婚。
- アデライード(生没年不詳) - 1190年、フォントヴロー修道院院長となる
- イザベル(1180年 - 1247年/1248年) - シャルトルおよびロモランタン女伯。シュルピス3世・ダンボワーズと結婚、ジャン2世・ド・モンミライユと再婚。
脚注
[編集]- ^ Nissan Mindel (2006年6月16日). “The Martyrs of Blois - (circa 1171) - Jewish History”. Chabad.org / Kehot Publication Society. 2013年6月5日閲覧。
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